助けあいジャパン

May 19, 2011

0歳から100歳まで

朝の回診の後、消防署へ。いつもの産業医活動の一環で先日の震災被災地への医療支援の報告を兼ねたレクチャー。消防署員、救急隊員は当然切実な問題として今回の震災に対する意識が高い。様々なところで話をしているうちに僕もの頭の中も少しずつ整理されてきた気がする。

東日本大震災が、「突然」「人間が抗う事が出来ない強大な規模で」「想定を遥かに越えるスケールで」おこったという事実。そのインパクトの大きさ。広域な複合災害、その後の人災も相まって複雑化長期化する原発事故と放射能汚染。これらの最悪の事態を国民全員が(現在進行形で)共有体験した事。政府や官僚などによる既存の組織によるこの国の「統治能力」の脆弱さ。さらに、K総理を初めとしたきんたまの小さい政治家(と彼らをサポートする組織)の程度の低さと貧弱さ。震災前と震災後で大きく変わるであろう僕ら日本人の意識の根本には、「戦時中の辛苦の時代>戦後の混乱期>日本経済の高度成長期>絶頂期からバブル崩壊>長い景気低迷期」という日本というシステムの制度疲労に対する、「不安感」と「危機感」があった。それがこれを機に「より明白に」なったということだろう。ぶっちゃけた話、もう待ったなしの状況で、このままじゃヤバいと皆が認識した、ということだ。

と同時に、日本という国とそこに住む人々の素晴らしさや、これまで先人たちが苦労して培ってきた国際的な信頼た信用とか、数多くの日本固有のシステムも「まんざら捨てたもんじゃない!」と、別の意味から自信と矜持を持つに至った事も挙げられる。被災者たちは絶望の中にあって泣いて凹んでばかりではなく、涙の出そうになる気持ちをぐっと抑えて、もうしっかり未来に向けて進み出している。そんなこんなで、僕らは新しいスタートラインに立っていることを意識している。

てか、そうでなければ「日本というシステム」に未来はない。

そんなことかな。
じゃ、どうすればって論点が次に来るわけだけれど。

レクチャー後は「ひぶすま屋」でご飯を食べてから、いつもの施設在宅往診。80歳ー100歳の人生の大先輩達の相談に乗る。その後は移動して、たまプラーザの保育施設で0歳児から4歳児までの半年ごとの健康診断。可愛い天使達との出会いを毎回楽しみにしていて、今日もかみさんがナースとして参加した。ふふふ、皆元気で可愛い。僕らもしっかり元気を貰った感じ。子供達は日本の宝だ。彼らのためにも日本をさらにいい国にする必要がある。

今日の午後だけで0歳から100歳まで診察した医者は日本でそんなに居ないと思う(笑)。これも仏縁か。有り難いことだ。夕方はがらがらのプールで20本1000mしっかりと伸びた。てんこ盛りの研究日。
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