助けあいジャパン

June 27, 2011

嫌ならヤメればいいじゃん、という覚悟について(メモランダム)

今週はスケジュールがぎっしり。昼間のルーティン&サブルーティンがたてこんでいるだけでなく、夜の予定もエクストラで毎晩続く。昨日の夜カレンダーをチェックしていて思わずsigh。でもね、そうなんだ、これではダメだと即反省した。

自分の仕事や立場や役職や役割は基を正せば「すべて自分で決めて始めた事」であって、不可抗力で強要されたり無理矢理していることではないという事なのだ。つまり自分で納得してはじめた事だとすれば、それに付随する忙しさや責任の重さとか非難とかに対して、不平不満を言うのは、まったくスジ違いなのだ。それが嫌ならヤメればいい訳だし、そんなつもりも覚悟もないのであれば「やるしかないだろう」というシンプルなロジック。あらためて考えてみれば、今週なんて忙しいだけで別になんてことないスケジュールで、ちょろい・ちょろい(笑)と。ジムに行けない事とか家での食事ができないこととか睡眠時間がたぶん少ない事とか新しいギターが弾けないこととか・・・今週の不満の種なんて本当に些細な事なんだ。

そんなこんなで第一弾は、埼玉で理事会、全体会議。22時帰宅。軽いぜ(笑)。
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以下、メモランダムとして
いったん投稿して読み直して思った。これは教育論なのだ。子供の頃から減点主義だと「自分にとってネガティブな状況」に対して自己保身的な反応をするようになる。怒られてばかりで育った子供は、何か不都合な事が起こった時に反射的に「言い訳」を言うようになる。こ戦後の教育システムのなかで団塊世代の受けてきた教育はまさに熾烈な競争原理に基づく受験戦争を基盤にしたもので、これはたぶん今50歳代の僕らの世代のちょっと下まで続く。僕らの世代の「言い訳」の上手さは、その教育の裏返しなのだ。今日の経産省「西野審議官」のスキャンダル(といえるのか、こんなチンケな報道を)に対する彼の反応。このみっともない言い訳のしかたが実に典型的。さらにそれを「鬼の首を取ったように」報道する週刊誌の程度の低さ。その雑誌の発行人は僕の幼稚園&小学校の同級生(爆)。あーあ、話がずれるけれど。

その後のプレ団塊ジュニア世代(今40歳代前半から30歳代後半)はバブル破綻前に育った世代で日本の爛熟期に育った。「ま、いいじゃん」の無責任世代。その後は自分の存在がいつも揺らいでいて自信が無い「自分探し」世代、さらには「ゆとり教育」という訳の解らない亡国思想の教育を受けた「茫洋世代」、その下はその反省というか反動の影響を受けた世代。

それぞれの世代の「言い訳の仕方」とか「責任のとり方」とかについて比較検討して考察するのは面白いテーマだ。
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