助けあいジャパン

January 13, 2013

ディクテーション文化

欧米の医師はカルテを手書きにする事はしない。正確に言えば、メモは手書きだが正式な記録はそのほとんどがディクテーションされたものだ。hand writingが汚くて読めないということもあるが、記録するコンテンツは殆ど全てタイプする。欧米の医師のカルテは皆美しく読みやすいというのは、全く誤解だ。ディクテーションがなければどうしようもないというのが正直な所だ。

ディクテーションで殆どすべてを記載する。必要な内容は翌日(遅くとも翌々日)には秘書がファイルを自分のデスクに持ってきてくれる。医師は内容を確認後サインアウトする。電子カルテになった今ではもっと迅速にデータのやりとりが可能になってるはずだ。

僕も当初、ディクテーションには苦労した。英語にはそこそこ自信はあったのだが、毎回の手術後にディクテーションのブースに籠って記録することが、ストレスだった。慣れないうちは一本(1症例)を記録するのに何回もやり直して1時間近くかかったこともある。ボスは僕が始めから「当然出来るものだろう」と思っていたけれど、慣れるまでの一ヶ月くらいは必死だった。あとで気付いたのだが「英語的に間違ってない様に話す」ことに捉われて、一所懸命になってたのだ。ポイントはそこではなくて、自分のスタイルでいかに記録をするかなのだ。

ディクテーションルームのおばちゃん達とそのうち知り合いになり、marc のくせ(アクセント)がわかったわ、と言われる様になってからは、随分スムーズになった。そのうちに適当に正しく直しておいてくれるようになった。

今となっては懐かしい思い出だ。

同僚達は若い頃から皆、例外なく巧い。欧米の(医学)教育の中で症例報告は基本中の基本技術なのだ。だからその教科書もあるし様々なレベルの講習もある。日本の医学教育にもプレゼン演習はあるが、要求されるレベルは全然違う。今まで個人レベルで勝負していたけれど、これからは基礎技術とされるだろう。

このディクテーション、実はコツがある。難しい事ではない。プレゼンには「型がある」のだ。病棟での症例報告、ディスカッション、手術記録、外来記録、サマリーetc、この「型」を理解して自分のものにすれば、あとはずっと楽になるものだ。

と、ここまで書いてきて気がついた。

ディクテーションの時代はもう既に終わっている。今は音声認識ソフトを使った医療情報の時代なのだ。ということは、従来のディクテーションの技術や文化はもう過去のものになりつつあるという事だ。欧米の現場じゃ既に普及していると思うけれど、僕は経験はない。

反面、これからもTEDなどのプレゼン技術は進んでいくのだろう。

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