助けあいジャパン

February 18, 2012

「モリー先生との火曜日」

NIftyserveの初期のころからの旧い知人であるYさん。CXのアナウンサーだった人で、偶然なんだけれど中学の5年後輩。彼が以前から一所懸命サポートしている音楽朗読劇のモリー先生との火曜日に行って来た。
原作ミッチ・アルボム。ALSに侵されたモリー先生(光枝明彦)の「人生の授業」。教え子であるスポーツライターであるミッチ(吉原光夫)と彼の妻のジャニーン(土居裕子)へ語りかける。生きているという事、人生、愛、友人、兄弟、老いる事、死への恐怖についてなどなど。音楽朗読劇なので、スペクタクルな場面はなく淡々と話は進む。進行とともに胸が締め付けられる感じなるのだけれど、最後は不思議にほっと安心できる感じというか。

「誰でもいつかは死ぬ事をわかっているのに、誰もそれを信じていない。」
「今日なのかい?小鳥さん。準備はいいか?真剣に生きているか?自分が好きか?後悔はないか?」
と肩に止まらせた鳥にむかって、毎日問いかける有名な台詞。

いつか死ぬ事を認めていつ死んでもいいように準備して真剣に生きる事。
どの世界どの時代の誰にとっても真理だ。今日あらためて心に響いた。

ALSという進行性の難病に蝕まれたモリー先生が、悲嘆していない訳がない。でも彼は前向きに人生の最後の時間を過ごしている。
徐々に動かなくなる身体、様々な症状を「受容」し「離す」という台詞。これも僕の心に響いた。
「辛い」気持ちを辛いと正直に吐露し、その苦しみの中で「もう十分苦しんだ、だからもういい、それを離そう」
日本語だとtoleranceのニュアンスが伝わらないのだけれど、「苦難を認めて、自分の受難として受け入れ(神に許しを請う)」という感じか。
シュワルツという名前から想像するにドイツ系ユダヤ人であるモリー先生の人生哲学。

つまり、般若心経 なのだな。

涙ぼろぼろの舞台になるのかと、実は思っていたのだけれど、じわっと来たのはどれもストーリーとは全く関係ない台詞で感情移入したところばかりだった。
むしろ、「ふーーむ」とか「なるほど」とか、深く考え込まされる場面や台詞が鏤められている舞台。

朗読劇は以前からあったらしいが、この作品のようにミュージカルというのはユニークらしい。音楽監督とピアノの小原孝、バイオリンの真部裕は素晴らしかった。
シンプルで上品な舞台もこの作品に似合っている。

終演後、モリー先生の息子であるロブ・シュワルツさんが登場して来て行うQ&Aは蛇足というか、余計なお世話。僕らは「モリー先生との火曜日」という作品を観に来ている訳で、べつに現実のモリー先生がどうだったのか?について知る必要もないし、ましてやその息子の言う事になんの興味もないし(苦笑)。現実に引き戻されて価値観の押し売りをされたみたいで、せっかくのいい芝居の余韻に浸っていたい観客にとっては、最悪の演出だった。百歩譲っても、素人に話をさせたいのであれば、あの「仕込み」は中途半端だし、進行は下手だし、通訳もダメ・・・これでは客にとってはいい迷惑。それが本当に残念で、好演した役者さんが可哀想だった。
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