助けあいジャパン

July 31, 2011

波間に揺れながら:今年第二弾


先週末に引き続き、斎田キャプテンのハミングバードII号でクルージングにお誘い頂いた。斎田夫妻、高山さん、小西先生(心臓外科医、62歳の現役フルマラソンランナー)、中村先生(消化器内科医、水中カメラマンのプロ)、それから、僕。お二人とも魅力的でユーモア溢れるキャラクターですぐに打ち解ける。家からはかなPとさとちゃんが参加。今日は、快晴とは言えないあいにくの天候ではあったけれど、さすがに湘南房総を知り尽くした彼らの判断は素晴らしい。風向きから千葉保田方面に進路を変更して、東京湾を横断して去年連れて行ってもらった保田の浮島周辺でシュノーケリング。気温は凌ぎやすく陽射しもピーカンでないので、キツくない。波も意外に静かで、先週と同様に気持ちよく波間に漂う。その後は保田「ばんや」で大満足のいつもの漁師料理。大人気店。金目鯛の唐揚げ、烏賊のかき揚げ天ぷら、近海物の刺し身盛り合わせ&寿司、いくら丼、などなど。大満足で出航して午後からは金谷沖の漁場へ。ここで釣り大会を楽しむ。帰路、三浦半島の西側に回ったあたりから雨が落ち出した。海上を進むクルーザーにとって雨というのは余り気にならなかったけれど、上陸したら結構雨が降っていた。今日も一所懸命遊んだので一日があっという間で夢の中の出来事みたいな感覚だった。熱いシャワーですっきりしてから、斎田家の秋谷の新しいマンションへ。素晴らしいロケーションとドラマのセットかモデルルームみたいなおシャレな内装だった。居心地のいい空間でのセカンドパーティも楽しい会話とおいしい食事であっという間に20時。がらがらの道路を飛ばして帰宅。
最高に気持ちのいい週末を有り難う!>キャプテン!

July 30, 2011

Life as we know it

午後から、たまプラーザでK先生に「お任せ」で歯科治療。ほぼ10年ぶりくらいか。今回、ちょっと集中して治療することにした。近い将来には本格的なインプラントが必要なのだけれど、それまでにいくつかの問題を解決する必要があるらしい。まな板の上の鯉状態で1時間。その足で隣のジムに直行して10本500m。このところ右肩の違和感(上腕二頭筋の近位付着部)があり軽めにしておく。夜ご飯は家族で宮崎台の「北京」へ。先週末教えてもらって家族で再訪した。ココんちの餃子と担々麺は絶品。

夜はDVDレンタルでLife as we know it (邦題「かぞくはじめました」)。娘たちが借りてきてみていたので、僕も期待しないで観始めたら結構ハマってしまった。舞台はアトランタ(懐かしい!)。親友の夫婦が突然一人娘の赤ちゃんを遺して交通事故で死んでしまう。死んだ彼らの遺言状で親権を託された男女の物語。こんな同居生活ってあるんだろうか。まず家族ごっこを初めて次第に本当の家族になっていく。家族、恋愛、友人、親戚、近所付き合い、セックス、離婚、ゲイの夫婦など、今のアメリカの姿が垣間見えた。ハッピーエンドはお約束だとしても、コメディとしても上質で週末夜にソファーでぐだぐだしながら観るには最適の映画。映画のオリジナルタイトルが暗示的。これは好きだな☆☆☆。

July 29, 2011

納涼会2011

職場の納涼会@Palms Cafe自由が丘。
初めからユルユルで楽しい時間。こんな場にはいんちょは不要だ(笑)

いつも思うのだけれど、このフランクな雰囲気は、この職場に集った多くのすばらしいキャラによるものだ。その意味で、今僕はスゴく恵まれていると思う。とはいえ、過去にはソレなりにいろいろとあったこともあるのだけれどね。

今年は311があって、いつの間にか夏になってしまい、その時の流れには例年以上に驚嘆する。2011年は忘れられない年として皆の記憶に残る年になるのだろう。これから暮れに向かって、さらに時間の流れが加速するだろう。

ほろ酔い気分でたまプラに戻り、「汐のや」にて〆ラーメン。ダイエット中だけれど気分よく酔っぱらい、今晩は「ま、いいか!」とする。さて、今週末もてんこ盛りスケジュール。夏本番。

July 28, 2011

浮き世の柵を整理するための一歩

54歳ということで、来月が命保険の切り換えのデッドライン。娘たちの子育てもほぼ終了し、今僕が突然死んだとしても自宅のローン補償の保険があるので心配なくなっている。つまり今までかけていた保険の意味は殆どなくなっている訳だ。次の契約更改までの10年間をどう考えるか?ということ。自分が死んだ時の葬式代(笑)くらいの基礎部分が維持できていれば、まあいいかな・・・と考えるに至った。あと掛け捨ての医療特約かな。保険というのは、ある意味自分の値段を客観的に評価することなのだ。ふと立ち止まって自分の人生について考えるきっかけというか。日本生命のFPは優秀だし親身になって相談に乗ってくれていろいろと学んだ。本当に保険というのは難しい。今さらながら「へーー」とか「ほほう!」という発見がある。これほど長期間かなりのお金を支払う商品なのに、そこまで自分の保険の内容を把握している人は少ないんだろうな。

平成11年からずーーと気になっていた一件があって、今回の生命保険の切り換えを機会に一気に事態が進展しはじめた。これも今年の年回りなんだろうか?干支一回りという不思議な縁というか。そんなこんなで、今日はモロモロの柵とここ12年間の苦労と悩みに対して、ぐぐぐっと色んなプロセスが進んだかな。ここら辺ですっきりとすればいいなあ・・・としみじみ思った。

July 27, 2011

本棚をみれば人がわかるか?



7-27-2011の本棚(右上中段2列目)
夢をつかむイチロー262のメッセージ
ダブル・ファンタジー(村山由佳)
東京奇譚集(村上春樹)
市場原理が医療を滅ぼす(李啓充)
プロフェッショナルマネージャー(ハロルド・ジェニーン)
味覚三昧(辻嘉一)
海馬(池谷裕二、糸井重里)
探検する英和辞典
編集者という病い(見城徹)
日本辺境論(内田樹)
スティーブ・ジョブズ驚異のプレゼン
お艦の味(海上自衛隊)
宇宙飛行士選抜試験(大鐘良一)
やせれば美人(高橋秀実)
からくり民主主義(同上)
お金をちゃんと考えることから逃げ回っていたぼくらへ(邱永漢、糸井重里)
ご先祖様はどちらさま(高橋秀実)
極楽おいしい二泊三日(さとなお)
中国とこれからの正義の話をしよう(文藝春秋)
3.11と日本の運命(中央公論)
気まぐれコンセプト・クロニクル(ホイチョイ・プロダクションズ)
・・・

オフィスの書架の右上中段2列目。僕は本をぐちゃぐちゃにして読むタイプで、あまり収集に興味がないし整理もあまりしないけれど、手元においておきたいものはアップデートしながらなんにも考えずに一応書架に置くことにしている。右上中段2段目はそんな場所だ。本棚をみるとその人のヒトトナリがわかるという古典的なネタがあるけれど、まあ、ある意味で真実かもしれない。定期的に本棚を撮影して記録しておくもの面白いかも。

まあ、それにしても「節操のない」頭の中だわ(自嘲)。

July 26, 2011

薄情な浮気者である読者

仕事関連の雑誌(Journal)は別として、決まった雑誌(magazine)を定期的に買わなくなって久しい。子供の頃は学研の「科学」とか「学習」、さらに色気がついてからはGOROなどの男性雑誌、POPEYEはある意味教科書だったし、BRUTUSやPLAYBOYにはかなり影響を受けたと思う。基本的には月刊誌で、ある時点まで途切れる事なくこれらの「いつも買う雑誌」があったと思う。発売日が待ち遠しいという「あの感覚」。今はないなあ・・・。その時の自分に必要な「情報」とか「刺激」がまだ雑誌にあった時代。今でも雑誌は大好きだけれど、本屋さんで眺めてからアトランダムに買うことがほとんど。月に4−5冊は買うけれど、これはたぶん今の時代じゃ稀な事なんだと思う。

たぶんこれは、ネットに流れる多層的で流動的な様々な情報の成熟化とそのスピードが、昔の「雑誌的なもの」を駆逐しつつあるということなんだと思う。その意味では週刊誌には厳しい時代なんだろう。今更だけれど、「文春」とか「新潮」とか「現代」とか「ポスト」みたいな「総合誌」が存在しているのが不思議ではある。世界的にみるとまだまだ日本はテキスト文化の国だし、たぶん「価値観」のブレがそれほど大きくない社会だからなんだと思う。電車の中吊り広告をみると、ちょっと読みたくなるコンテンツがあることもあるけれど(笑)、わざわざ買うことはほとんどないなあ。とはいえ、今も昔も患者さんのベッドサイドをみると、これらの雑誌が置いてあることは多い。つまり、そういうことだ。べつの文脈でいえば、その時読んでいる(定期購読している)雑誌をみれば、その人のセンスも考え方も想像がツクということだ。

話がずれた。
定期的に買っていた雑誌を買わなくなる理由について、今日考察した。

①紙面や内容に「飽きる」
②旅行とかでたまたま2−3週間買わないでいると、もうフォローする気がしなくなる。
③編集方針ががらっと変わり、急激に面白くなくなり「怒りを持って」買わなくなる。
④ハマっていた連絡小説が終了
⑤嫌いな作家の連載開始
⑥グラビアの質。好みの変化。
⑦ライバル誌の存在。
⑧まったく新しいコンセプトの雑誌に目移りする

消費者(読者)は薄情な浮気者なのだ。だって責任ないもの(笑)。
①と⑦⑧は表裏一体。

July 25, 2011

自分にとって最高の一日とは?と自問する

5時前に目覚めて、昨日の楽しかったクルージングを憶い出しながら、つらつらと考える。人生の折り返し地点を過ぎて日々の生活の中で僕らはどれだけ人生を楽しんでいるか?と自問する。幸い今のところはhand to mouthの生活ではなく、社会的な立ち位置も決まった。子供達はほぼ子育てを終わって、自立できるまで成長した。突然僕が死んだとしても路頭に迷う事はないだろう。つまり自分のDNAを世の中に残したし、後は人生を精一杯楽しんで、少しでも社会に貢献することに専念してもいいのではないか?と思った。

人生を楽しんでいるかい?
日々の生活をエンジョイしているかい?
自分を抑えてムリしていないかい?
言いたい事を十分言って、やりたい事を我慢していないかい?
ジジイ臭く「悟る」とかではなく、生活の意識とか視点とかで自分のヘンなこだわりとか柵、さらには分不相応な欲を捨ててしまえば、もっとシンプルに生きられるだろうし、もっと気楽に人生をエンジョイできるんだろうなって思った。

50歳過ぎて、自分じゃ結構やっているつもりだったけれど、実は「まだまだ」だと思う。日暮れて、道遠し。ネガティブな意味ではなく、今後の指針として。

気持ちよく朝目覚めて、仕事をして、気持ちよく身体を動かし、おいしくご飯を食べて、好きなものに囲まれて、家で楽しいお酒を嗜み、気持ちのいい眠りにつければ、たぶんそれが僕にとって最高の一日なんだろう。つまり「普通の一日」ってことだ。

そんなこんなで、様々な言葉に感嘆しつつ、内田樹先生の「最終講義」を読んでいる。

July 24, 2011

この広告、勘違いなのか冗談なのか?



田園都市線車内の広告。僕は広告の素人だけれど、この大学はどんな学生を募集したいんだ​ろう?と心配になってしまった。大学っていうのは「楽しむ」ところではなく「学ぶ」場所だろう?えっ、違うの?
この広告を企画した人は「うちの大学はこんなに楽しい(僕に言わせればアホっぽい)雰囲​気です」ということを、ウリにしたいのか?一番大切な大学教育をどう考えるのか?とか、どんな学生を募集したいのか?という根本的なディスカッションを、クライアントとしているとは到底思えない。

「こんなバカっぽい人でも受け​入れています」という「敷居の低さ」を強調したいのか?それなら、入学試験なんてするなよ。オープンキャンパスなんて無意味じゃん。百歩譲って、​このコンテが上がってきた時にそれを受け入れたのは「うちの大学​は懐が深くこんなキツいジョークだってわかるんだよ、ふふふ」​という余裕なのか勘違いなのか(爆)。

さらに『XXX(大学名)、のち、スマイル!」というコピー 

この句読点の打ち方の唐突感、さらに今の時代に「スマイル」で決めるのかよ!という驚き。さらに最後の「!」の意味不明.
やっぱり確信犯的なのかな。これだけ気になるんだから。

波間に揺れ漂いつつ浮き世を忘れる日曜日

斎田キャプテンとシーマン高山君の御厚意で毎年恒例のクルージング。もうワクワクして嬉しくて4時過ぎには目覚めてしまった。片倉町で彼のジャギュアーにピックアップしてもらい、湘南シーサイドマリーナへ。そこでじょうじ君&根津さんとかおりちゃんと合流して、出航。

台風一過の海は穏やかで真夏としては過ごしやすい気温で絶好のクルージング日和。気持ちのいい海上を飛ぶように進む斎田新挺。前の挺よりふた周り大きくなったこととパワーが大きいので剛性も高く乗り心地も素晴らしい。なにより安心感がある。途中ちょっとだけ操船させてもらった。わくわく。快調に飛ばし1時間半で伊豆大島に到着。昔から湯河原の吉浜から天気のいい日には眺めていた大島だけれど、ここまで近づいたのは初めて。予想以上に手つかずの大自然があって、火山島であることからかなり雰囲気がニュージーランドの島に似ている。北側の岡本から乳が崎に西方向に回り込み(東南からのうねりが強かったため)、千波崎の沖で停泊。ここでシュノーケリング。三浦半島の海辺とは全然海の色が違って深みのある群青色だ。シュノーケリングで波間に揺れる浮遊感覚。釣り組は大きなイサキや石鯛が釣れた。あっという間にお昼になり、波浮港に上陸。島の東側は大きなうねりで高波だったけれどシーマン達のさすがのテクニックで入港、自然の良港の波浮港内は嘘のように静かで、夏祭りの御神輿をやっていた。


お昼は高山君のご推薦の「大関寿司」へ。地場の魚の尾長とか青鯛の刺し身。あしたばのお浸し、あら汁、直球勝負の握りも美味しかった。
波浮港を散策。この昭和の空気はどーよ。港町の「置屋」だった「みなとや」という史跡を訪れた。なんとも物哀しい空気。昔は漁船の中継地として栄えた港だったとしても、その昔にこんなに離れた島の置屋に売られていった女達と荒くれ男達の物語は、切なく悲しい。小雨まじりのこの小径の写真が撮りたいと思った。いくつかのショット。


出航後、島の東側を北上。海岸線の荒々しい波濤、この手つかずの大自然。気持ちのいい船の揺れで一瞬微睡んでしまった。この季節としてはスゴく凌ぎやすい気温で気持ちのいい風の中を進むクルーザー。至福の時。岡田港の手前でちょっと停泊してシュノーケリングを小1時間楽しんでから、湘南へ戻った。1時間半のクルージング。斎田船長と高山君のシーマンとしての底抜けの明るさとホスピタリティに、いつもながらおんぶに抱っこの一日。海の上に居ると時間があっという間だ。子供の頃夢中で外遊びして気がついたら夕方っていう感覚にスゴく似ている。日頃のしがらみから離れて無心に遊んだ最高の時間だった。



クラブハウスのシャワーでさっぱりしてから、また斎田キャプテンのジャグアーに乗せてもらい、高山君おすすめの宮崎台の「北京」へ。餃子好きの僕らを喜ばせてくれようとする彼ら一流の気配りなのが嬉しい。こんな自宅の近くに美味しい餃子のお店があるとは知らなかった。野菜たっぷりのジューシーな餃子はさることながら、驚きの担々麺/これにはぶっ飛んだ。ちょっとハマりそう(笑)

今日もNEX-5を持参したもの海で傷めるのがイヤで試し撮り程度しか撮れなかった。上の画像が今日のベスト3か。加工して面白くなった。

July 23, 2011

濃い土曜日

午後から五反田のトリウミ君の事務所で打ち合わせ。オヤジがらみのモロモロの法的な問題点について、的確なアドヴァイスをもらった。平成11年からだからもう12年、干支一回りになるのだ。最近、かなり進展があり事態打開の方向性が出てきた。ここら辺で一区切りがついてくれればいいなあ。その後は彼の扱っている事案とその資料に対する医学的な意見などをアドヴァイスする。高校時代サッカー部で泥んこになってサッカーをやっていた仲間同志で、今弁護士と医者という立場でお互いがプロとしての忌憚ない意見交換が出来るということは、本当に有り難い事だと思う。日比谷で学んだ財産のひとつともいえるか。昼ご飯は五反田「荒井屋」で鰻重。香ばしい濃いめ味の江戸風で僕の好みで、美味しかった。今日はごちそうになりました、今度は俺ね。

帰路、渋谷のBICに立ち寄りカメラを物色。i-phone以外に普段持ち歩くコンデジがあったらいいかな?と。RICHOのCX-5、これがなかなかいい。一番のウリは操作性と画像エンジンの性能。店員さんも親切に他機種との比較をしてくれ、かなりぐらっときたけれど(それに貯まったポイントを使えば今なら2万円しないのだ!)今日はかろうじて踏みとどまって、スン止め。夜は、横浜アリーナの「ゆず」のコンサートに行っていたかみさん&娘たちをピックアップしてから、馬車道「てっしょう」へ。

July 22, 2011

メモランダムとして:LFMBP

MR. BELLPEPPER原案
Nの魔力のプロット
天使の環
徐福伝説

プロローグ
冬春夏秋というサイクル
「起」としてのストーリー
孤独な老人 仙人
ordinary people
夢のような生活が実現したとしても、という当たり前の結末
輪廻、再度の夢:夢から醒めた夢をみている:承
託されたメッセージの意味?
IZUM? 神社の社 礎石 苔むした庭
転①
鋭角的な都市と その暗喩として乾燥した荒野 
対比としての 海辺の町 港町
転②③ 起承(ウラ)
時空を超える
日本海溝の洋上 ゲーム
転:
記号としての「大富豪」と「大貧困」
転結(ウラ)
結:
エンディング①
エンディング②
エピローグ
トリビュート:杜子春 

July 21, 2011

ジョーカーゲーム&大山巌・捨松夫妻のこと

「ジョーカー・ゲーム」 柳広司(角川文庫)
今更なんだけれど、忘れないうちに記しておこう。半月くらい前に読んだ。新刊の時から話題で確か「本屋大賞」か何かを貰っていたと思う。書店に平積みになっていて、巷の評判が高ければ高いほど僕は余程の事がなければ手に取らない。もともと天の邪気ということとケチだから(笑)。一番の理由は本は持って歩いていろんな状況で読む(例えば電車での移動中とか)なのでポータイリティが大切なのだ。ということで、今回文庫本になって初めて読んだ。同時多読だったので数日かかったけれど、集中すれば3時間で読めるだろう。スパイゲームのエンターテインメント小説。太平洋戦争前の日本の諜報機関養成学校の話。中野学校がモデルになっているのは明白なのだけれど、僕らの世代にはすごく懐かしいのだな。昭和30年代の少年達のエンターテインメント漫画や映画やプラモデルにおける大きなテーマは「戦争」だったし、明治時代から続く国際諜報戦における日本スパイの活躍(日露戦争の明石大尉のヨーロッパでの活躍)から始まり、戦前の中野学校のスパイ養成学校の話など、僕らにはどれもワクワクものの題材だったのだ。今思い返してみても、今の自分の右翼傾向とかスパイのダンディズムとかニヒリズムに対するシンパシーとかは、この時期に形成されたと思う。さはさりながら、この小説は「あの雰囲気」満載で、小説の構成や着想展開も飽きさせない。この結城中佐と彼を取り巻く男達のスパイゲームに、しっかりハマってしまった。作者の「思うつぼ」にどっぷりとハマれればこれほど気持ちのいい事はない。早く続編出ないかな。☆☆☆☆。

閑話休題、今朝の産經新聞での山川あらため「大山捨松」女史の話もすごく心に残るエピソード。寡聞にして知らなかったけれど、幕末の会津藩(つまり朝敵とされた)の幕僚の娘として生まれた捨松が、津田梅子(津田塾の創立者)とともにアメリカに渡りアメリカの近代女性とともに第一線の教育を受けて日本に帰り、明治から大正にかけてのセレビリティの星として輝いたという話。今は居ない、いわゆる「鹿鳴館」の時代から大正初期の国を背負った「本物のセレブ」の話だ。以前から僕は、①あの時代に日本の若い女性をアメリカに留学させようとした当時の日本の知識人の胆力と先見性、さらに彼らの財力、②その期待に応えた女性たち。③彼女たちがその後の日本社会(アジア社会ともいえる)に与えた多大な影響などに、興味があった。さらにその捨松さん(魅力的な女性)とあの時代に「恋愛結婚」をした大山巌にも興味が広がる。薩摩隼人が会津藩の娘と結婚するというのは当時の常識から言えば、まさにドラマだろう。また調べたいことが一つ見つかった。NHK大河ドラマでやって欲しい、是非!

病棟回診>学会>往診>ジム>連携会議>〆はスタッフの慰労も兼ねて焼肉「漢江」@自由が丘。

July 20, 2011

スイスと云えば・・・



スイスのお土産で、Santis Maltというシングルモルトのウィスキーを頂いた。
スイスの連想でいろんなことを憶い出した。高校2年の夏、イギリスのケンブリッジに短期留学していた僕らは帰国前の週末にスイスに2泊3日で旅行した。ロンドンからチューリッヒに飛んで、インターラーケンからグリデルバルドを通過して、ユングフラウヨッホに登頂しアイガー北壁を通る登山電車に乗った。泊まったのはチューリッヒのノヴァパークホテルだった。ちょっとコじゃれた近代的なホテル。高校生の僕らはなぜか当時流行していた「こっくりさん」を徹夜でやっていたなあ(笑)。チューリッヒ湖にボートで出ていたら、周りのヨットの若者達(男の子も女の子も)が「全裸」で泳いでいてそれに刺激されて、僕ら(モリタとキイチローと僕)も「やっちまおう!」ということで全裸で泳いだ。当時の若者達(僕らも現地の若者も含めて)そういうバカなこと(公衆の面前で全裸になっちゃう事)が、なぜか「カッコいい事」って思っていたフシがある。ヒッピー思想とかフリーセックスみたいな高邁な思想があるわけでなく、アッケラカンとした感じというか。時間としては10分くらい湖で泳いでいたんだろうか。突然天気が悪くなり土砂降りの雨が降り始めた。後で知った事だが、チューリッヒの夏の天気が変わりやすいことで有名。ヨットの連中はさーーーっと離れていき(バイバイをしていた女の子のおっぱいはぶるんぶるん振るえていた<笑)、取り残された僕らは(びしょびしょになった服を着て<笑)必死に岸までオールを漕いだ。それからホテルまで帰るまでが大冒険だった。今考えると赤面を禁じ得ない若気の至りなのだけれど。チューリッヒを訪れる日本人は数多いけれど、今も昔も湖で全裸で泳いじゃう日本人はそんなにいないんだろう。なはは。

July 19, 2011

カメラというおもちゃについて


カメラって面白い。もちろん普通の男のアタリマエ的な興味としての「写真の嗜み」があったにしても、自分は全然写真のセンスが無いものだと思っていた。というか、いい写真を撮るためには技術とか特殊な感性とかが必要で、機材にお金をかけないと満足のいくものは撮影できないんだろうと思い込んでいた。つまり興味があるくせに、あえて立ち入らない「喰わず嫌い」的な立ち位置だったわけだ。

ところが、例のSONYの一眼レフNX-5を手に入れてからは少し考えを変えた。もうバチバチ撮りまくっていろいろと加工すると、結構面白い写真が穫れるじゃないか!と。もちろん今でもセンスがあるとはいえないんだけれど、自分なりの写真がもっともっと撮りたくなってきた。i-phoneとかコンデジでも撮れる写真のクオリティは、その昔の写真のレベルを大きく越えているし、アマチュアである僕らは要は機材のレベルではなく、タイミングと対象をいかに見つけるか?だけの感性の問題なのだ。その意味ではいいおもちゃを見つけたと思う。上の画像は、成毛師匠のブログでみつけたiphone用の望遠レンズのアダプター。これなんか面白いなあ。物欲は少ないといいつつ、やはりちょっと欲しくなっている(矛盾してる<笑)。

July 18, 2011

快挙!なでしこJAPAN優勝



4時前に起床して、なでしこJAPANのWカップ女子サッカー決勝戦観戦。アメリカは個人レベルでもチームの総合力でも明らかに日本なでしこチームより上回っていた。でも、なでしこたちの素晴らしさは、ずっと前を向いて下を向く事なく、ひたむきに勝利を信じて走り続けた事だ。何度も心が折れそうになってもおかしくない展開だったけれど、決して諦めなかった。先制されひっくり返し、さらに先行されそれに追い付く彼女たちの精神力、ひたむきな姿に不覚にも涙が出てきた。延長戦がドローであった時点でもう感涙に咽ぶ。さらに、PKに向かう前に円陣を組んだ彼らに笑みがあったことに、心底驚いた。こんなチームは今まで日本にはなかった。このチームを作り上げた監督とスタッフ、もちろん選手たちはすごいと思った。彼らはその時点でアメリカより精神的優位に立っていたのだ。単なるチャレンジャーの優位というより、やはり何か勝利の女神があのチームに力をくれたように感じる。FBにも書いたけれどこの大会中、彼らは東北大震災の世界中からの支援に対して感謝の言葉を示し続けてきた。被災した多くの人たち、原発事故の被害に苦しむ人たち、復旧復興に頑張っている多くの人たち、凹んでいるすべての日本人を鼓舞してくれた。本当に有り難う&お疲れさま!なでしこJAPAN, We are proud of you for good!

July 17, 2011

久しぶりの「さくら」練習にどっぷり浸かる



昼過ぎに集合@さくらスタジオ@駒込。今年は311の影響もありハックルの音楽活動もちょっと停滞気味だったので、本当に久しぶりな感じ。僕は頂き物の天然鰻の白焼きを持参、じょうじ君作の絶品餃子とさくちゃんが仕込んだ駒込「TETSU」のつけ麺など。うまし。今日はDan君も参加して写真を撮りまくりで画像多数。

9月のライブに向けての打ち合わせと練習。

僕の新しいギター「あやちゃん」も大活躍で、オープンチューンで響きまくりで、ある時点から本当に「あっちの世界」に行きそうになるくらい気持ちよくα波が出まくった。

July 16, 2011

排骨麺LOVE


FBのコミュニティ「外食産業を勝手に救済しよう!」に報告した画像。今日は仕事場にHPの打ち合わせに来てくれたDANとランチ@泰興樓@自由が丘。ここんちの排骨麺は、ソリッドな醤油味、固めの細ちぢれ麺、排骨は衣はクリスピーで豚バラ肉は軟らかくジューシーで美味しい。いいバランスだ。特筆すべきはここんちの有名なジャンボ餃子2こ(ハトヤマさんが官邸から田園調布の自宅に帰る途中でテイクアウトするので有名)とデザート付で1050円は安い。

さて、排骨麺といえば僕ら日比谷高校の学生にとっては特別な存在。校門から赤坂見附方面に下る「遅刻坂」をおりきったところにある山王ビル。その地下1階にあった「万世麺店」は僕らの学食みたいなところだった。ここの定番が排骨麺(上の画像はダブル排骨)。当時の万世麺店の排骨麺は、うどんのような手打ち風の太麺で鶏ガラ醤油味のスープに排骨がのっていた。肉味噌ののったジャジャー麺もおいしく食いしん坊の僕のデフォルトは「肉味噌排骨麺大盛り」だった。その後万世麺店もいくつかの変遷があって、当時のものとはずいぶん変わってしまったけれど、食べ盛りだったころ刷り込まれた「空腹=排骨麺」という脊髄反射的な感性は、もう一生ものじゃないかとさえ思う。最近の万世麺店ではジャジャー麺がなくなってしまったということで、悲しい限りだということは別項で述べた通り。

ということで、排骨麺をメニューに発見するとついオーダーしたくなる。画像は台湾の排骨麺。台湾ではいろんな排骨麺を食べたけれど、どれも美味しかった。排骨は日本のものより大きくてカリカリして太麺。今考えてみると万世オリジナルがそれに近いかも。ふふふ、楽しみだな今年も。いろいろと食べまくってみたい。

July 15, 2011

ペーパーワーク!そして俯瞰的にoverviewする講演

午前は外来&病棟回診。今日の午後は手術がなかったので、貯まりに溜まったペーパーワークやら文献やメールの処理など。常にプライオリティを考えながら仕事をしなさい!などと研修医にエラそうに言っているくせに「おおっ、あんなことがあった!」「えええっ、これもやっていなかった!」「うわっ、〆切に間に合わない!」等々、自分の見通しの甘さとか自分への甘えに突然(反省の色なく)気付く。たまには「棚卸し」をしなくちゃだめなんだねと、改めて痛感したりして。オフィスの部屋もSnapscanを導入して「断・捨・離』を進めてペーパーレス化するべきなんだろう。まあ、これも実際に動き始めるまでが大変なのだけれど。

夕方は職場のサイトのリニューアルに向けてリンク集の整理など。サイトの更新も人に任せっきりになっていて(というか、それが問題なのではなく、任せた人に責任を持って役割分担しなかった僕の責任なのだけれど)錆び付いた情報だらけになっている。この修正と更新は急務だ。さはさりながら。

夜はある集まりで、さとなお君を招いて講演&食事会。「東日本大震災と助けあいJAPAN」について。今回の大震災おけるソーシャルメディアの関わりについては、言い出しっぺである彼の八面六臂の大活躍によるところが大きい。さらにソーシャルメディアを介して集まった200名のボランティアの「見えない力」がいかに社会的意義をもって動いているか。これらの経緯についての検討と、今後の活動の問題点は何か?についてのディスカッション。40分間という短い時間だったけれど、充実した講演だった。今夜は俯瞰的にOverviewしてもらい、僕自身見えていなかった所をクリアにしてもらった感じ。その後の食事会でもディスカッションが出来たし、今回はこの団体のpersonal fundとしての寄付も決定。一時的なものだけでなく、継続的なものも施行していく事が決定できたし、モロモロ実に有意義な会となった。よかったよかった。

July 14, 2011

いいなあこの脱力系のデザイン



画像はリツコせんせのハワイおみやげ。いいなあ、このユルユル脱力系のチップス。味はさておき(笑)、ハワイのロコのなんともいえない「抜けた感じ」が素晴らしい。グリコを絶対に意識していることと、WantonとOne Tonをかけている(笑)のが、ピジョンぽくて「ふふふ」な感じだなあ。その辺の僕の好みを判っていてお土産をくれたリツコせんせのクリーンヒットでした(爆)

今朝のなでしこジャパンの快挙。日本の肉食女子たちの活躍は素晴らしい。Wカップで決勝まで進めるなんて、昔の日本のサッカー事情を知っている僕らから言えば、本当に夢のような話だ。Well done, girls!

消防署の産業医レクチャーの話題は「熱中症とニセ熱中症」について。救急の現場で現在進行形の問題なので、隊員さんたちから熱心な質問多数。施設在宅をサクサクと済ませてから、帰宅後ジムに行き10日ぶりに20本1000mがっつりと気持ちよく泳いだ。画像はジムから出たアプローチから観た西の空。乾いた空、軽めのブルーからオレンジに向かうグラデーション。

July 13, 2011

肉食女子と肉三昧@バルバッコア青山

外来終了後、ご飯もパスして、ホスピタル・ショウ@国際会議場ビッグサイトへ。こーめい先生のシンポジウムへ。それにしても午後の酷暑はすごかった、陽射しの下の路上は絶対に40度越えだっただろう。りんかい線の国際会議場からビックサイトまで早足で歩いたら汗が吹き出した。シンポでは、大震災の医療支援について僕らの活動と考え方を明瞭に堂々とプレゼンして頂き、ご苦労様でした。病院へ取って返して病棟の回診やら面談やらでばたばた。トシピロ君今夜は残念でした。

さて、夜はいつもグランダでお世話になっている肉食系女子(笑):あいちゃん、しずかちゃん、しょうこちゃんと納涼会@バルバッコア・グリル青山へ。ひさしぶりのシュラスコをがっつりと肉三昧。肉食女子たちもがっつりと気持ちよく食べてくれた。歳を考えて僕は最盛期の約半分くらいのヴォリュームで抑えておく。それでもカロリー過剰だわ。話は当然の流れで彼女たちの恋愛談義など(笑)。僕としては、ほぼ「タメ目線」で話しているんだけれど、まあねえ・・・どうしても説教臭くなってしまうのはヤダねえ。半面、若いっていいなあと。話にオヤジ入っちゃったかと思いつつ(反省の色なし)楽しい会話。どうぞコレからもよろしく、ということで散会/

July 12, 2011

デザインの力が世界を変えるかも


FBで教えてもらったアート。パリの市役所近くの広場にあるガーデンだそうな。アートって「視点」とか「感性」のユニークさ何だと思う。僕の日頃の生活とは正反対のクリエーティブな仕事をする人たち。こういう人の意表をつくデザインとか、自分の様々なレセプターを刺激してくれるアートに出会うと、何と表現したらいいんだろう・・・その出会いに感謝したくなるのだ。

彼らのサイト


偉大なデザインとかアートは、世の中の様々な価値観をどーんと変えてしまうポテンシャルを持っていると思う。日本の国難ともいえる今、彼らデザイナーの果たすべき役割は絶対に大きい。こういう「ソフトパワー」(つまり端的に言えば「文化」)がある国こそ、本当に豊かな国といえるのだろう。日本はたぶん大丈夫。頑張れデザイナー!

July 11, 2011

3歳の僕にオヤジがくれた的確なアドヴァイス

今日、幼稚園の同窓会の案内と年会費の請求の手紙が着いた。お茶の水女子大学文教育学部附属幼稚園の同窓会「ちぐさ会」。日本で一番古い歴史と伝統のある幼稚園なんだそうな。この歳になって幼稚園の同窓会の案内が自宅に届くっていうのも珍しいかも。僕は「昭和38年、山組」だ(笑)。そうそう、あの幼稚園は二年保育で林組から山組、もう一つのクラスは川組から海組になる。たまたまオヤジの勤務していた銀行の社宅が文京区小日向にあって、そこから近い幼稚園ということで入園試験を受けたんだろう。僕は2月早生まれで2年保育だったから、入園試験を受けたのは4歳前のことだ。なぜか朧げな情景が記憶の襞の深い所に残っている。

寒い朝だった。僕と両親はいつものように朝ご飯を食べていた。オヤジが僕に言った。
「君は今日、いつも通りにしていればいいよ。そしてたった一つの事だけすればいい。じっと先生のお顔の、目と目の間を見て居なさい。先生が話している時は瞬きもしてはいけない。そうすれば先生のお話は全部わかるはずだよ。」と。何の事やら解らない僕は、その日の午前中の入園試験の間中、出会った大人の顔(それも「目と目の間」)をじーーーーーっと観ていた。初めて口頭試問を受けることになった3歳の自分の息子に伝える言葉としては、実に的確で戦略的な言葉だったと思う。

たしかにオヤジの言う通り、その日初めて会う大人達(試験官)の言うことが子供ながらにスゴく冷静に聞けたし、たぶん落ち着いて対処したんだろう。早生まれで3人の合格者の一人になった。後で聞いた話だと、当時の入園試験は今とは比べ物にならないくらい難関だったらしい。亡くなったオヤジが僕に伝えたかったWords of wisdom の最初の言葉だったのかもしれない。当時オヤジは35歳。戦後の高度成長期の典型的モーレツサラリーマンだった。

ちなみに、この幼稚園はそのままエスカレータ式に小学校に進学することになっていたものの、小学部の入学試験があって落ちる子もいる。その時に「マチガイ探し」のテストがあって、示された「魚の絵」に僕は「あっ、この絵のお魚は、眉毛が書いていない!」と言い張ったそうで、となりに坐っていた両親は「あ、コレはダメだ!不合格だ!」と思ったらしい。温情(なんだろう)受かったけれど。

July 10, 2011

自分のことは棚に上げて被害者づらをするオバさん。

10時からマンションの理事会。うちのマンションは世帯数が少ない(27世帯)ので、数年に一回役員にあたることになり、この10年間で2回目の役員(副理事長)ということになる。毎年8月が総会でこれを機に次期理事会執行部に引き継ぐので、今日は今期最終の理事会として様々な議題(主に、初めての大規模修繕計画)を話し合っていたら、結局2時間もかかってしまった。なんとか話がまとまって、それでは次回は総会ですね、というところで理事長の女性が一言。

「あのう・・・急にワタシその日は都合が悪くなったので、副理事長であるアナタ(僕だ!)に代理をお願いしたいのですが・・・」と。理事長のおばさん以外の役員は呆れてモノが言えない。というのは、前回の会合で、8月の夏休み期間の週末に理事会総会を入れたのは理事長であるそのオバさんなのだ。株主総会に社長が欠席するのがアリエナイように、マンションの管理組合年度の最後の定時総会で理事長が欠席して代理が司会をするなんて、考えられないことなのだ。そもそも、その理事長のオバさんはやる気がないし、会議を取り仕切る事は出来ない人であることは、僕らも管理会社の人たちもすでに十分に解っている。でも、持ち回りだからそれはまあ仕方ないことだと思う。実際には、管理会社の対応はしっかりしているからシナリオも決まっているし「形だけ」の管理組合理事長で何の問題もないはずなのだ。つまり、期末の管理組合総会の「ためだけに」理事長がいるといっても過言ではない立場なのだ。

それなのに「ワタシは急用で欠席する事になったのでアナタ達よろしく!」という彼女の態度に僕ら4人の役員はキレた。「総会を仕切るのがアナタの役目なのですよ。そもそもアナタの予定で総会の日程を決めたんじゃありませんか。何を考えているんですか!」と。彼女がその後白状したのは、その時期に旅行に誘われて「総会は代理を立てればいい」と勝手に思い込んで予約をしてしまった。ということ。その話を聞いて呆れた僕らに、「やはりダメですか?わたしがこんなに頼んでもやはりダメなんですか???」と、半べそになっている。

このオバさん、社会のルールとか信用とか約束事とかを全然理解していない。管理会社の人たちが「なぜアナタのやろうとしていることが非常識なのか?」を説明しようとしても、そのオバさんには理解できないみたいだ。僕を含む他の理事たちは諦めモード。結局、別の日程で総会を開催する事になってスケジュール調整でバタバタ。それでもそのオバさんは「なんで?どうして?ワタシのせいで皆さんにご迷惑をかけてしまうのは申し訳ないので、ワタシはいいのでどうぞワタシ抜きで総会を・・・」などと言う。

さすがに理事の一人がキレた。「あなたねえ、緊急の用事とか病気とかで代理を立てるのとは訳が違うんですよ。アナタの希望で皆が予定を調整したんですよ。ご自分の立場を考えたら、常識的には旅行のほうをキャンセルするのが当たり前じゃないですか。あなたは、ここまで言わないとわからないのですか?」と。泣き出しそうになるオバさん。あたかも自分が理不尽な理由で苛められているかのような態度で被害者づらするオバさん。永遠に理解できないんだろう、このオバさんには。この手のキャラの人にとっては、自分を取り巻くすべての事象は「自分以外の人たちの横暴やワガママ」によってスポイルされているって感じるんだろう。ありゃダメだわ。一事が万事いろんなところで苦労しているキャラだろう。PDか。

ミーティングにぐったり疲れて家に帰り、宮きしめんの昼ご飯。卵とじ&とろろ昆布のきしめん。うまし。午後から地下テラスの掃除&整理第二弾。シャワーを浴び一息ついてビールを呑んだら、マッサージチェアで爆睡してしまった。夕方からジムに泳ぎにいく予定がすっとんでしまった。夜はかみさんと「又兵衛」へ。

July 9, 2011

そろそろ真面目に歯を治そう!の土曜日

土曜日。午前中はルーティンの仕事。今日は面談のアポイントが多く忙しくあっという間。午後自宅に帰ってみたらかみさんが地下のテラスの大掃除をしている。酷暑の中汗だく。上の階の窓の掃除をしていたら地下のテラスの汚さがあまりにもヒドくて我慢できなくなったとのこと。僕もさっそく短パン&Tシャツに着替えて、ホースとデッキブラシでテラス床をごしごし。日頃コンスタントにやらないくせに、やり始めたらわりと徹底的にやらないと気が済まない僕ら(笑)。頭からシャッワーを浴びて全身びちゃびちゃになったけれど、気持ちよかった。久しぶりにかみさんと二人で肉体労働をしたって感じ。明日も天気がよかったら、やり残した部分をやろうっと/ああ、断・捨・離は気持ちいいわ。

シャワーを浴びて16時から知り合いの歯科クリニックへ。歯医者さんって嫌い。ああ違うな、歯医者が嫌いなんじゃなくて、歯医者の治療の「がりがり」とか「ぐりぐり」っていうのが苦手なのだ。もう最後のチェックアップをしてから10年近く経っていると思う。全然問題なかったし。最近歳とともに歯がうずく事もあるし、歯肉歯周病も心配になってきたのだ。たまプラの若い連中との飲み会で知り合った歯科医のK君は信頼できる人なので、この際徹底的に診てもらう事にした。今日は1時間以上時間をかけてチェクアップしてもらい問題点をディスカッション。この際徹底的に歯の治療をしてもらうことにした。K先生よろしくお願いします。お手柔らかにね/w

夜はかみさんと二人でお気に入りのイタリアンBuon Limoへ。ホワイトアスパラと生ハムとクリームソースの温かいアンティパスト、パスタはここんちの定番「生ウニとフレッシュトマトのクリームソースのほうれん草を練り込んだ生パスタ」、白身魚のアクアパッツア(メイン)。ドルティエは「長芋のプディング」と「すいかのジェラート」両方とも美味しく大満足の晩ご飯。

July 8, 2011

鮨・喜久佳ワールド



石切橋と東五軒町の間にある「鮨・喜久佳」。今日はじょうじ君の父上にトリウミ君とともに、ごちそうになった。小学校から高校まで住んだ小日向。昔住んでいた社宅のすぐ近くだ。印刷製本出版関連の会社が密集するこのエリアにひっそりと佇む名店。話には聞いていたけれど、想像以上の素晴らしさ。大将が一人で切盛りするのに、夜は8席カウンター1回転のみとのこと。素材の素晴らしさはいうまでもないけれど、どれも細やかな一仕事してあるのが素晴らしい。画像は旬のシンコと、口で蕩ける穴子2種。塩もタレもそれぞれ絶品だった。3時間の喜久佳ワールドに浸り、いい気持ちで酔って帰路のタクシーで爆睡。

July 7, 2011

駄作にがっくりメタルヘッド

当直明け。昨夜の睡眠時間は3時間くらいか。明け方の緊急入院のあと診察台で横になっていたらコワい夢を観た。目覚めた瞬間にストーリーを忘れたけれど、知らないうちにかなりストレスが堪っていたのかもしれない。午前中もルーティンでバタバタ、午後からは大学の研修医を連れて施設在宅へ。午後からはさすがに眠くなって意識していないと、集中力散漫になってしまいそうになる。3時半に終了。そのままジムに行くか映画に行くか?実はナタリーポートマンの映画「メタルヘッド」が、実にこじんまりと公開中であることはが気になっていて彼女の初プロデュース作品ということも興味があるし、短編で有名なサッサー監督の映像も劇場で観たかったのだ。一瞬迷ったけれどえいっと渋谷シアターNに向かう事にした。用賀から渋谷までの20分間爆睡して復活。結論から言えばナタリーポートマンを観られたということ以外は、はへー、なんじゃこりゃ?という映画だった。良くて☆☆くらいのレイティング。僕あhもっとハードロックな映画だと勝手に思い込んでいたけれど、訳の解らない粗暴で下品で礼儀知らずの乱暴者の話で、本来ほろりとさせられる筈のエンディングだって陳腐で感動もなかった。ストーリーも単調、展開も月並み、映像上のドキッとさせられた部分も何カ所かあったけれど、それさえも忘れちゃうくらいの駄作だった。ナタリーのの演じる役柄も魅力はイマイチだった。まあ、こんな日もあるよな。

July 6, 2011

震災後の日本の復興を担う君たちへ


fbで教えてもらった画像をシェア。純粋な子供達の素直な感謝の気持ちが、現場でがんばり続ける人たちにとってどれだけ励みとなることか。感心したのは、雨の日も風の日もかかさず、毎日感謝の行動に出ていること。さらに横断歩道を渡る時に、待っている車にしっかりとお辞儀をしていたことだ。これは日頃から感謝の気持ちと礼儀の大切さを教育しているご両親と学校のしっかりとした教育理念の賜物なんだろうと感心した。国家や国旗や自衛隊を小馬鹿にするN教組に見せたい画像。ああ素晴らしい!と感激した。

大震災復興のプロセスは今まで日本が経験したことがないくらい空前の規模で、多層的で複雑で、多大なエネルギーとお金が必要だ。今さら書くまでもないことだけれど。その危機感は程度の差こそあれ日本の大人達が誰でも持っているはずだ。今、皆がイライラしているのは、ある時期に同じ方向に向かって進みだそうとしていた「自分たちの当事者意識のベクトル」が、時間の経過とともに少しずつバラバラに拡散しているのではないかという不安が原因なのだろう。もしかしたらあれは、震災直後の集団PTSDによる「幻想」だったのではないか?という危惧さえあるのだ。でも、ちょっと青臭いけれど、この画像の子供達を観ていると、勇気が出てくる。四の五の言わず、立ち止まっていないで早く瓦礫を撤去し、新しい生活を進めていくしかないのだ!と、力付けられた。やはり未来への道を開くのは教育かと。

野球が巧い男の子がいたとして、その子がイチローに憧れて将来彼のような選手になりたいと頑張っても、イチローのような選手になることは難しい。まったく不可能ではないけれど、はっきり言えばかぎりなく可能性はゼロに近い。なぜならイチローは飛び抜けた肉体的精神的な能力に恵まれた天才であり、不屈の精神力があり、無類の努力家であり、さらには運に恵まれたから。でも一般的な職業である場合「僕はXXX(職業)になりたい」という「夢」はかなりの確率で達成できる。一番手っとり早いのは「勉強」すればいいのだ。一番「職業」という夢に効率的な形で到達するのは「勉強」することだ。生まれつきの「才能」とか「資質、素質」とか「運」が左右する希少な仕事であればあるほど、なれる確率は少なくなるけれど、それでもそこに近づくための最も効率の良い方法は「いい教育」を受けることだ。もちろん「いい教育」というのは親やコミュニティからの教育が基にあって学校教育になるのだろうけれど、「偏差値の高い進学校が提供する教育」というのとは全然異なっていることはいうまでもない。信念のある教育は人を能力を最大限伸ばすことができる。

論理的にかなり遠回りをしてしまったけれど(笑)震災後の日本復興にむけてのキーの一つとして、未来の人たちである今の子供達の教育も非常に大切だ、という話。インフラを復旧し新しいシステムを立ち上げていく中で、これからの未来にむけた教育システムを作っていくのが大切なのだ。効率のいい(実りの大きい)未来へ投資として・・・なんてことを考えつつ、東京ルール当直中。

July 5, 2011

粗にして野だが卑でもある人の辞任

昨日のアホ政治家のことについて、被災地とそこにいて苦労されている人たちのことを夜考えてたら、憤懣やるかたなくなって、どうしても想いを伝えたくなった。この人になら僕の想いが通じるはずと、迷惑を顧みず内閣官房スタッフのMさんにメールをしたら即レス。「同じ政党に属すものとして恥ずかしい。自分なりに行動しているので・・・(後略)」とのこと。やはり「心ある人たち」は言いたい事を言っている僕らの想像を越えるリアルなご苦労の中にあって、深夜の官邸ではいろんな動きがあったんだろう。例の大臣は今日10時過ぎに辞任会見。潔く自らハラを切って四の五の言わずに消えればいいのに、石田礼助の言葉を引用するなんて、本当にみっともないヤツだ。こういうのを恥の上塗りという。粗にして野にして卑な輩。それを任命した別の「さらに卑な人」は頰っ被りをしている。やれやれ。


お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ (PHP文庫) [文庫] 糸井 重里 (著), 邱 永漢 (著)

同時多読の一冊。2時間足らずで読める。随分前に糸井さんのサイトっで連載していた邱永漢さんの記事にはずいぶんインスパイアされたものだ。この本は対談の文庫化されたもの。インターネット黎明期の話で今とはちょっと状況が古くなっているものの、やはりこの二人はスゴい人たちだと思う。邱さんって筋金入りのリアリスティックなドリーマーだ。糸井さんは今さら言うまでもなく当代一流の聞き上手だ。視点の柔軟性と自由度、さらには知的好奇心というか「素直な驚き」を感じられる感性のすばらしさ。一言でいえば「センスのある人」だ。対談中、Words of Wisdom多し。ちょっと放っておいて少し時間が経ってから読み直してみようっと。

July 4, 2011

勘違いしているアホにつける薬は(たぶん)ない

月曜日朝一のネット情報で激怒してしまい、一日中腹が立って過ごした。本当にどうしようもない愚か者。勘違いをしているだけならまだ可愛い気がないわけではないが、人の痛みを最も解らなくてはいけない立場のヤツがあれではどうしようもない。自ら(国)が、被災地(県)のお客であるという上から目線を露呈させる言動。さらにそれを報道したマスコミを恫喝するという愚。アホなりに自分の言動のヤバさに気付いたんだけれど、その無神経な態度が政治家として失格。どんなに謝罪しても政治的には万死に値する。その上、そのことを開き直ってしまうという愚を犯す。謝罪しても日本国民として許す気はもちろんないけれど、即刻辞任するのがスジだろう。それが出来ない自浄作用のない政府民主党は国民から見捨てられても仕方ないだろう。もちろんこんなヤツに大切な役割を与えた最悪のアホも即刻辞めるべきだ。それにしても、こんな連中のために国会が空転して大切な復興の時間が空費されるのが辛いし被災者に申し訳ないと思う。

July 3, 2011

親子味噌煮込みうどんLOVE


暑い日だったけれど、午前中の比較的涼しい時間に墓参りを済ませて名古屋を散策。昼ご飯は山本屋総本家で味噌煮込みうどん。これは「親子味噌煮込み」で、名古屋コーチンと卵がのっている。赤味噌は子供の頃から親しんでいるので大好きだけれど、昔は煮込みのあの甘さが好きになれなかったんだ。だからもっぱら、きしめん。それも「志の田」きしめん(油揚げと葱と蒲鉾の入った、白醤油の「きつね」のことだ)とか「卵とじきしめん」が大好物だった。若い頃は名古屋でお店に入ると2杯はデフォルトで、お腹に余裕がある場合には3杯食べられたくらい好きだったなあ。そのころ味噌煮込みは完全に無視していた。味噌煮込みの美味しさを再確認したのはここ10年くらいのことなんじゃないか?と思う。さはさりながら、この生玉子を食べ始めてすぐにぐちゃぐちゃにする食べ方と、そのままにしておいて半熟玉子状態にしてからおもむろに頂くのとで、好みがまっぷたつに分かれるみたいだけれど、僕は圧倒的に後者に一票だな。ちなみに、アルダンテの麺を蓋を取り皿のようにして食べるのがお約束だけれど、この食べ方は子供の頃から我が家では鍋焼きうどんの定番の食べ方だった。関東のは湯気抜きの穴が開いているので気をつけないとテーブルを汚してしまうんだけれど。そんなこんなで、今日ははふはふと美味しく頂いた。

July 2, 2011

濃い街・名古屋でバーレスク

一昨年末に亡くなったオヤジの墓参りで名古屋に来ている。母方のルーツが三重県伊勢志摩のほうで、曾爺さんの世代が名古屋で出てきて商売をしていた。その爺さんは包帯や衛生材料の軍需工場をやっていてエーザ☆のもとになった会社を創業した人。満州事変で二十歳で亡くなった跡取り息子は軍医見習いだった。その曾孫の僕が医者をやっていることま因縁なのかしれないと墓石を観ながらしみじみ感じ入る。たしかに僕がこの道に進む時には不思議な力が働いたのだ。そんなこんなで、名古屋は昔からなじみのある場所。本籍は名古屋だったけれど、海外で生活することになって書類上いろいろと不便になったので結婚を期に本籍を東京にしたけれど、医師免許も本籍は愛知県として記載してある(本当は変更するべきなんだけれどやってない)。今年は3月の御彼岸に墓参りする予定だったのが、311で延期となり、今の時期にお盆も一緒にやってしまおうということになった。お寺さんに聞いたら「お務めは気持ちの問題」とのことで、それはそれでいいんだそうな。仏教って、よく言えばわりとフレキシブル(悪く言えば適当)なところもあって、そういう所は僕は好き。東京ー名古屋間は新幹線のぞみで1時間半だから日帰りも十分可能な距離ではあるけれど、週末ちょっとのんびりしたかったのと、オフクロの疲れを考えて一泊ということになった。  

なぜが個人的に「名古屋といえば地下街」というイメージが強い。今時の奇麗で洗練された地下街ではなく、昔ながらのごちゃごちゃした地下街のケイオスの喧噪にシンパシーを感じる。台北とかソウルのごちゃごちゃした地下街の雰囲気とすごく似ていると、以前から思っていた。アジア特有の「濃さ」というか。その意味では名古屋ってアジア的な匂いのする街だと思う。歩いている女の子(かわいらしい子が多い)のセンスとかブランドショップが軒を連ねる繁華街も「現代風のアジア的」な印象で一括りに出来る感じ。あ、これ決して「イナカくさい」という文脈ではなく(追補:かわいらしい女の子というのはかわいい女の子とは微妙に違う)。

夜は姪っ子のまゆちゃんのリクエストで、みそかつ・矢場とん。これもコテコテの味噌味なんだけれど、僕はもともと赤味噌文化で育っているので、この濃さは好き。ロースかつと海老フリャーのセットをいただく。
ホテルの帰る道すがら、ちょっと気になったスペイン料理のバールがあったので、一人で立ち寄った。en plancha! 実にカジュアルな店なんだけれど気持ちよくスパークリンフワインとタパスなど。ムール貝とアサリのワイン蒸しはスープが美味しく〆にはぴったり。千鳥足でホテルに戻り、夜は公開時に見損なった映画「バーレスク」をオンデマンドで。クリスティーナ・アギレラの圧倒的な歌唱力の魅力。好きだなこういう映画は。アメリカ的な成り上がり的サクセスストーリーもいいし、ハッピーエンディングにも好感。ムービーミュージカルの質はさすがで、実際にバーレスクの舞台を観に来ている観客の気持ちと同化する感覚。エンターテインメントとしてCP値の高い映画だ。満足!☆☆☆☆

画像はひさしぶりに会って盛り上がる孫娘と婆様の図

July 1, 2011

ボーナスという甘美な響き

職場のボーナスの時期。社会に出て30年経つ訳だけれど、僕はいわゆる「ボーナス」というものを貰った期間は10年もないと思う。医者というのはFA制のプロみたいなもので年俸制だからナイ。今の職場で14年、その前は海外生活も含めて3年だから直近17年間はボーナスというものとは無縁。貰う方ではなくて渡す方になって随分時間が経ったということなんだね。それにしても、年に2回夏と冬に大体約2ヶ月分くらいの「まとまったお金」が定期的に入るというのは、羨ましい。不況とはいえ、日本中の多くの給与所得者が得られる恩恵はすごい社会的な影響がある。自分の知らぬ間に4ヶ月分の貯金をしているみたいなものだから、次の半年頑張ろう!というモティベーションに確実に影響するだろう。ボーナスをもらっていた僕が若かった頃は、3人の子育て真っ最中の時期だったから、そのまとまったお金はほとんと「右から左に」子育て費用になってしまったけれど・・・。さはさりながら、ボーナスという甘美な響き(笑)。

夜の会議は新型インフルエンザ関連の地区ブロック会議。平時にこそ粛々と準備を進めるのが肝要。震災の被災地にインフルが流行してしまったら大変だ。さあ、連日の夜の仕事はこれで一段落。週末は名古屋。
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