助けあいジャパン

December 31, 2012

大晦日

2012年がもうすぐ終わる。一言で言えば大波乱の年だった。年初はまさかこんな展開になるなんて思って思いなかった。今さらながら、人生というのは直前までどう展開するのかわからないものだ。4月に病気(膠芽腫)が発覚して以来、手術、放射線療法、抗がん剤と現在進行形で治療が進み、あっという間に年が明けようとしている。

これまで死をこれだけ意識して日々の生活を送った事はない。そして、高い事から低い事、大きな事から小さな事まで随分様々な事を考えた。自分の人生について、家族について、今まで出会ってきた多くの人たちについて。そして、いかに自分が自分だけで生きてこれたのではなく、人様に頼って生きてきたのかを痛感することになった。けっして人間は一人じゃ生きて行けないのだ。つまり御縁で生かされている。

生きて行く事は
有り難いです
ありがとうごさいます
忝く(かたじけなく)思います

そして、すべての御縁は繋がっている。全てを削ぎ落したあとには自分しか残ってない(たぶん)。もしかしたら「それ」さえも「空虚なもの」かもしれない。と、そこに思い至って、病気発覚以来悶々としていた僕は救われた気分になったと思う。

ということで、現在進行形で治療継続中で年は明けます。旧年中はいろいろと配慮、ご心配を賜り、有り難うございました。
新年が皆様にとりまして素晴らしい一年でありますように!

December 30, 2012

Hogly WoglyテキサスBBQ


http://www.yelp.com/b
-bar-b-que-van-nuys

思い出したらどうにももう一度食べたくて、悶絶しているBBQがある。それがLA時代のTayer's Hogly Wogly Texas BBQ。ちなみにHogly Woglyとは “豚さん&もぐもぐ” みたいな語感。

ここんちはケチャップのベースの秘伝BBQソースが最高。ヴァレーの自宅から結構遠かったけれど、当時は本当によく行ったなあ。日本人にも好評で多くの友人たちを紹介した。いい感じで焦がした香ばしいソースが完璧で巨大なスペアリブに噛りつく快感。お肉はホロホロで軟らかく、脂っこさがなくいくらでも食べられる。HeintzのBBQソースの数百倍(当社比>笑)の美味しさ。

ああ、懐かしい&恋しい。ネットでチェックしてみたら、現在でも同じ店で盛業中らしい。わあざわざ車を飛ばしてでも行く価値のあるB級グルメのひとつ。

December 27, 2012

バチ(罰)が当たるということ

どの文化圏でも「因果応報」という概念がある。悪いことすると必ず罰(ばち)が当たる。だから、人間はみんな正直に正しく生きていかねばならない、という道徳観。これはわかりやすい。僕らの子供の頃は、今の子供達よりもっと言われた気がする。「バチがあたるぞ!」と。だから子どもたちは(大人も)舌を抜かれたり地獄に落とされたりしないために、良い子でいる。そのペナルティが厳しいものであるほど、倫理的に「正しく」あるべきと求められるのだ。

面白いのは、良いことが起きすぎても調子に乗ってはだめだよという意味で罰が当たること。バランスが肝要なのだ。

さらに、その罰(バチ)が当たるのは本人とは限らない。大災害を例に出すまでもなく、トンデモなく悪いことが起こってしまった場合に、それは人間が「悪しき事をした」からだ、という考え方をすると(そんなことはないのに…)辛い。さらに別の事象に因果を求めると悪いことが起きたのは「人間どもが飲めや歌えやと呆けていたからだ…」みたいな、まったく事実とは離れた感情論になってしまうと、これも逃げ場のない言葉の遊びになってしまい、厳しい。

今回自分が病気してよく判ったことがある(患者になって本当に多くを学んだ)。人は身体的不調を「何かのため」という理由付けをしたいものなのだ。さらにはこの「不幸な状態」は科学的な事実とは離れたところでわりと説得力のある「何か」(例えば自分にバチが当たった)のせいにしたい。誰も傷つかず納得できるから。病気になってみんな自分を責めるのだ。誰のせいでもない自分のことなのに。その患者の寂寥感、孤独感、不安感…etcについて、僕は医療者としてどれだけわかってたのか?今考えてみると甚だ心もとない気持ちになる。現在進行形の患者の一人としても。

考察を続ける。

December 26, 2012

クラムチャウダー

クラムチャウダーが大好きだ。
プリプリしたアサリをたっぷり使った濃厚なチャウダー。けっして上品なスープではないけれど、最高の組み合わせだと思う。それが故に、たまにどうしようもなく食べたくなる。僕のマザーフードの一つだ。

このクラムチャウダーの美味しさにハマったのは、アメリカ1976年以降で、住んでいた当時は、尚子とどこに行ってもメニューを見つけると反射的にオーダーしてた。アウトドアで食べるのもおいしかった。一般的に日本のお店はサラサラしているけれど、アメリカは高カロリーで飲むというより食べる感じ。僕の経験則から、アメリカの外食でどこでも例外なく美味しいのがクラムチャウダーだった。

クラム・チャウダーは、大別してホワイトソース系のニューイングランド風とトマト味のマンハッタン風がある。マンハッタン風も気分を変えるには悪くないけれど、ボクは圧倒的にニューイングランドが好み。

大ぶりのボウルに盛られた熱々のスープ。無料でいっぱい貰えるクラッカーを4−5袋を手にとって、パンパンと掌に乗せて叩いて粉々にしたものを、ボウルにてんこ盛りに載せて頂く…この幸せ。わりとあっさりした軽めのスープのものもあるけれど、ボクはポタージュみたいな生クリームのいっぱい入った濃厚なのが好きで作る。

全米のSoup of the Dayの金曜日の定番がクラムチャウダーだ。
ああ懐かしいなあ。

関連して思いだしたこと。
ニュージーランドのシーフード・チャウダーもなかなか美味しい。これは具たくさんのスープで、アサリ、白身の魚、海老などなんでも入れてしまう。これも絶品。よくNZリンデールの牧場のアウトドアで食べた。

December 25, 2012

味噌ラーメンLove

今日の当院の一般入院食&職員の昼食は味噌ラーメン。強調して、もう一度書いておくけど「味噌ラーメン」だ。ボクは病院食であんなに美味しい味噌ラーメンは食べたことがなかっただけに、以前からそのオペレーションに感嘆していたのだ。

普通に茹でられる麺とはもちろん違うけれど、みんなに美味しいものを食べさせたいという心意気が詰まってる感じ。麺とスープは分けて病棟に上がってくるけど、十分シコシコ&スープもしっかり温かい。これは時間との勝負なはずだから、すごいことなのだ。さらに一緒に食べる職員の勤務時間内の食事時間がバラバラだから大変だと思う。でも美味しいんだから文句をいう人がいない。

地下2階で作って一番上の6階まで時間内にきっちり配膳。このオペレーションも素晴らしい。このように、しっかり温かくて、ちゃんと美味しい味噌ラーメンを病院で出すというのは並々ならぬ努力の賜だとボクは思ってる。スープの味付けやバランスだって難しいはずだし、「なんちゃってではなく」メンマもゆで卵も乗ってるだもん。

以前なら病院食は粗食でマズイ食事の典型だった病院の食事も最近はいろんな工夫があってそれも素晴らしいと思う。内容とヴァリエーションでは日本はダントツだと思う。

今日も美味しかったです。個人的には、毎週でもいいな(爆)。
(写真撮り忘れた)

December 24, 2012

クリスマス・イヴ2012

あわわわ。前回エントリーから時間が経ってしまった。とにかく飛ぶように時間が過ぎてゆく。病気発覚以来、時間感覚が少し変容した感じがある。上手く言えないけれど。何しろ一日中眠くて傾眠状態(苦痛はない)で、あっという間に一日が終わってしまう。今更焦るわけではないけれど、限られた時間をいかに有意義に過ごせるかは僕にとって切実な問題なのだ。

年末のクリスマス・ウィークエンド。今回のテモダール化学療法クールは12/18 ~ 22にて無事終了。強力な制吐剤イメンドが効いて嘔気もなく、食欲もまずまず大丈夫だった。倦怠感と眠気。以前の化学療法で苦労されていた患者さん知るだけに今の状況はありがたいと感じる。

午後からじょうじ君とさくちゃんが病院へ。FMサルースの新年番組の電話収録をする。香月さん&まなさん、楽しい時間をありがとう。病室で収録後は、遅めの昼ご飯を自由ヶ丘「梅華」。B級だけどみんな大満足。こういう「普通の時間」が嬉しい。

午後夕方から自宅に戻る。全員集合は、なんだか久しぶりだ。晩御飯は頂き物の最高に美味しい牛肉を堪能した。夜はみんなの話を聞きながら、リビングのマッサージチェアから一歩も動かず・・・凝りをほぐして夜更かし。24時過ぎに就寝。幸せ。

メリークリスマス!
リセットした感覚。さて、また書き始めるかな。

December 19, 2012

心優しい天使たち(2012)




クリスマス・キャンドルサービス, 2012
やっぱり泣いちまったじゃないか!

December 17, 2012

戦後最低の投票率に脱力した

そりゃナイでしょ…と多くの「良識のある人たち」は皆思ったはずだ。政権交代、未曾有の大災害、ほぼ永遠ともいえる原発の底なし地獄、円高不況、空洞化、中国、韓国関係・・・・こんどこそ日本が本当にマズイぞと、危機感をもってみんな臨んでいると、ボクは勝手に思っていた。

それが史上最低の投票率。いわゆる「腰砕け」なのだ。

自民党の復活は仕方ないだろう。あまりにも政権与党である民主党が不甲斐なかったから。除外否定条件でみていくと、第三党はどれもまだ信頼しきれないことと相俟って、結局は。。。(ココには書かない)という選択しかないのだ。

これはマズイ。日本の未来が危ない。
この事の重大さを解っていない若い世代がどれだけいるのか?
(今まで以上に)自分たちの未来に責任をもって意見を言える世代が最近は増えてきている印象なんだけれど、これは幻想だったのか?

昔の若者のノンポリというのは「どうせウチラ政治のことはわからないもんね。何を言っても聞いてくれないもんね。お偉い政治家たちと金持ちが勝手に決めていくんでしょ…」というひねくれたものだった。でも今回はさすがに違うだろうと大いなる期待をもって臨んだんだけどなあ…。

ネットの世界になって、昔以上に「民意」を伝えるノウハウがあるはずなのだ。穿った見方をすれば、本来もっと自己主張をするべきネット世代は、現行の選挙制度に対して斜に構えて完全に「醒めている」のか?

December 15, 2012

ユニフォーム回帰だって

アメリカの公立高校の多くが制服になりつつあるんだそうな。たしかに、最近放映されているテレビ番組をみると(例の歌番組とか)、たしかにユニフォームが多くなっている印象がある。

アメリカといえば「自由気ままな」服装の方が主流で、制服にみんな大反対するかと思いきや、生徒も学生もそっちがいいらしい。何より毎日何を着るか考える必要がなく楽だ!ということらしい。ふーむ、確かに。

興味深いのは、それによって生徒たちの服飾費が格段に下がったことと、それによるいじめがなくなったこと、服装の乱れが改善して生徒たちの成績が明らかに改善したことだそうな。これはなんとなくわかる。逆に名門私立校の校則が最近どんどん緩やかになっているのと対照的かもしれない。

December 14, 2012

生えてきた

抗癌剤の副作用としての脱毛。ほとんどの患者で診られる副作用だ。4月の手術直後から現在まで4週間毎に継続している僕の場合、5月中旬から始まりごっそり抜けて6月の一回目の転院ころまでにツルツル・ツルリン状態になった。もともと殆どスキンヘッドなので全然気にならない。てか、負け惜しみじゃなく(笑)スッキリして気分爽快だったのだが…。

で、9月ころから「あれっ?」と、実は気になっていたのだ。
それまでは3−4週に一回バリカンを使っていたのが、隔週くらいじゃないと中途半端な長さに髪が生えてくる。さらに、新しく生えてきた髪は以前より色が黒くて、心持ち太い気がする。

抗癌剤によって毛周期がシンクロしたのだな。今更スタイルを変えるつもりはないし(笑)、このままでいきましょう。


December 12, 2012

強盛大国

ミサイルを打ち上げた某国
実は到底ミサイルなんて打ち上げられ実力があるとは信じられず、驚いた。だって毎冬には餓死者がでるような世界の極貧国なのだ。どう考えても奇形的な構造だろう。民が飢餓と貧困に苦しみ一部の特権的階級のみがいい思いをしている。

不思議なのは、本人たちが意外にも不幸だと思っていないようにみえることだ。外の世界を知らない彼らからしてみればある意味それが当然だし。それにしても国民全体のマインドコントロールの気持ち悪さ。紹介される限りの映像では一糸乱れないマスゲームとかインタビューの受け答えとか。ぞぞぞぞぞ。今回のミサイル発射のニュースに狂喜乱舞する彼らを見ていると、知らないことのほうが幸せかもしれないとさえ思う。

まったくこの国はどこに向かうんだろう。

December 5, 2012

カンクローさん

毎朝のことだけれど、彼からは育ちの良さが滲み出ていた。
いつものバス停で出会うと、彼は必ず僕らにもニコッと笑って会釈をした。
彼は石切橋のバス停から九段の暁星に通っていて、僕ら(僕とじょうじ君)は、千代田区にある中学校に通学していたのだ。

僕らにとっては近くに住んでいる有名人の「カンクロー」だった。子供の頃から超有名人。その彼はいつもニコニコしていた。思えば子供の頃から大人の世界で生きてきた彼にとって、普通の振る舞いをできる僕ら(近所の子供達)は貴重な存在だったのかもしれない。

小日向の坂の途中にある波野家の「御殿」
いつも歌舞伎の稽古の音が流れていた。

僕らは友達というほど親しくはなく、会えば一言二言交わす程度の「知り合い」だったけれど、同世代の有名人として常に意識していたと思う。芸能界のニュースで彼のことを知れば、自分のことのようにも感じたものだ。その後、彼が歌舞伎界を牽引する重鎮になっていったことは知っていたが、歌舞伎役者として脂の乗り切った時期を過ごしていると、勝手に思い込んでいて、最近体調を崩していることは知らなかった。

中村勘三郎さん、12月5日午前2時33分、永眠。享年57歳。
ご冥福をお祈りします。

December 4, 2012

良い耳持ってますか?

ヘッドフォンをアマゾンで購入した。ソニーの1000円くらいのもの。以前使っていのが断線してしまったのだ。前のはソニーのモニター用のインナーイアで15000円以上したと思う。たしかに値段だけの分、音質が全然違ったし、解像度というか音場の広がりも違っていた…とは思うんだけれど、ささっと取り替えて目を閉じてブラインドで聴いてみると、いい音なのだ。とたんに自信がなくなってしまった。

つまり1000円の今回のものも「それなりに」素晴らしいのだ。これが僕の耳の能力にとっては、必要にして十分な機能のある機器なのだ。ぶっちゃけた話、15000円位上した最上級のインナーイア型ヘッドフォンと汎用型のi-pad用も「違いがわからない」ということになる。器械の差が、耳の差を超えることはないだろう。少なくとも僕の耳では。

あ、ちがうな。明らかな違いはある。でもその価値に気づくことができるかどうか?というのは感性の問題なのだ。感覚は比べることはできないのだ。

おなじ文脈で、ワイン談義も同様だ。自らの知識と経験のなさ(さらには金の有無<笑)もあって、もともとワインに薀蓄を傾ける人たちをシニカルに見てしまうのが僕の癖だけれど、人生のこの時期になると新たに「見えてくるもの」がある。
四の五の言うより、美味しければいいではないか。

December 3, 2012

巨大バーガーの正しいお作法(続)

先日書いた自由ヶ丘・サンバーガー。こーめい先生のオーダーした巨大バーガーでインスパイアされて、アメリカのバーガー事情(ってほどでもない:笑)について、追記しておく。


写真は、僕と尚子がアメリカ時代にハマったPasadena のWolfe Burger。ここんちのハンバーガーは美味しかった。BBQで食べるレベルとはまた違ってある意味洗練された美味しさ。これが絶妙の焼き加減で出てくる食べごたえのあるパテ、柔らかく香ばしいバンズ、好きな組み合わせでのせられるBLT、トッピングも中に入れるピクルスも様々。…高めだけれどいつも大満足だった。ちなみに、僕らの行っていた時代からすでに20年が経過し、再訪をはたせず最近閉店したとのこと。残念。

さて本題。アメリカのこの巨大なハンバーガーをどうやって形が崩れるのを最小限にしてうく食べることができるか?慣れていない日本人が食べると、大体グチャクチャになってしまい、最後の方は悲惨なことになる。秘書の女性に聞いてみたら…。

ナイフとフォークで切って食べるのは勿論可。でも当然美味しくない。かぶりついてこそハンバーガーだ。ということで、コツは…

齧りつく前にバンズをぎゅーぎゅー上から圧迫するそうな。ルーズだと決壊しやすい。それからできるだけ「水平を保ちつつ」かぶりつくとうまくいく。これはその他の巨大サブマリンなどにも応用できる。うーむ、なるほど!
僕も確かにそれ以来あまり失敗はない。

December 2, 2012

Yummy!



自由ヶ丘サンバーガー 近江牛のハンバーガー。彦根が本店らしい。さすがのクオリティで満足。写真はこーめい先生のオーダーしたThe World Burger。クオーターパウンドの肉が2枚分、バンズ2枚、厚切りベーコン、チーズ、アボカド、卵焼き、オニオン、レタス、トマト。僕の食べたのが普通のアメリカのデフォルトのサイズだとすれば(それでも日本の標準からいえばずいぶん大きい)スーパーサイズは3倍くらいか。大きいだけでなく、もちろん十分おいしい。こーめい先生のグルマンの面目躍如。

November 26, 2012

日本の恋と、ユーミンと。

僕らの世代にとってサザンとユーミンの音楽の影響は外せない。ということで新しいユーミンのベストアルバム「日本の恋と、ユーミンと。」を早速堪能している。

僕らの世代にとっては、1975−1980のゴールデン・エラ

ユーミンに関しては、みんな語り尽くした感もあるけれど、じつはまだまだ言い足りない感じ。

楽しい思い出と考察を続ける。

盟友いしじゅんの最近の仕事とのこと。素晴らしい!
http://www.facebook.com/photo.php?fbid=449674125070551&set=a.181524138552219.31267.181523351885631&type=1&theater


November 25, 2012

「やっぱり」が気になる

日常生活の会話の「やっぱり」という言葉が気になる。気がつかないうちに、自分の会話の中でもかなり入れているかもしれない。テレビのインタビューなどを見てもものすごく頻度が高い気がする。

「やっぱり」と、まず自分の立ち位置を肯定的に捉えて、安心してから発言する態度。あとは下品だけど「やっぱし」か。本来は会話の合いの手とか調子あわせ的な使い方だった。でも昔の政治家は決して「やっぱり」なんて言わなかったと思う。テレビ的な会話の中で一般化したことは確かだ。

あ、でもな。。。「したっけ」なんて江戸言葉はもともとあった。落語家が話すような古風な東京下町言葉だ。「したっけ、無理言っちゃなんだし…」みたいな使い方。まっつぐ(真っ直ぐ)進む、なんかと同じ江戸言葉だ。浅田次郎の小説によく出てくる。ということで、「やっぱり」はあまり意味のない「つなぎ言葉」なのだ。

あ、話題がずれた。だからこそ、昨今の「やっぱり」が気になってしまう。
ということで、老若男女日本中で「やっぱり」なんていってる。

November 24, 2012

謎の明治かぞえ歌

僕の出た幼稚園は日本最古の歴史のある幼稚園だ。最近ではで今上天皇のお孫さんが入学していること話題になった。その小学校で、明治以来歌い継がれた歌がある。数え歌だ。学校で教えてもらったようなものではなくて歌い継がれていったものだろう。それから「フリ」があって女子はもう少し歌が長かった気がする。記憶が曖昧。

で、なぜか一昨日このフレーズが出てきてしまって頭から離れない。それなりに歴史の重みのある歌詞なのだ。


明治XX年、XX月XX日 
切腹なされた兄様の お墓参りに参ります
お墓の前では手を合わせ 南無阿弥陀仏 と拝みます


歌の内容から推察すると、会津?旧徳川か?
上野の山に登った会津敗残兵の話か?
あるいは白虎隊の話なのか?
昭和30年代に歌われていたことも興味深いなあ。
その意味では薩長ではないだろう。
それを官立小学校で歌い継がれてきたのが非常に面白い。

誰か何か覚えてない?>同級生各位
気になりだしたら気になってしかたない。。

==================
追補
淳子さん初めいろいろ情報有り難うございました。西南戦争なんですね。ふむふむなるほどなかなか深い話。全然不勉強だったと反省してます。

  1. いちかけ にかけて さんかけて
  2. しかけて ごかけて 橋をかけ
  3. 橋の欄干手を腰に はるか向こうを眺めれば 
  4. 十七、八の姉さんが花と線香手に持って
  5. これこれ姉さんどこ行くの
  6. 私は九州鹿児島の西郷隆盛娘です
  7. 明治10年3月3日
  8. 切腹なされた父上のお墓参りに参ります
  9. お墓の前で出を合わせ
  10. 南無阿弥陀仏と拝みます
  11. 西郷さんの魂は
  12. ふわりふわりうらめしや(じゃんけんぽん)



November 17, 2012

おっちょこちょい

最近使わなくなった昭和の言葉。

「おっちょこちょい」
粗忽な人、落ち着きないさま。1910年代にはすでに東京で使われていた言葉らしい。なんとなく響きにユーモラスで、あまり深刻そうじゃない感じがあって面白い言葉だ。子供の頃はよく使われたのに、いつのまにか全くといっていい程使われなくなった。無声映画時代のナンセンスギャグのニュアンスがある。子供の頃、落ち着きのない子供で、しょっちゅう怪我をしていて、お前は本当に落ち着きのない「おっちょこちょいな」子供だ」とよく云われた。

同じような感じの言葉に「すってんころりん」がある。勢い余った感じで転倒するさまで、これもなんとなく深刻さがない「結果オーライ」のユーモラスなニュアンスがある。すってんころりんと「やっちまった〜」的な感じ。僕的には、「おむすびころりん」の童話のイメージがかなり大きく、転倒>ころりん>おむすび の固定観念がある。

演劇の流れで「口喧嘩の啖呵」の「すっとこどっこい」もある。威勢のいい侮蔑の言葉で、今は死語だろう。実際に使っているのは時代劇の町人くらいか。

「つんつるてん」身長に対して丈の短い衣服などを着ているさまをからかったり自嘲する際に使う言葉。逆に新しい表現かも。

November 16, 2012

痒いマゾ地獄

皮膚が痒い。一日中、全身が痒い。ちょっと油断するとポリポリと掻いている。もともとアレルギーがあるところに、ドライスキンがあって悪化している。痒みが始まると止めどなくポリポリしている。痒みは持続的な軽度の痛覚なのだ。

痒い。それにしても痒い。爪を立てて思いっきり掻き毟りたい感覚。痒いのは辛い。でも辛いのだが掻きむしっている状態は心地いい。そう、気持ちいいのだ。アホみたいに虚脱して呆けた表情で、できることならば時間無制限に思いっきりポリポリしていたい気分。痛覚とはいうものの、明らかな快感なわけで、はっきりいってマゾだね、これは。

スキンケアをナースに相談して(彼らはスキンケアのプロなのだ)午後からずいぶん楽になった。てか、我慢していないでもっと早めに相談すれば良かった。ぽりぽり。


November 14, 2012

危険な標語

今日は、所轄警察署にて予防接種。一般の会社と違い、さすがにキビキビと規律正しく時間内に終了。所内の廊下にあった標語


確かめよう 撃つ時 撃つ場所 撃つ相手

くれぐれも、よろしくお願いします
ちょっと出来すぎかも(笑)

おーい、お茶(その2)

清涼飲料水(というタームもすごい!)としてのお茶が生まれるまでの苦労には色々とあったんだろう。1985年当時のことを思い出してみると、官庁関係の会合では「お茶が出ていた」のが、その頃から缶入りになった気がする。つまり、それまではお茶は淹れるもので、ジュースみたいにコップに注ぐものではなかった。莫大な利権になったことも想像に難くない。日本だけではなくて、ちょっと遅れて中国、台湾、韓国などアジア諸国も同じ状況だったのだろう。その当時「その国」の「どこにでもあった」お茶を淹れるいうことを改めて見直したのがすごい。「商品」として売り出してしまったこともスゴイ。当時の僕達も「えっ?お茶?ダッセー。」と半信半疑だったのだ。しかし、商品としての素晴らしさが優っていた。日本のどこに行っても入手できる飲料としての「冷たいお茶」のすばらしさを消費者が認めたのだ。今ではほとんどの日本人はお茶は買って飲むものになっている。こういうのを「革命」というのだろう。

November 13, 2012

おーい、お茶!

今では当たり前になってしまった感のあるペットボトル入のお茶。完全に発想の転換によって、実際の習慣や文化のほうが変わってしまった。調べてみると1985年が区切りなんだという。ほんの20年なのだけれどこの変化は大きい。その直前まで僕らはなんの疑問も持たずに、お茶といえば普通に急須から淹れていたし、夏の風物詩のよく冷えた麦茶はどの家の冷蔵庫にも入っていたものなのだ。お茶だけでなく確かにこの1985年から1990年は激変の時代ではあった。ペットボトルに入ったお茶を商品として売るという発想。これは考えれば考えるほどユニークな着想と構想力だった。水が(普通の飲料水が)商品として日本で売れるなんて「考えてもいなかった」のだ。

November 11, 2012

2013ご挨拶(原稿)


年頭のご挨拶 (原稿)
Responsibility

新年あけましておめでとうございます

病院は様々な職種のチームで成り立っています。プロフェッショナルのすべての業務には、役割と「責任」があり、それが発揮されて初めて病院として正しく機能します。日々の忙しい業務の中でも、常に責任の所在を常に明確にしておくことが大切です。

英語で「責任」をresponsibilityといいます。組織の中で臨機応変にresponse(対応、変化)する(能力)abilityという意味です。繰り返しになりますが、この「変化に対応する能力」のことを「責任」と呼び、その責任をとることをtake responsibilityと云います。

自らの責任を改めて認識し、旧年同様、職員一同が高め合いながら頂きを目指す所存です。
本年もご指導ご鞭撻の程、よろしくお願いします。

ちょっと硬いなあ。。。(笑)

November 9, 2012

閃いてなんぼ

能力(脳力)の低下がひどい。いわゆる「閃く」頻度が低くなっただけではなく「閃いた」としても、ちょっと経つと内容を忘れてしまうのだ。閃いたことを覚えていればまだ救いがあるが、何を閃いたのかを忘れちゃったりする。もともと年齢的な要素は大きいと思うけれど、病気をしてからさらに進行した感じもある。最近では「そもそも何を話していたのか」がわからなくなってしまうこともあった。一言で言えば集中力の無さということなんだろう。情けない話だ。筋力維持ののリハビリもこのところサボっているし、このダメダメ状態を自分で意識しておかないとまずい。

さなメモより転載


病気になって改めて「高齢者のネット利用アップ」というライフテーマについて思う


http://www.satonao.com/archives/2012/11/post_3476.html


November 7, 2012

バッファローの奇跡

いやはや、驚いた。25年ぶりにアメリカ時代の恩師の連絡先がわかった。奥様の病気療養でLAからバッファローに移って以来、連絡がつかなくなっていたのだ。転居されてからの正確な住所が記してある(LA以降の2つくらいは記憶にある)。その後僕たちは帰国し、さらにニュージランドに家族で移動しているうちに、さらに連絡が取れなくなって諦めていたのだ。あれから20年。御年80歳になられてお元気ならいいなあ。あの若い頃の颯爽とした教授の姿を思い出すと、心が熱くなる。そのくらい本当にお世話になったのだ。
http://sandgem.blogspot.jp/2012/05/blog-post_06.html

それにしても、驚いた。ネットの検索力の凄さ。今回はさとなおくんのお知り合いの方がたまたま僕のブログを読んでいて、そのワイナー先生の話をブログに書いたことがきっかけで話がつながったみたいだ。今の世でなければ「奇跡」みたいな話。まさに、ご縁の話だと思う。ありがたや・有り難や・

November 6, 2012

爺さん&婆さんばかりの社会

65歳以上の高齢者が初めて3000万人を突破したとのニュース。この調子で高齢化が進んだとして、30年後の2042(平成34)年に3878万人でピークを迎えるまで、高齢者数は増え続けるという。2005年から2035年にかけての高齢化を予測しているが、僕らの世代でいえば、全国平均が45.1%なのに対し、東京圏は77.0%で、50%前後の関西圏、名古屋圏と比べても突出している。東京23区を取り巻くように高齢化率4割程度の自治体がずらりと並ぶ。SF的空想上のゴーストタウンみたいな首都圏の都市。あ、そういえば村上龍の近未来小説にあったな。単なる空想ではなく20年から30年先に「じじい&ばばあ」ばっかりの社会が来る。成熟した社会といえば聞こえはいいけれど、想像するだけで暗くなってしまう。やだやだ。

プロの力量

先日の講演会ではプロの方に写真を撮っていただいた。出来上がって来た写真を見て、感嘆した。プロの圧倒的な力量と表現力。さすがプロフェッショナル。同じように僕という被写体を撮っていても、ぜんぜん違う対象が写っている。シャッターを切る操作(って最近は云わないんだろうな、もはや)に対する考え方が、デジカメになって大きく変わったであろうことは素人の僕にでもよく分かる。やっぱりすごいな。

カメラに関しては興味を持つのが遅すぎた感がある。もともと興味があったのに食わず嫌いだった。正直に告白すれば、ハマるのがわかっていたので躊躇していたのだ。i-phoneで随分面白い写真が撮れることがわかったし、sonyのNEX-5を普段使いで使ってみてその楽しさに気づいたこともある。ただ問題は目だ。老眼。つまりどんなにテクノロジーが進んでも生身の「眼」には敵わない。残念ながらもう若い頃に戻ることはないのだ。これは仕方がない。

November 2, 2012

いつまでも弟子

最近の文章を読んでみると、起承転結の「起」くらいしか書いていないのがほとんどだ。というか、文章というほどのものも書いてない。怠惰の波に揉まれ流される毎日とはいえ、ブログを毎日書くという作業は、止めてみると分かるけれど結構な労働だったのだ。四の五の言わずに書くこと。それが意味がある。厳密な意味で毎日でなくても全然いいのだろうけれど、人間は弱いもので行動を止めた途端にサボるための理由をつけたがるものだ。

BCバンクーバーのPeter君。今日が日本の最終日ということで外来終了後に自由ヶ丘・八沢川へ。T先生&U先生にご馳走になってしまった。気を使わせちゃって恐縮です。今回、わざわざ日本での学会にfocusして真っ先に駆けつけてくれたのは、Peter君一流の優しさだろう。積もる話もあったんだけれど、とにかく彼と話ができただけでも幸だった。彼は抗癌剤化学療法のフェローから将来は専門医となっていくだろう。英語で「ご縁」の話をchanceとかopportunityとかfortuneとかで説明しようとして、まあソコソコのところで諦めた(笑)。彼にはわからないかもしれないけれど、すべてが「御縁」なのだ。「いつでもまた日本に来ます」なんて言っていたけれど、多分僕と彼と会うのは今日が最期。僕も彼もそれが判っているので、別れ際にバシッとしっかりとハグして、君に会えて良かったと。それを伝えられてよかった。ちょっとハード・ボイルドだけど。

October 30, 2012

よく歩いていた、確かに

村上春樹の「ノルウェイの森」には、東京を歩くシーンがよくでてくる。蟇田さんの指摘通り、たしかにあの頃の僕らは、お金もないせいもあって、今よりもただひたすら街を歩いていた。そうだ、たしかに、その街を歩くことそのものが目的化していて、そのくらいブラブラと歩き回り、そのぶん時間はゆっくりと流れていた。二人で街を歩いて、しゃべっていれば、それだけでかなり素敵な時間を過ごすことができた。この時間軸の流れも1975年から1980年に大きく変わったと思う。

October 26, 2012

Peter君来日

カナダのバンクーバーの弟子、Peter君が来日、お見舞いに来てくれた。UBCの医学部の1年生に初来日して以来、何回も研修に来ている。病棟や外来、手術室のスタッフからも愛されて、積極的に仲間に入っていく姿勢は、彼の天性のものなんだろう。彼は今Oncologyを専門とする事を決めて、UBCのファカルティになっているとのこと。今回は日本癌学会に出席することで2週間来ることに。ふふふ、その如才なさは「さすが我が弟子(笑)」。彼の気持ちが嬉しくて、ちょっとほろっと来た。

October 23, 2012

ぼちぼち

ブログの更新を最近さぼっているせいで、新しいネタがないと病状の悪化か?とか精神的な問題?(笑)とか、諸々ご心配をお掛けしているみたいだ。申し訳ありません。僕はぼちぼちやってますのでご心配なく。化学療法の影響の、眠さと集中力のなさとは「うまく付き合っていく」しかない。自分のやれることを粛々とやっていくしかない。自分的には今回のクールから「次のステップ」に入ったと言えるのかも。明朝で2日目。

October 16, 2012

ナルコレプシー

一昨日から眠くてしょうがない。ほぼ2日間一日中眠りっぱなしで、目覚めても直ぐに眠ってしまう。いわゆるナルコレプシーといえるか?身体のダルさがあって風邪気味なのかもしれない。この記憶があまりないくらい、うつらうつらしていた。今日、晩御飯を久しぶりに食べた感じ。でもまだ眠い。サッカー観たいけれど…・

October 13, 2012

灯台下暗し

梅華菜館(自由ヶ丘)。まさに灯台下暗し。学生時代から自由ヶ丘に通っていたのに、今日まで入ったことがなかったのが逆に不思議だ。自由ヶ丘で最も古い部類に入るらしい。今日は定番、肉絲湯麺(ルースータンミェン)。素晴らしいバランス。街の中華屋さんのお手本みたいな店だ。僕って本当にB級が好きなんだと思う。美味しくご飯が食べられれる幸せをしみじみ感じる。来週からは次のクール再開予定。がんばろ。

うすぼんやりした決意

6時起床。薄ぼんやりと夜の明ける空を見ながら覚醒する。自然に目覚める時刻が遅くなってきてる。入院してからもう半年が経過していることに改めて驚く。もともと秋から冬にかけて「絶好調」で大好きな季節なのだ。

激動の6ヶ月だった。当然ながら落ち込んた時期もあったし、自分の立ち位置が解らなくなった時もあった。落胆や後悔、恐怖や諦念があり、そして多くの気づきがあり、今に至る。すべてはご縁であり因果応報。ここにいて・そこにいる、この安寧平穏な心境になれたことへの感謝の気持ち。

そういえば、人生の大切な気づきは、早朝のひらめきから始まることが殆どだ。夜中に悶々と考えて良い結論に至った経験はあまりない。これは真理。

病に倒れてからの心の動きについては、さとなお君とこーめい先生を初め、多くの友人たちがサポーターをかって出てくれている。素晴らしいタレント揃いで、これ以上望むべくもないアリエナイ状況だ。出来るだけ正確に記録しておくことで、将来何らかの役に立てる事ができればいい。最高の「伴走者」に恵まれて僕は本当に幸せものだと思う。

先日のパーシモンでの講演会が自分としては一つの区切りで、その後はエンディングに向けてtaperingしていく?と勝手に思って頂けれど、もしかしてもう一山二山あって、もう少し話は続く…かもしれない。でもそれもご縁。すべて織り込み済みのご縁の話として虚心坦懐、なるようにしかならない…心境だ。

October 10, 2012

ブラックカレーだんっ!

三重県伊勢市の東洋軒のブラックカレー
こうめい先生のお土産。うまうま。

りべんじ・すし

人生はご縁であり、すべてのご縁は繋がっている

人生のすべての出会いのタイミングから流れと展開は、すでに決まっているものなんだろう。もちろん我々凡人にはわからないし、どうしようもない。どうせなら、死ぬまで人生を肯定的に捉えたほうが「楽になる」。重荷を解いて、どんどん削ぎ落としていくと、ふっと安寧でピースフルな心境となっている。そして、死を見つめていくと最終的には「す・べ・て」の成因(たぶん仏教でいうことろの「因縁」が一つに収束する(ゼロに収束する)、あるいは全方向性に拡散する(∞に広がる)ことで「無」になる感覚というか。これが今の僕なりの「落とし所」というか心落ち着く場所なのだ。

病気発覚以来の6ヶ月間(今日でぴったり6ヶ月)は、激動の期間であったけれど、その意味では様々なことが「起こるべくして起こった」といえなくもない。ところが、先週来さらに想定外の展開(今更!の話なのだけれど…)が現在進行形でおこっているみたいだ。

ドラマティックなことは現実問題としてそんなに起こらない。起こったとしても1回だ。それがseriesで起きることはまずない。それがコモンセンスだろう。今回のことで色んなことを体験したが、このところ不思議な力を感じる。もう少し心の声に耳を傾けてみよう。

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昨晩は設定してたのに病気発覚で直前どたきゃんになった食事会のリベンジ。尊敬する後輩ST君&SA君が設定してくれた。もともと僕がHさんのFBの大ファンで、「田園都市通勤者の会:でんつう会」を作ったのだ。今回が再開後初の会。昨晩は友人の食通S君も参加してくれた。HさんとSさんは同じ広告コミュニケーション業界の最先端の人たち。以前からこのコラボが今後に繋がれば素晴らしいと思っていたので嬉しい出会い。また昨晩の参加者も素晴らしい人達ばかりで、あっというに時間が過ぎて珠玉の会話だった。食事は文句なく美味しく丁寧な仕事。ただしいい店になりうる要素がいっぱいあるだけに、「勘違い」しないで頑張って欲しいな…とちょっと残念な感じ。あの場所であの店を続けるとすれば敢えて苦言を呈する、って感じかな。ということで、再訪を期待して敢えて店名などは書かないことにしよう。

October 8, 2012

シウマイ・焼売・シュウマイ

昨夜はじょうじ君がお見舞いに来てくれて自由ヶ丘周辺でごはんを食べようということになった。ところがこの週末は「自由ヶ丘女神祭り」でごった返してる。仕方がないので以前からちょっと気になっていた「豆豚◎堂」というお店に入ることに。いいネーミングだと思うんだけれど。僕らとしてはブランド豚のしゃぶしゃぶであろうと、大好きな神保町の某店を勝手にイメージしてしまったのだ。まあマズイというより残念…な感じか。ちょっと工夫してオペレーションさえ良ければ、あの店は売り上げは確実に倍になるだろうに。だって素材さえ良ければ豚しゃぶなんてどうやっても美味しいわけだし。ホールスタッフが可愛い(かったらしい)のに、これは残念ポイントだった。この歳になってもそんな話題で盛り上がるおじさん達。40年間、話している内容は基本的には変わってないのがすごい(笑)。

今朝は5時過ぎにいつものように起床。なぜか朝から「シュウマイ」が食べたいと思った。或いはシウマイか。シュウマイがとくに好きなわけではない。餃子&ラーメン好きは自他共に認めるところだけれど、なぜ朝の5時に「シュウマイ」が食べたくなったかは不明(笑)。

そうこう考えているうちにいよいよ食べたくなってしまった。

崎陽軒のシウマイは、「崎陽軒の」という特殊なカゴリーなので別格として、そもそも今まで本当においしいシウマイを食べたことがあるんだろうか自信がなくなってきた。さしあたり思い浮かぶのは浅草の龍圓かな。ここは文句なく美味しいしバランスがとれていてある意味「ふつうの究極」。王道として華正樓(肉まんのい方が有名か)維新號、あたりか。ただ、あらためて考えてみるとシウマイに関してはデフォルトというものがなさそうだということだ。その意味では、餃子とは全然ちがうな。B級好きの僕としては、ちょっとサイズが大きめの、ちょっとグズグズ&ほくほくな感じの…蒸しあがったばかりのシウマイが好きだ。マスードを醤油をつけて、千切りキャベツとともに食べるシウマイ。どこか街場の中華屋さんでおいしいところはないかな?

たまらん。

October 7, 2012

電子レンジ

電子レンジ。一般家庭に普及したのは、たぶん1975年以降、多分後半ではないかと思う。シャープの「チンする」という事が一般化するのはたぶん80年代になってからではないか。温めるだけなのに…なんて思っていた。でもこれが食事文明の大変換期になっていたことは間違いない。電子レンジ以前と以後では「食事をすること」の意味が少し違ってきている気がする。日本の高度成長期の生活の質の変化。核家族化。個食。マックとかKFCも本格参入し、外食産業はたしかに明らかに変化した。チェーン展開といっても今とあの頃は全然違う。実際にはコンビニのオペレーションには電子レンジは欠かせない武器なんだろう。家庭でももちろん「チンする」ことにより、僕らはいつでもどこでもそこそこの食事が摂れるようになり、ちゃんと作ってもらえる食事に対する有り難さを忘れちゃった感がある。当然当時のレシピは全然違うだろうし、人気メニューなんてかなりちがうんだろう。

ちなみに、バブル以前とはいうものの、すでにオヤジ世代たちは連日連夜の飲み会と食事を会社のお金(接待天国)でやっていた。かくして社会は「楽しく」動いていた。さしあたりバブル崩壊までは。1975 - 1980 ああ「携帯電話のなかった時代」。

October 6, 2012

解らなくていいんだ、きっと

不思議だ。

人生には実に不可思議な事が起こるものだ。一瞬先が見えないことは、これまで十分学んだと思っていたけれど、どうもそれは「さらにそれほど単純ではないみたい」だ。ここ数日の人生の時間軸の中で、まだまだ生きていくことに無知で未知のことがたくさんあると思った。

死を直視することでそぎ落としてきたプロセス。その中「根幹」がすでに見えているからある意味安心して「身を任せられる」気持ちなのだけれど。それにしてもここ数日の展開はまったく考えていなかったので、ちょっとワクワク感を持ちつつクールに見ている。

すべて「ご縁」。わかったつもりでいてわかってない。だから人生って本当に面白い。

October 4, 2012

毎朝極楽ホットタオル

うちの病院のナースの朝のラウンド(回診)病院のサービス。熱々のホットタオルが配られる。通常はちょっと熱めでパタタパタすると調度良くなる感じの「蒸しタオル」なんだけれど(もちろんそれだけで気持ちいい)、他にもバリエーションがあって希望すれば熱々のタオルをビニールパックで渡してくれるので30分間以上は首や腰を温めることができる。うつらうつらしつつ、毎朝これが超絶気持ちいい。あらためてスタッフに聞いてみると、ずいぶん以前から(!)ただ単に温かいタオルを朝配る、ということではなく「さまざまなバリエーション」を考えているのが素晴らしい。そういうケアサービスが特別なコストをかけずに考えられるのは、日本の医療のやさしさ、素晴らしさなのだ。ささやかな幸せ(笑)。

October 3, 2012

さんま〜

本日の当院のお昼メニュー
(秋の特別メニュー)

さんまの塩焼き(脂がのってまだ十分熱々)
栗ご飯(ほくほく)
浅漬、きんぴらゴボウ
松茸のお吸い物(なんちゃってではなく、ちゃんとしたお吸い物)

とても病院食とは思えないレベルで大満足。もともとウチの病院食は評判がいいのだが、今日は特に素晴らしい!折角なのに写真撮り忘れたのが残念!。

October 1, 2012

1975年ころのコンビニのなかった時代

携帯電話のなかった時代の話。1970年代後半のこの時代実に面白い。
1980年ころから乱立するコンビニも、1970年代はまだ試験的な営業だったと思う。ただしコンビニの存在でお店でものを買うとか食事をするとか、もっといえばサービスを買うとか、それ以前と以後でははっきりと変わったことは確かだ。

一般的には普通の人は「うちに帰ってご飯を食べ」お茶の間(死語)とう「家族コミニティ」や「ご近所」コミュニティがあり、夜は家で音楽を聴くなり読書をするなり、テレビを観るなり(王道)をしていたのだ。つまりライフスタイルと生活の価値観の変化。

それが1970年代のコンビニ黎明期ころから変わった。バブル前兆。そのちょっと前か。Wikiによるとコンビニの歴史は複雑で社会学的にはまだまだいろんな分析があるんだろうけれど、はっきりしているのは1980年代になった時には僕らはもうすでにコンビニの甘い誘惑からは離れられなくなっていた。世の中がどんどん便利になり(というかコンビニ化し)堪え性がなくなって、「だらしなく」なった。逆説的に言えば「なんでもあり」的な不健康な気持よすぎる便利さ、というか。シニカルすぎか?でも台湾とか韓国とかの町中のコンビニをみてもあ、さもありなんと。便利になったことに文句な全然ないのだけれど。つまり、まず食事が劇的に変わった。それにより画一化から個々の自由度のある生活に大きく変わったのが、1980年なんだろう。生活のリズムが確かに変わった。

September 29, 2012

5クール終了

昨日で化学療法5クール目終了。嘔気や食欲不振はなく食事も美味しく食べられるのだが(むしろ運動不足で太った)、とにかく終日眠い。あとはダルさ。自分の活動性の半分くらいな感じ。毎日午後4時過ぎまでほとんどボーッとしてる。前回も感じたけど今回はひどいみたいだ。集中力がないし思考力もあきらかに落ちてる感じ。例の薄皮一枚の感じというか。まあ、この時期は何をやってもクリエーティブな発想そのものが難しそう。仕方ないんだろう。昨日は戸塚でCPCに参加、まあそれなりにこなせたか。来週には復活して再起動、原稿書きを再開したいのだけれど。

September 26, 2012

言霊を受けとることが大切になってくる時代

PeterさんのPeterNote
http://amapetas.tumblr.com/post/32260618278

言霊を受けとることが大切になってくる時代

Peterさん、ありがとうございました!

神津先生のe-doctor 記事

e-doctor 10月号
神津仁の各論卓説

http://www.e-doctor.ne.jp/contents/kozu/1210
神津先生に講演会のことを書いて頂いた。尊敬する先輩からの有難いお言葉。

September 25, 2012

台灣魯肉飯Love


こーめい先生から台灣土産を頂いた。わーい、嬉しいな!!
猫目地蔵パワーで、化学療法継続中です(笑)。

September 24, 2012

Karma! なのだ

なぜか以前からこういう場面に遭遇することが多い。救急救命をやってきた外科医としても外出先での突発的な場面に出くわすことも多かった。他の医師と話していても、僕はそういう遭遇率が高い感じ。日頃の行いの悪さって訳ではないだろう(笑)。

俗に僕ら医師はこういうのを「つく」という。例えば、重症の救急の患者ばかりの当直の夜などを「今夜はつく」とか「XX先生はつく」とか表現する。ちなみに、これは日本に限らない話で、これを欧米の病院ではKarma(カルマ)と言う(医師間では悪い意味ではない)。

これまで、新幹線を豊橋で緊急停止してもらった50歳代の男性のケース、シンガポール航空で突然の下肢痛のインド人の70歳代の女性。この人は結局成田に着くまで。そのまま病院へ入院。後日SQからワインが届いた。たまたまLAXで知人の見送りに行ったゲートの所で昏倒した搭乗予定のカナダ人70歳代の男性。この時はたまたま僕の他周囲に居た僕(外科医)、カナダ人医師(小児科医)、アメリカ人看護師の3人のとっさのCPRをした。それぞれ名乗り出て、各自の仕事をしてチームに引き継いだ。その後は「はいっ、おつかれさん」って別れた。我ながらカッコよかった(笑)。

ちょっと前では田園都市線の車両事故。たまたま乗り合わせた。ラッシュで大混雑の時間。桜新町のちょっと前で電車が止まってしまった。混んだ電車で気分が悪くなる人多数。いわゆるパニック障害の既往がある(と本人が申告する)人が何人もいるのに驚いた。救急車8台出動。現場指揮がたまたま家の所轄の消防署だったので、「あれー、先生なんでここにいるんですか?」と、逆に驚かれた。大混乱のわりには、幸い重傷者もなく撤収。消防庁から感謝状の話があったけれど、丁重にご辞退した。


September 22, 2012

めぐろパーシモン


さなメモ:

 野田佑機さんブログ
Learn by doing

佐藤正之さんまとめ

横井克裕さん(Bingo君)

「ぐうたら忘備録」りみっとさん

Sand & Gem 講演会 2012-9-19

病気が判ったかなり早い時点から、自分が死をどのように受け入れていったのか、できるだけ正直に記録に残しておこうと考えていた。とくにそれが医師としての自分の役割なんじゃないか?と。中学後輩の横井君(BINGO君)が快く今回の講演についてプロデュースをしてくれることになった。彼の他に(しらべ)調さんと宝塚関連(従姉妹たちとの期が近い)のお友達、20年来のNiftyserveの友達(淳子さん、淳ちゃん、鳥羽さん)はじめ多くの友人達の協力を頂いた。その他、映像記録関係では翁長さん、吉澤さん。みんな手弁当で集まっていただいた。みんなプロ。これは本当にほんとうに有難いことだと思う。これもすべてご縁なのだ。

150人くらいで一杯だなって…思っていたら、僕らの予想を遥かに越えて200人以上の方々に集まって頂き感激しきり。会場も快適だったしTED形式のプレゼンは全然リハーサルをしていないにも関わらずとても話しやすい設定で良かったと思う。

今回のように原稿のないレクチャーの場合、講演内容については、僕があれこれ書くより僕以外の人たちが講演を聞いてから書いてくれたもののほうがわかりやすい(笑)。今回は少しクールダウンしてから改めて文章を纏めるつもりです。

講演とその後は会場とのフリートークへ。石川淳也さん、佐藤尚之さん、佐々木かほりさん、スズキイチローさん、内藤誠治さん・・・さらに」終演後はロビーで来ていただいた多くの方々と話をすることができた。至福の時間。こういう場を持つことができた幸せ。そしてその場と時間を共有できた喜び。有難いありがたい。僕は幸せものだ。


ばいきんまん♡

ばいきんまん(柔道・奥沢スペシャルバージョン)
柔道マン・鹿川くんの力作!ありがとう!

September 15, 2012

FMサルース


2012-9-16 日曜日

FM Salus (84.1MHz)  FMサルース ポットラック・ガーデン
香月よう子さん の番組。サテライトスタジオ生放送に邪魔します!
久しぶりの生放送(笑)わくわく。

9/21 開催予定のSand & Gem講演会のご案内です
みなさん、よろしくどーぞ!

荻窪春木屋(中目黒店)

じょうじ君と中目黒「荻窪春木屋」へ。やっぱり僕はデフォルトとしての「支那そば」クラシックが好き。今日も大満足うまうま。

September 10, 2012

僕らは喫茶店で何をしていたんだろう?

1975年recallシリーズ。

通常のコーヒーをホットといった。薄いホットコーヒーを「アメリカン」といってた。冷たいコーヒー(アイスコーヒー)には、ガムシロップとクリームを入れる。瓶に入ったコーラは氷で薄まっておいしくなく、量もあまりなくて薄いレモンが何故か入っていた。レモンスカッシュはちょっとオシャレ感覚があった(錯覚なのだけれど)。必ずチープな合成着色料の真っ赤なチェリー(缶詰)も入ってた。どの店もあの美味しくないあのチェリーがお約束だった。デートで食べたの食べないのとか、どーでもいいことが話題。そういえば、あのチェリーがなくなったのはいつなんだろう?

一時期、アイスココアが流行ったことがあった。目先の利いた商売感覚のある人がこれだ!って、流行らせたんだろう。あの夏半年くらいは男子も女子も原宿周辺では猫も杓子もアイスココアを飲んでいた(と思う)。

喫茶店。2時間も3時間も僕らは時間を過ごした。「だべっていた」という言葉があった。今の若者とは全くちがった時間の使い方だろう。当時はとにかく「話をする」ことが 基本にあったんだと思う。今、スターバックスやサイゼリアに長居しているのも、集団で入ったとしても「個人」なのだ。

下らない、とりとめのない会話ばかりをしていたことは間違いない。しかし、その中からすごく大切なものを学んで糧にしてきたことは事実だ。喫茶店の会話の中から、様々な悩みとか気づきを共有して、議論したり質問したり喧嘩したりしつつ、成長したこのとは間違いない。結構な授業料を払ったけれど、ある意味安いもんだ。

僕らは喫茶店で何をしていたんだろう?

September 9, 2012

Sand & Gem講演会 the Final Call


  • めぐろパーシモンホー
  • 55歳、医師、ミュージシャン、ブロガー...
    marc の講演会です。

    生来健康で超元気。毎日を全速力で走っていた(はず)だった僕は、ある日突然脳腫瘍(神経膠芽腫)と診断され、自分の死と直面することになりました。

    近い将来の不可避な運命として、自分の死が迫ってきているとしたら、あなたはどうしますか?どんなことを考え、何をするでしょう?

    僕が今何を感じ、どんなことを考えているかを、できる限り自分の言葉で皆さんに伝えことが出来れば、と考えています。
     
    めぐろパーシモンホール
    http://www.persimmon.or.jp/know/access.php

    開場:18:30
    開演 : 19:00  
    参加費:1000円(予定)

September 7, 2012

人生シアタープログラム

振り返ってみて
僕の人生にも
大切な転機や
幾つかの決断があった

今考えてみると、
多くの場合、自分でもがき苦しんで
得た答えが、必ずしも究極のソリューションというか、
「求めていた答え」というわけでなく。。。

むしろ自分の知らないところで動いている何かのほうが
「それを」決めていたのだという真実に
驚くことのほうが多い

当然の帰結のように
ごく自然の流れのなかで
落ち着く所に

運命論というか
宿命論というか

人生の流れはすでに決まっていて
自分の関与できることは
限られている

自分の与えれれた宿命
自分の使命
生きている自分が
実現すべき「何か」

悩みに悩んだとしても
実は初めから
道は定まっている
大きな流れの中で
流されてゆく

だからそれを
「受け入れる」ことは
決して「負ける」ことではなく

自分の強さと弱さを十分わかった上で
呵々と笑いつつ
流されてゆく
流されてゆく

この真理を知って初めて
安心安寧の境地に至る道筋が
見えてくるのではないか?

September 6, 2012

順調な経過で吉兆うまうま

荏原病院でフォローアップMRI。2ヶ月ぶりのMRIでインターバルのチェック。約40分間爆睡しているうちに無事終了。お陰様で順調な経過みたいだ。一患者として現状をクールに振り返ってみても、また、医師というひとりのプロとしても、これ以上ない位順調な経過といえるだろう。土居先生、青木先生、こーめい先生ありがとうございます!もちろん、日々の生活で僕と家族を支えてくれるスタッフのお陰です!有難いです、心より感謝してます。どうぞこれからもよろしくお願いします。

さて夜は、一昨日のリベンジ(臨時定休日だった)ということで、小雨の第三京浜を飛ばして、こーめい先生と横浜中華街「吉兆」へ。あさりそば。以前から尚子から超美味しいと情報があったのだけれど、実際食べられたは今日初めて。さすが定番。想像通り&大満足の浅蜊スープだった。うまうま。

梨は女性名詞

果実の中で、梨が一番好きだ。今の季節、キンキンに冷たく冷やした梨に齧り付く幸せ。
上品で清廉んで甘美な果実。あまり自己主張をしない、細やかで嫋やかな果物。
アジア的なセクシーさ、といえるか。

今日梨を頬張っていて、梨は女性名詞だろうなと、ふと思い立って調べてみたら、女性名詞で -poire-(ポワール)とのこと。日本や中国産のは男性名詞で-nashi(s)-(ナシ)と名称する。らしい。ちなみに、「梨」には「愚か・愚か者」という意味があるらしい。どうも、梨の実が熟れると落ちてしまうことから 騙されやすい人とか、うぶな人との意味がるらしい。ま、でも、これは何となく解る気がするな。一般的な「上品な比喩」として、だけれど。

梨そのもの持つ危なさ、異うさ、何か惑わすイメージは、「もも」とか「すもも」のあっけらかんとしたストーリー性とは全然ちがう。

果実の中でダントツで梨が好きだ。

クリムゾン、イーグルス、ポパイ、西海岸、深夜放送

1975年。高度成長期後期。その後のバブルにむけて爛熟する「前」の、右肩上がりの日本。子供は子供なりに、大人はオトナなりに、それぞれの「場」と「立場」があった。その意味では、日本が有史以来最も豊かで将来の不安もなく、未来への希望に道開あふれていた時期といえる。 

生まれてから大きくなるまで、終戦直後からアメリカ文化の洗礼をうけている世代。アメリカの工業力。圧倒的な技術。アメリカ製品の無条件での安心感と信頼性。アメリカ文化へに憧れは、たぶん1950年代のテレビ文化(パパは何でも知っている、アイ・ラヴルーシー…の影響が大きい。そして万博以降はどんどん自由度の増した社会での「軸」になっていく。

ブリティッシュロック。クリムゾン・キングは1969リリース。兄貴世代からボクらの世代に届くまでには、あの時代では6−5年かかっている。プログレッシブロックというものの世界は「別の世界」の入り口なんだろうな、と勝手に思い込んでいた。日本特有の喫茶店文化についても言及する。表参道、公園通り、渋谷、自由が丘など。

イーグルスの登場は1971年デビューだが日本でのヒットは1975年「呪われた夜」。いわゆるウェスト・コースト・サウンドの乾いたサウンドに夢中になった。それまでの、VAN をスタイルとしたアイビー(カントリーウェスタン)文化が、「なんとなくウソっぽい」自分のライフスタイルになりえなかったのに対し、1970年代後半になってやっと「こなれてきた」感じがあったのだ。

エポックメーキングな雑誌、POPEYEの創刊。1976年。当時の男の子のかなりの%が影響をもろにうけているはず。あこがれのライフスタイル(完全にMHの戦略にほとんどの日本人は何の疑問もなく騙されるわけだけれど)。サーフィンに(素直に)ハマる人多かった。西海岸経由でアメリカ文化に留学、遊学、海外への道筋がぐっと広がった。(バブル前の)猫も杓子も、の時代・・・・・時代の元気があった。いい意味でも悪い意味でも、戦後アメリカ資本主義の選択と変化が始まった時代。

しかし、その意味からはまだまだ選択は少なかった。まだまだみんな同じ物を着て同じ同じようなライフスタイルとお仕着せの「ファッション」に「心地良く」騙されていた。オピニオンリーダーの視点で一般大衆は右往左往した。1975前後、当時はそれが快適だったのだ。

雑誌ではGORO:路線が異なるが「激写」など、ヴィジュアル的に斬新。「確実に時代が変わった」事を感じさせた。それまでは「セクシーであること」は「ほんのりとした後ろめたさ」のようなものがあったのに対し、この時代ころから変わった。ビニ本的な暗く淫靡な文化は、はっきりと「あっちの世界」の話となった気がする。つまり選択の幅が広がった。

どうしても追加しておかねばならないのは、ラジオの深夜放送について。全盛の時代。ニッポン放送、TBS、文化放送の3局のどれかをだれかが聴いていた。この時代の聴取人口を考えてみると、今では信じられないようなことがおこっていた。何百万人も若者が孤独な夜でラジオに耳をかたむけ、共通の話題に泣いたり笑ったりしたことだろう。これもある意味、歴史的にも文化的にも、あの時代の日本にたまたま起きてしまった非常に「特別な仕組み」の出来事なだろう。さらに要考察。

そんな状況で、僕らはかぜさんと出会うことになる。まさにご縁なのだ。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜

小説:携帯電話のなかった時代、再構成中。


September 4, 2012

Heading the right direction!

長女かなPがお見舞いに。病室で久しぶりにゆっくり話がで来て嬉しかった。27歳。社会に出てある程度時間が経ち、社会人としての常識や面白さもわかってきているのだろう。薬剤師としても、もちろん女性としても、自信らしきものものがてきているが親として嬉しい。

もともと頭の回転の早い賢い娘なのだ。父として「人生の話」をする機会なんて、それほど機会がないのが普通だろうから、それだけでも十分幸せなことだと思う。抽象的な言い方だけど、彼女がちゃんと「人生の正しい方向性right direction 」を理解していることが判ったことが何より嬉しかった。今日は、将来のこと、仕事のこと、ボーイフレンドのこと結婚の事など…。まだまだ彼女のは「各論」では伝えておきたいことも多数(笑)あるかも。でもこういう穏やかな時間を娘と持つことができて、本当に幸せなことだと感謝。時間が有限だからこそ、人生って面白いのだと。

September 3, 2012

ジャケット写真1974・1975_原宿



ジャケット撮影
 あらきふじお、和田良一
1974-1-20  1975-4(日付不明)
原宿、公園通り(NHK放送センター周辺)

「携帯」プロット 1974年暮れから1975年春のエピソード
当時の空気感がそのままそこにある。このシズル感は…

September 2, 2012

as-a-matter-of-F#CK- toryな話

「携帯電話のなかった時代」プロット 新規追補分メモ
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若者が純粋で汚れてないなんて、嘘八百の神話だ。もちろん若者が「独善的かつ一方的に」的に「汚れちまっった」わけではないけれど。ただ、世の中の常識的な道徳観とか倫理観(のようなもの)は、そんなに単純でわかりやすいものではない。これを大人の階段を登るかなり初期の段階から「どんな子供でも」理解し始めるものなのだ。

世の中はそんなに甘くない

「ピュアなもの:聖なるの」に対する肯定的な立ち位置。(そう!デフォルトとして)。これもちろん正しい。でも実際には(as a matter of fact) そんなに単純なもんじゃないぞ、騙されないように気をつけなくちゃいけない!て、警告が行われることになる。

普通の感性と思考力のあるならば、気づくはずのものなのだ。

この「実際には」とか、「本音でいえば」とか、ぶっちゃけた話…という「本当の話」が
この主人公たちの「さしあたって大きな悩み」だったはずだ。これが、ごく普通の健康な17歳の男の子の生活そのものだったし、彼にとっての最大限の行動のプライオリティは、as-a-matter-of-FUCK-toryだ。この年頃の男は本当に可哀想なくらい単純で、脳の90%はヤルことしか考えていない。

ちなみに、大人になるということは熟れる(こなれる)ことだ。国語辞典によると、「熟れる」(うれる、ではなく、こなれる)って、こういう字であると発見した。へー。

September 1, 2012

碧翔学園高校校歌(架空の高校校歌)


7:48  TOSHIMITSU HATTORI  

バーチャルな高校(県立碧翔高校)====================

小説「携帯電話のなかった時代」プロットより
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清(さや)けき 淵の
木漏れ日に
優しき花々 咲き満ちる
友と 途行く その先に
耀(あか)るき 明日 
皆 輝けと

空高き 峰の
気高さに 
心 洗わる 早朝(あさ)の途
四季を 彩る 名も知らぬ
草木の 真実(まこと)
究めんと

未だ見ぬ 広き 大海に
漕ぎ出す 勇気 持ち続く
この日のために 励みつつ
涙も 誰のため でなく

清き 流れの
風波(かざなみ)に
友と 戯むる 放課後に
昂ぶる 心 その先に 
輝け 我(わ)らの
学び舎で

未だ見ぬ 広き 大海に
漕ぎ出す 勇気 持ち続く
この日のために 励みつつ
涙も 誰のため でなく

(2006年、作詞:松村光芳 作曲:篠根丈二

餃子Love

宮崎台「北京」の餃子。急に餃子が恋しくなり、夕刻より、こーめい先生と行ってきた。ここんちは斎田&高山両船長に教えてもらったお店。街のふつうの中華屋さんだけれど、ふつうじゃない技量。餃子好きは多いし、ある意味どこで食べてもそれなりに美味しいことが多いけれど、ココんちは一線を画す。サイズやや大きめ。餡は軽めだけれど十分なボリュームでしっかり。完璧な時間と火加減で、カリッと焼けた皮が秀逸。この写真だけでどのくらい美味しいかわかるはず(笑)。

August 31, 2012

E-doctor より転載させていただきました


神津 仁 院長
神津 仁 院長
1999年 世田谷区医師会副会長就任
2000年 世田谷区医師会内科医会会長就任
2003年 日本臨床内科医会理事就任
2004年 日本医師会代議員就任
2006年 NPO法人全国在宅医療推進協会理事長就任
2009年 昭和大学客員教授就任


1950年 長野県生まれ、幼少より世田谷区在住。
1977年 日本大学医学部卒(学生時代はヨット部主将、
運動部主将会議議長、学生会会長)
第一内科入局後、1980年神経学教室へ。
医局長・病棟医長・教育医長を長年勤める。
1988年 米国留学(ハーネマン大学:フェロー、ルイジアナ州立大学:インストラクター)
1991年 特定医療法人 佐々木病院内科部長就任。
1993年 神津内科クリニック開業。
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「夏にはいろいろなことが起きる~松村光芳先生とのこと~」

http://www.e-doctor.ne.jp/contents/kozu/1209/
 夏風邪といえば、プール熱に代表されるようなアデノウィルス感染が定番と思うのだが、今年の夏は「咽頭結膜熱」といわれるアデノウィルス感染の症状をあまり見なかった。2009年の夏には新型インフルエンザが流行した。暑い夏にマスクをするから、眼鏡が曇って困ったことを思い出す。その感覚があるから、高熱を出す患者を診ると、すわインフルエンザかと「インフルエンザ簡易テスト」をやってみるのだが、陽性になる患者はいない。時々見るのは「成人百日咳」で、まだまだ市中では流行っているようだ。長引く咳、咳き込んで夜も眠れない、という患者がいたら、是非百日咳抗体価を調べて欲しい。適切な指導と治療によって、感染の拡大を防ぐことが出来るからだ。国には、海外と同様に「青年用三種混合(Tdap)ワクチン」が早く使用出来るよう、さらに努力を重ねてもらいたいものだ。
 さて、8月3日から英国のHull York大学の5年生が3人研修に来た。世田谷区若手医師の会の幹事をしてくれている松村光芳先生が、ボランティアで海外の学生を日本に受け入れる窓口をしていて、その活動の一環である。当初から、松村先生の出身校である昭和大学と松村先生が院長をしている奥沢病院とがホストとなって学生を受け入れている。病院だけの実習では味気ないので、クリニックとして彼等を引き受けてもらえないか、と松村先生から頼まれた。松村先生はニュージーランドで小児外科のレジデントを経験し、とても親切にしてもらったから、その御礼にと海外の学生の地域医療実習を引き受けることにしたという。言葉で説明するのは簡単だが、実行するのは誰でもが出来ることではない。私もアメリカ留学で国際的な感覚を身につけていたし、言葉もそれほど不自由しないので、松村先生の依頼であれば、と毎年海外の学生を引き受けるようになった。私と同じようにアメリカでの暮らしが長く、英語が出来る外科医の島津盛一先生も研修生を引き受けてくれた。
 第一回の研修生受け入れは2003年、Manchester Universityの5年生のMark Ashton君だった。彼は柔道の有段者で、講道館で柔道をやるのが夢だったとのこと。とても優しい好青年だった。

 英国では、5年生が日本の6年生と同じ医学部の最終学年に該当する。この学年を終了すると医師になるのだが、卒後研修を受ける時に、病院勤務医になるのか、研究者になるのか、保健所などの公衆衛生の場で働くのか、あるいはcommunity doctorとして家庭医(general practitioner=GP)になるのかを決めなければならない。MarkはGPになることを決めていた。数年前に松村先生が彼の結婚式に呼ばれて英国に行ったと聞いた。今では立派なGPとして地域で活躍していることだろうと思う。
 第二回は2004年にカナダからPeter Pavlovich君が来た。

 大学はUniversity of British Columbia Medical Schoolで、やはり5年生。アメリカ、カナダでは、医学部のある大学に入る前にcollegeを出る。加えて社会的な活動をしたり、研究室の助手の経験をしたりすることが、医学部受験の時に有利な条件となる。Peterも物理系collegeを出ていて、学生の時にいろいろな奉仕活動をしていた。socialdanceが得意な好青年だ。彼は眼科志望だったが、カナダでは眼科医になるのは狭き門の様で、一年留年してまた翌年に日本に来ている。今は病理医としていろいろな病院で活躍していると聞いた。

 彼の日本贔屓は、愛車がNissan Skyline GTRというのでも分かる。一昨年久しぶりに日本に彼が来た時に旧交を温めることが出来た。私の愛艇に乗せて城ヶ島でマグロ寿司を食べたのは楽しい想い出だ。
 その後、香港の学生、フィリピンの学生、カップルで来たイギリスの学生、オーストラリアから来た学生など、様々な学生たちが来日して実習をしていった。このactivityが始まってから、もうそろそろ10年になる。最初のうちは松村先生のお知り合いの弁護士さんがhome stayの場を提供して下さって、そこから医療機関に通っていた。そのうちに昭和大学にある国際交流センターが受け皿になって、医学部構内から徒歩1分のstudent flatを宿泊施設として提供することが出来るようになった。本来、昭和大学の国際交流センターは、日本国外の他大学に昭和大学の学生を派遣して様々な経験をさせるということが目的の施設。ホームページの紹介文を見てみると「1年生には海外生活の体験と英語教育を中心に、2年生からはライフサイエンスのクラスに参加できるように、さらに高学年では臨床の現場で実習できるカリキュラムを組んでいます。2006年度より1年生に米国オレゴン州のポートランド州立大学での4週間のサマープログラムを提供しました。ホームステイは米国の生活を知る上で大きな意義があり、全学部から2006年23名、2007年13名が参加しました。専門科目の教育が本格化する2年生からは、長期休暇を利用して海外の提携校で基礎科目を中心としたライフサイエンスの勉強を学ぶ学生も増えています。ここでの海外生活体験記は、レポートとして毎年提出させています」とある。その逆に海外の学生を受け入れる、とは書いていないのだが、松村先生の趣旨に賛同して、支援をしてくれている。「理事会を通さないと…」などと、堅苦しいことは抜きにして協力してくれる昭和大学は素晴らしいパフォーマンスだ。今回も、国際交流センターの三浦さんがいろいろと準備を手伝ってくれた。
 実は、今回の英国のHull York大学の5年生3人の受け入れに関しては、いささか従来とは勝手が違った。というのも、いつもは松村先生が大方の準備をして、私と島津先生はclinicサイドとして学生を一日か二日預かればよかった。時には学生を飲みに連れて行ったり、家に呼んでうどんを食べさせたり、海に連れて行って船に乗せたりと、お互いに国際交流の機会を楽しめばよかった。しかし、今回は松村先生が病に倒れた。たまたま撮った頭部MRIに影があって、それが良くないものだった。手術をして放射線をかけ、化学療法をするのだが、脳機能の低下が時折起こるために、今までやっていたような全体をorganizeすることが出来なくなったのだ。「学生教育に慣れた先生に是非お願いしたい」と電話を頂いて、事情が事情だけに引き受けることにした。それから、学生たちとのメールのやり取り、昭和大学との連絡という、新しい仕事が出来た。大学側が必要な書類(CVやID作成用の顔写真の提供、ワクチン接種記録など)を用意するのに学生とメールで連絡を取るのだが、時差が8~9時間あるのでレスポンスが遅く、学生の方は4年生の期末試験で忙しくて連絡が取りづらい。まったくの初対面だから、最初はメールのやり取りも控えめになっていた。そのうち慣れてきて、割合と気持ちが通じる文面になって来た。その中で、何日のいつの便で来るのか、だれがどこに迎えに行くのか、など細かい打ち合わせが必要になって、何回もメールのやり取りをした。いくつかのメールを紹介しよう。
 そんなこんなで、8月3日、Jessicaから電話が入った。
「これからリムジンバスに乗ります。午後2時頃に着く予定です」
と。無事着いたのだ。
「私のwifeが迎えに行くから、セルリアンタワーホテルで降りて待っていなさい」
と電話口で伝えて、家内に迎えに行ってもらった。
 よく聞くと、この便で日本に着いたのは2人で、ポルトガル人のJulioは5日に来るとのことだった。イギリス人が二人、ポルトガル人が一人の三人が今回の実習生だ。クリニックには三人揃ったところで6日に来てもらった。午前中はクリニックのオリエンテーションをして、昼ご飯に三軒茶屋のキャロットタワーにある「三崎港」という回転寿しに連れて行った。このために「Sushi English」という、寿司ネタを英語で書いたネット上の資料を渡した。young yellowtailはハマチ、salmon roeはイクラ。イクラは初めて食べた、と喜んでいる。Julioが美味しいと言ったのはクジラだった。寿司の皿が色とりどりなのは、色や柄によって値段が違い、最後に皿の色と柄を揃えることで計算が簡単になるのだと説明すると、感心していた。

 実は、松村先生と私は彼らが日本に来る前に、どこを実習先にしようかと相談をしていた。7月の終わり、暑い日差しの中、松村先生を入院先の病室に訪ねたのだが、短パンにTシャツでリラックスした感じで私を迎えてくれて、思いのほか元気で安心した。昭和大学では連年通り小児外科病棟での見学をすることになっているとのこと。しかし、それ以上のmanagementは今の松村先生には難しいと分かった。「漢字が出て来なくて、変な文字になってしまうんです。英語はまったく問題ないんですが」と戸惑いを隠さない。それでは、八王子の永生病院と原宿の甲状腺疾患専門病院の伊藤病院にお願いをしてみましょう、とその場で永生病院の安藤高朗先生と伊藤病院の伊藤公一先生に電話を入れた。二人とも、一つ返事で快諾してくれた。永生病院は地域の中核的な医療・介護施設として、素晴らしい活動をしている。介護老人保険施設、認知症グループホーム、地域リハビリテーション支援センター、また一般救急対応まで、地域のニードに応じて展開する日本型の地域医療密着型病院を是非見て欲しいと思った。また、甲状腺疾患に特化した高機能型の市中病院が日本にあることを知って、彼らがどう考えるかも聞いてみたかった。
 さて、彼らはこの実習の間に京都へ行き、スカイツリーで買い物をし、富士山に登った。日本を楽しんで、日本の医療文化の一端に触れ、Fareastの国の人達を知ることによって、今後の医師の人生がそれまでと違ったものになったら、それはそれで良い経験なのだろうと思う。

 松村先生が作ったこんなに素晴らしい国際交流の場が、今年を最後に、なくなってしまうかもしれない。というのも、松村先生の病状がcriticalだからだ。この文を書いている今も、化学療法で叩かれて辛い思いをしているに違いない。しかし、そんな自分を医師の目で客観的に見ている、素晴らしいpersonalityがいる。松村先生の意思を、どのように繋いでいったら良いのだろうか。今こうしてHull York Universityの学生の面倒見ながらも思い悩んでいる。この夏、いろいろなことが起きて、空気は次第に秋の匂いを漂わせている。若い燃えるような命と引き換えに、終末に向かっていく命とその輝きを見つめながら。

 松村先生が、9月21日に講演会をすることになった。「めぐろパーシモンホール」だ。住所は東京都目黒区八雲1-1-1(TEL:03-5701-2924)。開場18時30分、開演は19時の予定だ。200人は入れるホールなので、読者が何人か来て頂いても大丈夫だと思う。以下、松村先生自身のアッピール文を載せておきたい。
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☆ 55歳、医師, ミュージシャン, ブロガー, marc の講演会です。
 生来健康で超元気。毎日を全速力で走っていた(はず)だった僕は、ある日突然脳腫瘍(神経膠芽腫)と診断され、自分の死と直面することになりました。
 近い将来の不可避な運命として、自分の死が迫ってきているとしたら、あなたはどうしますか?どんなことを考え、何をするでしょう?
 僕が今何を感じ、どんなことを考えているかを、できる限り自分の言葉で皆さんに伝えることが出来れば、と考えています。
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2012.09.01 掲載 (C)LinkStaff
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