助けあいジャパン

September 6, 2012

クリムゾン、イーグルス、ポパイ、西海岸、深夜放送

1975年。高度成長期後期。その後のバブルにむけて爛熟する「前」の、右肩上がりの日本。子供は子供なりに、大人はオトナなりに、それぞれの「場」と「立場」があった。その意味では、日本が有史以来最も豊かで将来の不安もなく、未来への希望に道開あふれていた時期といえる。 

生まれてから大きくなるまで、終戦直後からアメリカ文化の洗礼をうけている世代。アメリカの工業力。圧倒的な技術。アメリカ製品の無条件での安心感と信頼性。アメリカ文化へに憧れは、たぶん1950年代のテレビ文化(パパは何でも知っている、アイ・ラヴルーシー…の影響が大きい。そして万博以降はどんどん自由度の増した社会での「軸」になっていく。

ブリティッシュロック。クリムゾン・キングは1969リリース。兄貴世代からボクらの世代に届くまでには、あの時代では6−5年かかっている。プログレッシブロックというものの世界は「別の世界」の入り口なんだろうな、と勝手に思い込んでいた。日本特有の喫茶店文化についても言及する。表参道、公園通り、渋谷、自由が丘など。

イーグルスの登場は1971年デビューだが日本でのヒットは1975年「呪われた夜」。いわゆるウェスト・コースト・サウンドの乾いたサウンドに夢中になった。それまでの、VAN をスタイルとしたアイビー(カントリーウェスタン)文化が、「なんとなくウソっぽい」自分のライフスタイルになりえなかったのに対し、1970年代後半になってやっと「こなれてきた」感じがあったのだ。

エポックメーキングな雑誌、POPEYEの創刊。1976年。当時の男の子のかなりの%が影響をもろにうけているはず。あこがれのライフスタイル(完全にMHの戦略にほとんどの日本人は何の疑問もなく騙されるわけだけれど)。サーフィンに(素直に)ハマる人多かった。西海岸経由でアメリカ文化に留学、遊学、海外への道筋がぐっと広がった。(バブル前の)猫も杓子も、の時代・・・・・時代の元気があった。いい意味でも悪い意味でも、戦後アメリカ資本主義の選択と変化が始まった時代。

しかし、その意味からはまだまだ選択は少なかった。まだまだみんな同じ物を着て同じ同じようなライフスタイルとお仕着せの「ファッション」に「心地良く」騙されていた。オピニオンリーダーの視点で一般大衆は右往左往した。1975前後、当時はそれが快適だったのだ。

雑誌ではGORO:路線が異なるが「激写」など、ヴィジュアル的に斬新。「確実に時代が変わった」事を感じさせた。それまでは「セクシーであること」は「ほんのりとした後ろめたさ」のようなものがあったのに対し、この時代ころから変わった。ビニ本的な暗く淫靡な文化は、はっきりと「あっちの世界」の話となった気がする。つまり選択の幅が広がった。

どうしても追加しておかねばならないのは、ラジオの深夜放送について。全盛の時代。ニッポン放送、TBS、文化放送の3局のどれかをだれかが聴いていた。この時代の聴取人口を考えてみると、今では信じられないようなことがおこっていた。何百万人も若者が孤独な夜でラジオに耳をかたむけ、共通の話題に泣いたり笑ったりしたことだろう。これもある意味、歴史的にも文化的にも、あの時代の日本にたまたま起きてしまった非常に「特別な仕組み」の出来事なだろう。さらに要考察。

そんな状況で、僕らはかぜさんと出会うことになる。まさにご縁なのだ。
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小説:携帯電話のなかった時代、再構成中。


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