助けあいジャパン

May 9, 2011

震災前後でマジさ加減が変化した:正論

世の中的には超大型連休のGWが終わったらしく(らしく、というのは僕自身はぜんぜんそんな感覚がないので)、ひさしぶりに人出が多い。震災以来の自粛ムードというか自制モードも、この長い休みがリセット期間になって一段落しているのかもしれない。被災地で見聞きしたことが、心の底に澱のように沈殿していて僕的には「まだまだ」low moodではあるけれど、そんな悠長な事は言っていられないくらい今週が予定がぎっしり&てんこ盛り。

今日は一日走り回ってから夜は日赤で会議。そろそろ東京の救急医療体制も次のステップに進むべく、新たなディスカッションを深める時期なんだという認識はメンバー達にある。これは一例としても、日本の震災前・後で、社会の認識というか危機感といういか一般大衆も含めた「マジさ」加減のレベルが上がっている気がする。これは、日本の抜本的な世直しという観点からすればいいことなんだろう。

と昨夜書いたところで緊急コールがあり、夜間に緊急出動し帰宅は26時。
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明けて今日10日付け「産經新聞」(愛読紙)の正論欄「震災で崩れた今日的ババルの塔」、都留文大の新保さんの文章。「マジさ加減について」多くの部分で合点がいく内容が書いてある。以前から僕も駄文に書いているものと基本路線はまったく同じといっていい。

以下メモランダムとして要約:
「様々なる」(軽薄な)知識の洪水(今日的な知)が積み上げられたバベルの塔は、東日本大震災によって「崩れ去る」べきであろう。現代人は情報と解釈の過剰な中に生きていて、逆に事の本質にぶつかることを避けている。本質はざらざらして厳しいからである。「様々なる」解釈の網の目から世界を眺めていた日本人は今回、世界そのものの(自然の?社会系ケイオスの?)過酷な事実とぶつかって立ちすくんでいる。大震災を期に精神的に大きく変らなくてはならないということを、ほとんどの日本人が感じているに違いない。その変化の根底には、本質論から離れた知識とか自分を安易に納得させる解釈を求めるのではなく、「心を正しい位置に置く」ことが必要である。そのためには・・・古典を解説書とか現代語訳を捨て去り、原書を原文で謙虚に読むこともいい。
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最後の一文の・・・以下については「あれっ?そうきたか」という感想(笑)だけれど、まあそれはいいと思う。文芸批評家としての彼の立ち位置としては当然だし、自然な結論なんだろう。相撲取りが謙虚な気持ちで「土俵で勝負」って言うのと同じだから。その上に書いてあることに関しては、まったく同感。つまり「皆マジになろーぜ、そろそろ。今回のことも一つのきっかけだし」って話だ。
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