助けあいジャパン

October 30, 2012

よく歩いていた、確かに

村上春樹の「ノルウェイの森」には、東京を歩くシーンがよくでてくる。蟇田さんの指摘通り、たしかにあの頃の僕らは、お金もないせいもあって、今よりもただひたすら街を歩いていた。そうだ、たしかに、その街を歩くことそのものが目的化していて、そのくらいブラブラと歩き回り、そのぶん時間はゆっくりと流れていた。二人で街を歩いて、しゃべっていれば、それだけでかなり素敵な時間を過ごすことができた。この時間軸の流れも1975年から1980年に大きく変わったと思う。

October 26, 2012

Peter君来日

カナダのバンクーバーの弟子、Peter君が来日、お見舞いに来てくれた。UBCの医学部の1年生に初来日して以来、何回も研修に来ている。病棟や外来、手術室のスタッフからも愛されて、積極的に仲間に入っていく姿勢は、彼の天性のものなんだろう。彼は今Oncologyを専門とする事を決めて、UBCのファカルティになっているとのこと。今回は日本癌学会に出席することで2週間来ることに。ふふふ、その如才なさは「さすが我が弟子(笑)」。彼の気持ちが嬉しくて、ちょっとほろっと来た。

October 23, 2012

ぼちぼち

ブログの更新を最近さぼっているせいで、新しいネタがないと病状の悪化か?とか精神的な問題?(笑)とか、諸々ご心配をお掛けしているみたいだ。申し訳ありません。僕はぼちぼちやってますのでご心配なく。化学療法の影響の、眠さと集中力のなさとは「うまく付き合っていく」しかない。自分のやれることを粛々とやっていくしかない。自分的には今回のクールから「次のステップ」に入ったと言えるのかも。明朝で2日目。

October 16, 2012

ナルコレプシー

一昨日から眠くてしょうがない。ほぼ2日間一日中眠りっぱなしで、目覚めても直ぐに眠ってしまう。いわゆるナルコレプシーといえるか?身体のダルさがあって風邪気味なのかもしれない。この記憶があまりないくらい、うつらうつらしていた。今日、晩御飯を久しぶりに食べた感じ。でもまだ眠い。サッカー観たいけれど…・

October 13, 2012

灯台下暗し

梅華菜館(自由ヶ丘)。まさに灯台下暗し。学生時代から自由ヶ丘に通っていたのに、今日まで入ったことがなかったのが逆に不思議だ。自由ヶ丘で最も古い部類に入るらしい。今日は定番、肉絲湯麺(ルースータンミェン)。素晴らしいバランス。街の中華屋さんのお手本みたいな店だ。僕って本当にB級が好きなんだと思う。美味しくご飯が食べられれる幸せをしみじみ感じる。来週からは次のクール再開予定。がんばろ。

うすぼんやりした決意

6時起床。薄ぼんやりと夜の明ける空を見ながら覚醒する。自然に目覚める時刻が遅くなってきてる。入院してからもう半年が経過していることに改めて驚く。もともと秋から冬にかけて「絶好調」で大好きな季節なのだ。

激動の6ヶ月だった。当然ながら落ち込んた時期もあったし、自分の立ち位置が解らなくなった時もあった。落胆や後悔、恐怖や諦念があり、そして多くの気づきがあり、今に至る。すべてはご縁であり因果応報。ここにいて・そこにいる、この安寧平穏な心境になれたことへの感謝の気持ち。

そういえば、人生の大切な気づきは、早朝のひらめきから始まることが殆どだ。夜中に悶々と考えて良い結論に至った経験はあまりない。これは真理。

病に倒れてからの心の動きについては、さとなお君とこーめい先生を初め、多くの友人たちがサポーターをかって出てくれている。素晴らしいタレント揃いで、これ以上望むべくもないアリエナイ状況だ。出来るだけ正確に記録しておくことで、将来何らかの役に立てる事ができればいい。最高の「伴走者」に恵まれて僕は本当に幸せものだと思う。

先日のパーシモンでの講演会が自分としては一つの区切りで、その後はエンディングに向けてtaperingしていく?と勝手に思って頂けれど、もしかしてもう一山二山あって、もう少し話は続く…かもしれない。でもそれもご縁。すべて織り込み済みのご縁の話として虚心坦懐、なるようにしかならない…心境だ。

October 10, 2012

ブラックカレーだんっ!

三重県伊勢市の東洋軒のブラックカレー
こうめい先生のお土産。うまうま。

りべんじ・すし

人生はご縁であり、すべてのご縁は繋がっている

人生のすべての出会いのタイミングから流れと展開は、すでに決まっているものなんだろう。もちろん我々凡人にはわからないし、どうしようもない。どうせなら、死ぬまで人生を肯定的に捉えたほうが「楽になる」。重荷を解いて、どんどん削ぎ落としていくと、ふっと安寧でピースフルな心境となっている。そして、死を見つめていくと最終的には「す・べ・て」の成因(たぶん仏教でいうことろの「因縁」が一つに収束する(ゼロに収束する)、あるいは全方向性に拡散する(∞に広がる)ことで「無」になる感覚というか。これが今の僕なりの「落とし所」というか心落ち着く場所なのだ。

病気発覚以来の6ヶ月間(今日でぴったり6ヶ月)は、激動の期間であったけれど、その意味では様々なことが「起こるべくして起こった」といえなくもない。ところが、先週来さらに想定外の展開(今更!の話なのだけれど…)が現在進行形でおこっているみたいだ。

ドラマティックなことは現実問題としてそんなに起こらない。起こったとしても1回だ。それがseriesで起きることはまずない。それがコモンセンスだろう。今回のことで色んなことを体験したが、このところ不思議な力を感じる。もう少し心の声に耳を傾けてみよう。

=======
昨晩は設定してたのに病気発覚で直前どたきゃんになった食事会のリベンジ。尊敬する後輩ST君&SA君が設定してくれた。もともと僕がHさんのFBの大ファンで、「田園都市通勤者の会:でんつう会」を作ったのだ。今回が再開後初の会。昨晩は友人の食通S君も参加してくれた。HさんとSさんは同じ広告コミュニケーション業界の最先端の人たち。以前からこのコラボが今後に繋がれば素晴らしいと思っていたので嬉しい出会い。また昨晩の参加者も素晴らしい人達ばかりで、あっというに時間が過ぎて珠玉の会話だった。食事は文句なく美味しく丁寧な仕事。ただしいい店になりうる要素がいっぱいあるだけに、「勘違い」しないで頑張って欲しいな…とちょっと残念な感じ。あの場所であの店を続けるとすれば敢えて苦言を呈する、って感じかな。ということで、再訪を期待して敢えて店名などは書かないことにしよう。

October 8, 2012

シウマイ・焼売・シュウマイ

昨夜はじょうじ君がお見舞いに来てくれて自由ヶ丘周辺でごはんを食べようということになった。ところがこの週末は「自由ヶ丘女神祭り」でごった返してる。仕方がないので以前からちょっと気になっていた「豆豚◎堂」というお店に入ることに。いいネーミングだと思うんだけれど。僕らとしてはブランド豚のしゃぶしゃぶであろうと、大好きな神保町の某店を勝手にイメージしてしまったのだ。まあマズイというより残念…な感じか。ちょっと工夫してオペレーションさえ良ければ、あの店は売り上げは確実に倍になるだろうに。だって素材さえ良ければ豚しゃぶなんてどうやっても美味しいわけだし。ホールスタッフが可愛い(かったらしい)のに、これは残念ポイントだった。この歳になってもそんな話題で盛り上がるおじさん達。40年間、話している内容は基本的には変わってないのがすごい(笑)。

今朝は5時過ぎにいつものように起床。なぜか朝から「シュウマイ」が食べたいと思った。或いはシウマイか。シュウマイがとくに好きなわけではない。餃子&ラーメン好きは自他共に認めるところだけれど、なぜ朝の5時に「シュウマイ」が食べたくなったかは不明(笑)。

そうこう考えているうちにいよいよ食べたくなってしまった。

崎陽軒のシウマイは、「崎陽軒の」という特殊なカゴリーなので別格として、そもそも今まで本当においしいシウマイを食べたことがあるんだろうか自信がなくなってきた。さしあたり思い浮かぶのは浅草の龍圓かな。ここは文句なく美味しいしバランスがとれていてある意味「ふつうの究極」。王道として華正樓(肉まんのい方が有名か)維新號、あたりか。ただ、あらためて考えてみるとシウマイに関してはデフォルトというものがなさそうだということだ。その意味では、餃子とは全然ちがうな。B級好きの僕としては、ちょっとサイズが大きめの、ちょっとグズグズ&ほくほくな感じの…蒸しあがったばかりのシウマイが好きだ。マスードを醤油をつけて、千切りキャベツとともに食べるシウマイ。どこか街場の中華屋さんでおいしいところはないかな?

たまらん。

October 7, 2012

電子レンジ

電子レンジ。一般家庭に普及したのは、たぶん1975年以降、多分後半ではないかと思う。シャープの「チンする」という事が一般化するのはたぶん80年代になってからではないか。温めるだけなのに…なんて思っていた。でもこれが食事文明の大変換期になっていたことは間違いない。電子レンジ以前と以後では「食事をすること」の意味が少し違ってきている気がする。日本の高度成長期の生活の質の変化。核家族化。個食。マックとかKFCも本格参入し、外食産業はたしかに明らかに変化した。チェーン展開といっても今とあの頃は全然違う。実際にはコンビニのオペレーションには電子レンジは欠かせない武器なんだろう。家庭でももちろん「チンする」ことにより、僕らはいつでもどこでもそこそこの食事が摂れるようになり、ちゃんと作ってもらえる食事に対する有り難さを忘れちゃった感がある。当然当時のレシピは全然違うだろうし、人気メニューなんてかなりちがうんだろう。

ちなみに、バブル以前とはいうものの、すでにオヤジ世代たちは連日連夜の飲み会と食事を会社のお金(接待天国)でやっていた。かくして社会は「楽しく」動いていた。さしあたりバブル崩壊までは。1975 - 1980 ああ「携帯電話のなかった時代」。

October 6, 2012

解らなくていいんだ、きっと

不思議だ。

人生には実に不可思議な事が起こるものだ。一瞬先が見えないことは、これまで十分学んだと思っていたけれど、どうもそれは「さらにそれほど単純ではないみたい」だ。ここ数日の人生の時間軸の中で、まだまだ生きていくことに無知で未知のことがたくさんあると思った。

死を直視することでそぎ落としてきたプロセス。その中「根幹」がすでに見えているからある意味安心して「身を任せられる」気持ちなのだけれど。それにしてもここ数日の展開はまったく考えていなかったので、ちょっとワクワク感を持ちつつクールに見ている。

すべて「ご縁」。わかったつもりでいてわかってない。だから人生って本当に面白い。

October 4, 2012

毎朝極楽ホットタオル

うちの病院のナースの朝のラウンド(回診)病院のサービス。熱々のホットタオルが配られる。通常はちょっと熱めでパタタパタすると調度良くなる感じの「蒸しタオル」なんだけれど(もちろんそれだけで気持ちいい)、他にもバリエーションがあって希望すれば熱々のタオルをビニールパックで渡してくれるので30分間以上は首や腰を温めることができる。うつらうつらしつつ、毎朝これが超絶気持ちいい。あらためてスタッフに聞いてみると、ずいぶん以前から(!)ただ単に温かいタオルを朝配る、ということではなく「さまざまなバリエーション」を考えているのが素晴らしい。そういうケアサービスが特別なコストをかけずに考えられるのは、日本の医療のやさしさ、素晴らしさなのだ。ささやかな幸せ(笑)。

October 3, 2012

さんま〜

本日の当院のお昼メニュー
(秋の特別メニュー)

さんまの塩焼き(脂がのってまだ十分熱々)
栗ご飯(ほくほく)
浅漬、きんぴらゴボウ
松茸のお吸い物(なんちゃってではなく、ちゃんとしたお吸い物)

とても病院食とは思えないレベルで大満足。もともとウチの病院食は評判がいいのだが、今日は特に素晴らしい!折角なのに写真撮り忘れたのが残念!。

October 1, 2012

1975年ころのコンビニのなかった時代

携帯電話のなかった時代の話。1970年代後半のこの時代実に面白い。
1980年ころから乱立するコンビニも、1970年代はまだ試験的な営業だったと思う。ただしコンビニの存在でお店でものを買うとか食事をするとか、もっといえばサービスを買うとか、それ以前と以後でははっきりと変わったことは確かだ。

一般的には普通の人は「うちに帰ってご飯を食べ」お茶の間(死語)とう「家族コミニティ」や「ご近所」コミュニティがあり、夜は家で音楽を聴くなり読書をするなり、テレビを観るなり(王道)をしていたのだ。つまりライフスタイルと生活の価値観の変化。

それが1970年代のコンビニ黎明期ころから変わった。バブル前兆。そのちょっと前か。Wikiによるとコンビニの歴史は複雑で社会学的にはまだまだいろんな分析があるんだろうけれど、はっきりしているのは1980年代になった時には僕らはもうすでにコンビニの甘い誘惑からは離れられなくなっていた。世の中がどんどん便利になり(というかコンビニ化し)堪え性がなくなって、「だらしなく」なった。逆説的に言えば「なんでもあり」的な不健康な気持よすぎる便利さ、というか。シニカルすぎか?でも台湾とか韓国とかの町中のコンビニをみてもあ、さもありなんと。便利になったことに文句な全然ないのだけれど。つまり、まず食事が劇的に変わった。それにより画一化から個々の自由度のある生活に大きく変わったのが、1980年なんだろう。生活のリズムが確かに変わった。
There was an error in this gadget