助けあいジャパン

October 23, 2013

岡田先生

都立日比谷高校はかつての府立一中学校。
その昔から云わずと知れた名門で東京のナンバースクールだ。
キラ星のごとく各界で活躍した卒業生がいる。
その輝かしい歴史は、ちょうど僕らの時代に大きく変わり、
かつての栄光は「都立高校の教育制度改変」でずたずたにされ、
ボロクソにされた上でポイと捨てられ、
かろうじてプライドだけで生き残っていた。

そんなタイミングで入学した僕らは、
日比谷高校の生徒ではあったけれど、いつも「本物」とは違う
「なんちゃって日比谷高校」の生徒なのだという「後ろめたさ」が
常にどこかにあった気がする。

当時はまだ、日比谷のいわゆる「名物教師」が残っておられた。
皆さん有名な「伝説」のある歴々で、ご年齢から推察するに、
定年後の非常勤の先生が多かったのもしれない。

数学の岡田先生は真夏でも紺のスーツとガウンを着ておられた。
さすがに暑い時期にはシャツの袖を捲り上げて扇子でパタパタ煽りながら、
延々と黒板に数式を書いておられたけれど。

一見して「ただ者ではない」雰囲気と風情に、生徒達は圧倒されたものだ。

紺色の古いシボレーのセダンに乗っておられた。
ユニークで孤高、誇り高い、セレブリティの雰囲気だった。
あの品格は、今の教師には望むべくもないだろう。

先生の
「緊張して!」
「集中して!」という一喝!
背筋がピシっと伸びる。
この一言で、授業が締まる。

僕らは先生を尊敬していた。

ユニークなのは、数学の授業を数人の「グループ」で分けて
「みんなで解を見つける」方法。
最後までグループで頑張るのだ。
もっとも、出来の悪かった僕らのブループは、
「ゼロに何回かけ算してもゼロ(笑)」なんて冗談も言われた(笑)けど。

数学の出来ないグループには、
土曜午後に特別に授業をしていただいた時期もある。

先生は厳格な反面、お優しいので、
僕等のような出来の悪い生徒ほど気になったのかもしれない。

日比谷の立派な先輩達と較べれば、
サラブレッドの駿馬と使役の駄馬位の
差があったはずなのに
最後まで先生は僕らを見捨てなかった。

僕らは先生を尊敬していた。
僕が卒業してから、
文科系から医学部に志望変更した時には、
おお、そうか、そうか!と
親切に相談にのって頂いた。

その後、職員室に押し掛けて、
過去の模試の解答集の説明を
何回かご指導いただいたこともある。

あ、当時の日比谷には職員室とは別に
それぞれの教諭に研究室のような部屋があった記憶がある。
いずれにしろ、岡田先生は「師」と仰ぐにたる
「風格と品格」のある方だった

その後、何回かお会いする機会があったのに
ちゃんとご挨拶もできず長い間失礼していたが
ある時、ホテルオークラのロビーで偶然お会いしたことがある。
ご挨拶すると、元気か?と嬉しそうに笑われていたのが懐かしい。

何年か後に、同窓会(如蘭会)の雑誌で亡くなられたことを知った。
僕らが思っている以上に、いかに彼が有名な教師だったかを
その時に改めて知った次第。

岡田正先生
不肖の弟子でした
ありがとうございました
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