助けあいジャパン

April 28, 2011

被災地医療支援出発前夜

いよいよ歴戦の強者すらこんな断言をする現場に向けて、未明に出発する。僕らは「仕事」に行く訳だけれど、多くの日本中のボランティアの人たちも、このGWには東北へむかうことになるんだろう。どうしても搬入する機材があるので僕らは車で移動せざる得ないだろうけれど、予想される大渋滞の一因になっちゃうのがツライ。まあ、でも仕方ない。むこうでプロとしてのベストを尽くそう。陸中海岸沿岸部の携帯電話の接続環境やネット事情で、向こうからアクセスできない可能性が大いにあるけれど、記録はきっちりと録ってくるつもりだ。さあ、今夜は眠っておこう。

April 27, 2011

被災地情報リテラシー

被災地情報収集中。同じ被災地といっても、いろんな復旧復興フェーズがあることは頭じゃ理解していても、実際に行く場所がどんな状態であるかを把握することは簡単なことではないと実感。3月中の記事やネット情報から察するに、僕の行く陸中は震災直後は孤立状態でかなり厳しい生活を余儀なくされたみたいだ。新聞テレビなどのマスコミに流れる情報というのは、SNSの個人からのリアルタイムに近い「草の根情報」からみれば、かなり意図的に編集された視野狭窄なものであることがよくわかる。逆に言えば、個人からの情報に関してはcredibilityはまったくわからないので、「どこまで信じるのかは、あくまでも自己責任」の世界。結局は、情報を受け取る側のリテラシーってことなんだろう。とはいえ、様々なlayerの情報を総合すると、現地は発災当初と比べればかなり復旧してきていることがわかる。

現時点でも水道電気などの最低限のライフラインが確保されているようだが、「普通の生活」にはまだほど遠い状況らしい。現地のまだ脆弱な電力事情やネット事情では情報発信したくても出来ないのだろう。じゃあ実際に自己完結する装備を持っていくにはどうしたらいいか判断する場合、例えば「マイ・トイレットペーパーは必要か?」とか「被災地の子供の喜ぶお菓子は何か?」なんてことは、想像力を働かせて自分で判断するしかない。都会で得られる情報と現地での状況のdiscrepancyを報告するものも、今回の僕の大きな任務だと思う。今日は現地からのリクエストの灯油ストーブ、飲用水、灯油容器、ユニフォーム、長靴、軍手、無線機などの機材搬入。明日午後個人的な最終的なパッキングをして、明後日未明に出発する予定。

April 26, 2011

世界中から集まる「目があっちの世界に逝ってしまっている」人たち

今回の震災においても、様々なボランティアが活動している。ずっと昔から日本には困った人たちに寄り添って、自分の出来る範囲で助け合ってきたという麗しい文化的素地があった。「困ったときはお互い様」というカルチャー。様々な文化的宗教的な違いはあるとしても、日本に限らず世界中のコミュニティにあるはずだ。今回の大災害とその被災者たちの悲惨な状況を見聞きすると、自分でもなんとかしてあげたいと思う気持ちは自然だし、素晴らしい事だと思う。関西淡路大震災が日本のボランティア元年といわれている。たぶん社会的システムとしての「ボランティア」が日本の世の中に認知されたのはあの頃だったと思う。

今回の震災でも多くのボランティアが被災地に行き、人の役に立つべく頑張っている。人が人の役に立つことを考え行動している姿は美しい。でも、きょうの朝のニュースみたいなことも起こっている。すごく残念なことだ。ボランティアの気持ちに上手く対応できるシステムができないものなんだろうか?それを少しでも有機的に結びつけよう!という趣旨の「助けあいジャパン」は、新しいソーシャルメディアの実験的な試みなんだと思う。走りながら考えて進んでいる感じ。

今日感じたのは、ちょっと別の問題。「最大多数の人の力を結集して、世のため人のためになることをする」というボランティアの立ち位置を守り通すためには、政治的にも宗教的にもニュートラルでなくてはいけないと思うのだ。でも大災害においては、各種の公的な団体NPOやNGOだけでなく、宗教団体や政治団体も動き始めている。もちろんそれぞれの団体において「悪気はない」わけだけれど、自分たちの信条である特定の価値観を(無意識のうちにでも)押し付けようとする団体や組織に対して与する事は、絶対に避けなければいけない、と思うのだ。僕は基本的には仏教徒(なんちゃって、だけどね)であるけれど、クリスチャンもムスリムも寛容するべきだと思う。でも(本人達は意識していないけれど)被災者の傷ついた心に土足で入り込むような新興宗教や政治団体にはきっぱりとNOと云わないと、せっかくの存在意義が問われてしまうと危惧するのだ。一見、親切で極端に「いい人たち」の集団にはとくに注意が必要かと。自分たちが実は宗教団体/政治団体だなんてぜったいに一は言わないし。まあ怪しい宗教団体の場合「目があっちの世界に行っちゃっている」人が多いので、ふつうは気付く筈だけれど、巧妙な集団も多いからねえ・・・。

「ずずずっきゅーん」の後、「すっこーん」と抜けた

僕のいくつかある「弱点」のうちのひとつが、耳。プールとかお風呂の後にどうしても綿棒で外耳道をクリア&ドライにしないと気持ちが悪くて、きちゃない話ではあるけど毎日すこしずつ「耳あか」を押し込んでしまうらしい。さらに僕の外耳道は人より狭くて異様に屈曲しているらしく、そのスペースに「耳垢石」が出来てしまうのだ。記録をみてみると、2009年の12月の耳の中の石事件や、2010年2月にはひどい外耳道骨膜炎を起こしている。でも、このところ調子良かったんだ。ところが震災のころから徐々に右耳に違和感が出て来て、今朝起きてシャワーを浴びていたら「ぴたっ」と聴こえなくなってしまった。音が聴こえないというのはずいぶん辛いものだ。今日昼休みに耳鼻科のK先生のクリニックへ行き、ファイバーで鼓膜を覗いてもらった。

「あのう、またやっちゃったみたいです」
「どれどれ、うひゃー大きいね、今回も」
「そーっすか、あ、本当だ!でも人には自慢できないね、こんなもの(笑)」

K先生のゴッドハンドで、いろいろクチュクチュと操作してもらって・・・
「んじゃ、いきますよ、ちょっと痛いからね!」
「らじゃ、お手柔らかに・・・」

極細の吸引チューブで吸い取る。

「ずずずずずずっつきゅーん!!!」みたいな大音響とともに、右耳は「すっこーん」と抜けた。
この開放感はたまらない快感(笑)。

今まで何を聴いていたんだよって自分ツッコミをいれたくなるような異次元感覚なのですね。聴力倍増というか。とくに可聴音域がぐぐっと広がった感じを実感できる。いずれにしろ、K先生曰く定期的なメインテナンスは必須だそうな。またよろしくお願いします。癖になるかも(てか、もうなってる)。

April 25, 2011

情報過疎と被災地格差ということ

4月29日に行く予定の岩手県の山田町というのは、陸中海岸のど真ん中。釜石の北、宮古の南。釜石はかみさんの故郷という事で、結婚してから何回も訪れた事が有る。釜石の北にある浪板海岸では子供達が小さかった頃に数日間キャンプをして夏休みを過ごした。美しい海岸線、豊かな海の恵み、松茸や山菜、温かい東北の人たち。大好きな場所だ。今回の震災ではこの辺りに大きな被害が出た。釜石、大槌、山田、宮古。僕の知っているあの美しい陸中海岸の町は殆ど壊滅してしまった。山田の船越湾の津波映像は震災後何回も放送されて目に焼き付いてしまったくらいだ。今回、この場所に僕が医療支援に行く事になったのも、仏縁なんだと思う。この29日は3月11日から数えて、四十九日。このタイミングも何かの縁だろう。

週末からさかんに情報収集しているが、現地の生の声というのはなかなか聴こえてこない。被害が甚大だったこともあり、自衛隊をはじめいくつかの医療チームも活動中のようだし、徐々に日常生活は回復しつつあるとの事。でも実際には、被災した人たちにとって復興にむけての苦難の道はたぶん始まったばかりなんだろう。その意味では「被災地」といっても、仙台、石巻、釜石、宮古などの「災害拠点」にはある程度物資も人も届いたという反面、最前線はまだまだ足りてない、という格差が存在する。医療に関して云えば、もともと過疎地で、たぶん地域医療を現場のぎりぎりの努力で続けていた場所なのだからさらに格差があるのは残念ながら自明だ。その現場で必死に生活を取り戻そうとしている人たちをどれだけ継続的にサポートし続けることができるか?が、これからの僕らの課題だろう。僕らは皆、自分のできることをベストを尽くして、粛々と活動するしかない。医療だけでなく一般ボランティアも、なかなか入り込む事が出来ない場所なので、一般の生活を取り戻し被災した人たちが本格的に動き出すためには、これからのフェーズが大切な「次のステップ」になるんだと思う。

今日の先発隊の情報によると、「ライフラインは、電気○ 水道△(一部使用可) ガス× 通信:固定電話○(予定) docomo○ au一部可 softbankほぼ不可」とのこと。えっ、i-phone使えないし3Gもアクセスできないってことか!今も現地からの情報発信はなかなか困難な状況。つまり、こちら側から見れば「サポートしたいのに情報がない」ということは、向こう側から見れば 「情報を発信したくてもその術がない」ということなのだ。今さら実に当たり前の事実に気付いたりして。「表題」については、今後要考察。メモとして記しておく。

April 24, 2011


気持ちのいい天気の日曜日。昨日買ったNEX-5のテストも兼ねて散歩した。操作感覚も画質も大満足。下の画像はテラスの鉢のマクロ。このカメラ、色調の鮮やかさがいい。昼ごはんは「丸亀製麺」の讃岐うどん。今日は野菜天&海老天のせの温かいうどん、うまし!その後はジムで10本500m軽めに気持ちよく伸びた。照明を落とした暗めのプールもなかなか趣きがある。慣れだけでなく、こっちの方がいいかも。かみさんがバリから帰ってきたので、一家で「金沢まいもん寿司」へ。

April 23, 2011

「綾瀬はるか」か「北川景子」か?

画像系には全然自信がないのだ。センスがない、と自分で思ってる。でも「へたの横好き」というか、以前から興味はあって音楽系に加えて画像系のデータが自分なりに表現できて保存できれば、きっと楽しいんだろうなあ・・・と思っていた。いわゆるコンパクトデジタルカメラ(コンデジと云うらしい)は、娘たちの分まで含めれば自宅に新旧5台くらい転がっている。コンデジの技術は驚異的に進歩していて、その圧倒的な扱いやすさとポータビリティはもう究極的で「これ以上望みません」クラスまで達しちゃっている。つまり、僕程度の知識とセンスであれば、今使っているi-phone4のカメラで「十分」というか、それさえも「全然使いこなせていない」位のレベルまで進歩している。つまり「ハイ、チーズ!」的な使い方をしているのであれば、携帯のカメラで十二分なのだ。

でもね・・・最近になって敢てデジタル一眼に興味をもったのは、僕みたいに全然センスのないオッサンでも、それなりに楽しむ事が出来るような画像を撮る機種が随分安く買えるようになってきたらしい・・・ということを知ったからなのだ。成毛眞さんのブログでの魚眼レンズの風景写真にインスパイアされたこともあるし、こーめい先生のNIKONの画像に刺激を受けた事もある。さらに、来週訪れる被災地の記録を自分なりに(自分のために)撮っておきたいというモティベーションもある。そんなこんなで先週来、物色し始めたら魅力的な機種がいっぱいあって、どれにするか迷いまくってしまった。。今さらながら、カメラ大国の日本の底力を感じたりして。

今回、僕が選ぶ基準にしたのは以下の項目:
①いわゆるデジカメとは違ったクオリティが撮影できること。つーか、そういう「懐の深さ」があること。使いこなせるか?は別として。
②「写真が趣味」のおっさんぽくない「カジュアル」な機種であること。「形から入る」僕
③毎日バックパックに背負って動ける程度のサイズと重さ。ポータビリティがいいこと。
④フレームを覗いたり、小さなディスプレイを見るのは、老眼にはツライ。ディスプレイの見やすいことは必須。
⑤成毛師匠のような「魚眼撮影」が簡単にできること。ちょっとこだわっている。
⑥フル・ハイビジョンの動画が撮れればさらにいい。
⑦交換用のレンズはどうせ使いこなせないんだから、汎用性のある使いやすいレンズがあること。

候補に挙がったのは 
SONY NEX-5
LUMIX GF2

一眼レフではないけれど
Olympus XZ-1
NIKON Coolpix P7000
も携帯性と必要にして十分な装備があって検討に入れた。

午後、有楽町のBICへ。ソニーの販促担当のIDを付けたニーチャンなのだけれど、彼は実に真摯にいろんな機種についての僕のワガママな質問に答えてくれた。ソニー以外の機種についても詳しし、それぞれの長所短所を教えてくれる。結局、決めきれず(笑)いったんクールダウンして(笑)、交通会館の「麵屋ひょっとこ」を初訪することにした。評判の「柚子塩ラーメン」(絶品!)。

で、結局、第一印象の良かったSONY NEX-5Dとアクセサリーにfish-eyeレンズを買う事にした。最終的に「綾瀬はるか」(LUMIX)と「北川景子」(SONY)のどっちが好みか?という話ではなく(笑)、僕にとってディスプレイの見やすさが圧倒的にSONYのほうが使い勝手が良かったということが決めてだった。ちょっとでかいのが難点ではあるけれど。貯まっていたBICポイントとか,今の時期の「お得意様ディスカウント」とかを駆使したら「えええっ!こんなに安いの!」というムフフ価格で買う事が出来た。めでたしめでたし。

i-phone から入力テスト

3Gからのアクセスになりそうだということが判明し、i-phoneからの書き込みテスト。こーめい先生からエアのキーボードを貸してもらい、ふううむ、 US keyboard に慣れさえすれば、快適に入力できる。ということでテストです。

April 22, 2011

いまじぶんにできることをできるかぎりやること

来週、被災地の医療支援に行く事になり、その準備をするべく現地の状況の情報収集をしてみると・・・。信頼がおけて実際に使える「リアルタイムの情報」の少なさを痛感する。「助けあいジャパン」は災害支援のポータルとしてはダントツで使いやすいけれど、まだまだ「森や林」のレベルの情報が多くて、個々の木々の情報までは扱い切れていない。今は基本的なライフライン情報にしても、あるにはあるけれど、実際に現地に入るにあたって何をどのくらい用意するべきなのかは五里霧中だ。結局行ってみなければわからないことだらけ。現地は、水や電力は復旧していて、携帯も使えそうだけれど、インターネットに接続するのが困難な状況のようだ。とにかく、5日間は自己完結的にサバイブできる用意はしていくつもり。それと僕も現地から出来る限りの情報発信をしようと思う。

この未曾有の大災害においては、バラバラになったジグゾーパズルのピースを組み合わせて、ひとつの大きな「絵を完成」させようなんて思っちゃいけないんだろう。これからも、手に入ったピースを僕らのできる範囲で判りやすく分類して、使えるものは使ってください!というスタンスであるべきなのだ。それがさとなお君のいいう「永遠にベータ版」という意味なんだと今日実感した。

とにかく被災地の状況は刻々変化しているし、ものスゴいスピードで復興プロセスは進んでいる。今日の情報を見る限りでは、宮古と釜石の中間にある地域の復旧は日々進んでいるものの、まだまだ本格的な復興は始まったばかり、というところらしい。

医療支援に行く岩手県山田町(陸中山田)は発災直後の津波の画像が多く残っている。震災直後に繰り返し流れた悲惨な画像。そのなかで「岩手県立山田病院」の3月28日の映像があった。震災直後から継続的に身を粉にして頑張っているひとりの医師の姿を追う映像。足に地をつけて頑張るH先生のお役に少しでも立てれば・・・と決意を新たにした。部外者である僕らの「頭でっかち」な「思いこみ」で「空回り」しては現地の人たちに迷惑だろう。その辺りは心して振る舞わなくてはいけない。この週末も準備を進めるつもり。

メモランダム 山田病院

http://www.fa9el.net/video/9c4bed7cb43e35e15a6

April 20, 2011

助けあいジャパン サイトリニューアル なか打ち上げParty☆

ということで、麻布十番の「本部」にてパーティ。ここに参加することになったのは、本当に偶然みたいなものなのだ。311の大震災とその後の原発事故を目にして、僕達は皆、茫然自失で言葉を失い、自分が何も出来ない悔しさと虚しい気持ちを抱きながら、日々を過ごしていた。世の中の人たちが皆どんよりと俯いて、涙していた。そんな時、自分達の持っているスキルや今まで築き上げてきたコネクションを総動員して、「日本のために何か出来ないか?」という、皆の心の中に漠然とある気持ちが着実に「どこか」で「ある方向にむかって」動き始めたのだ。そのベクトルの源となったのはさとなお君たちで、その不思議なご縁で僕も参加させてもらうことになったのだ。参加するといっても、FB上のディスカッションにたまに参加したり、医療関連のcredibility の高い情報ソースをスクリーニングしたくらいしかしていないんだけれど。でも、僕はこの活動に参加させてもらって、実をいうと自分的には「救われた」んだと思う。

 今夜はその「情報発信本部」の中打ち上げパーティということで、Facebookでしかコミュニケーションした事のない、全然専門分野の違う人たちとお会いするパーティ。業種も年齢も男も女もバラバラなんだけれど、「今、何かしたい」的なモティベーションというかインテンションのある人たちで、実にユルユルなんだけれど、とても温かい「連帯感」のある会だった。会った瞬間から旧知の人たちみたいな親密感がある、不思議な空間。この空気はビジネスの世界のノリではなくて、まさに新しいタイプの「同じ志を持った」自然な緩やかな繫がりの世界なんだと思う。なんとなく体育会系の打ち上げ的なノリに近い気もするし、文化祭の後夜祭後の打ち上げ会みたいな感じもあるし(笑)。このサイトは「永久にベータ版」ということで、これは第一歩なんだな、たぶんこれから長いおつきあいになるんだろう。

April 19, 2011

iphone4用魚眼レンズをゲット


新しいおもちゃを購入。先日来捜していた魚眼レンズのiphone4用をAmazonでゲット。今日届いたので、早速オフィスのプリンター上に飾ってある「自衛隊LAV」をパチり(ん?写真を「ぱちり」って今じゃ死語かも)。視点も変わるし視野が広くなって面白い写真がとれそうだ。差し当たりいろんな街の風景を撮ってみよう。来週被災地にも行くし、やっぱり新しいカメラを買おうっと。夜は自由が丘で、新入職員歓迎+昇格者お祝い+ソフトボール大会打ち上げの会。いんちょ(僕)は大した事ないのに、集まってくれたウチの病院の素晴らしいスタッフは、一番の財産だと思った。

April 18, 2011

どうせなら、顔で選んだらいいかも(笑)

24日は区長&区議会議員選挙だそうな。選挙公報の常として、立候補者の「写真」「経歴」などのコンテンツが新聞や街の掲示板に掲載される。僕は横浜市なので今回の選挙の有権者ではないけれど、今朝通勤電車でネット新聞を見ていたら吹き出してしまった。これは実に笑える。まあ、選挙活動なのだから候補者たちは自分の「一番いい顔」を選んでいるハズなんだけれど、しげしげ見ているとこれが笑えた。引きつり笑いの媚びた態度のジジイ、これが自分の最高よ!という態度がミエミエの整形おばさん、腹黒さを醸し出しているオッサン、こいつちょっと精神を病んでいるだろ?というにーちゃん。はっきり言ってマトモな奴はいなさそう(爆)。少なくとも世田谷区の区長選挙に出ている候補者では、検討に値する候補者が一人も居ない(爆)。経歴からはマトモな教育を受けて、今までの仕事で誇れる実績のある人がいないってどーよ。そのくらい世田谷区がナメラレているってことなんだけれど。これでいいんですか?どうせなら、顔で選んじゃえば・・・。Black Jokeじゃなくて本音で思うな。

April 17, 2011

震災支援ソフトボール大会


気持ちのいい春の一日。ちょっと肌寒いくらいのこの気候が気持ちいい。戸田市道満球場で8:00から職場の震災支援ソフトボール大会。毎年恒例のイベントだけれど、今年は震災の影響で1週間延期して支援の意味を持って開催された。実を言うと、中途半端な開催は反対だったのだ。やるならやるで「いつも通り」にやるのがスジだと思ったから。でもそれは杞憂に終わった。春の気持ちのいい空の下、生き生きと動き回る選手たちに力をもらった感じ。ところが、11時ちょっと前に病院で急変があり、途中で退出して病院へ戻った。

仕事を終えて帰宅したら異様に眠くなりマッサージチェアに坐っていたら爆睡1時間。目覚めてからジムに行き1時間ラン&マシン&ストレッチ。夜はゆっつんとたまプラCoccoへ。上妻先生に教えてもらったお店で、今日初訪。大山地鶏の焼き鳥&カジュアルな料理でCP良好。期待以上のいいお店だった。「てっしょう」は別格としても、たまプラでは「とり平」や「萬亀」よりダントツ好きかも。

画像は宮城県塩竈の浦霞「春酣(はるたけなわ)」2011年限定品を入手していたもの@自宅リビング。このフルーティな香りは「実に春っぽい」。海外でウケそうな日本酒だなと思ったら、NYで大人気の浦霞の「禅」の生酒だそうな。限定酒をラッキーな事に3本入手できたので、2本は助けあいジャパンの石川さんのパーティへお裾分けした。

「はたらく自動車」の夢サイト


愛読している成毛眞さんのブログのバックナンバーで、「模型」についての記事(2010-10-05) を見ていたら、世界中の様々な模型メーカーのサイトの紹介があった。その中でドイツのConradというメーカー。「はたらく自動社車」好きにとっては垂涎もののメーカーだ。NZGというメーカーも楽しそう。コレクションし始めちゃおうかな。僕は勝手に日本のメーカー「田宮模型」とか「京商」とか「ハセガワ」とかが世界最高で唯一のものと思い込んでいたらけれど、無知だった。同好の士っていうのは世界中にいるのだね。ははは。

April 16, 2011

フィッシュ・アイLOVEだったんだけど

午後から有楽町のBICに行きカメラを物色。写真に関しては全然センスもないし、技術的にも未熟、知識も皆無なんだけれど、あるブログで旅で出会った風景とか街角の情景を記録してある作品を見てから、俄然魚眼レンズで風景を撮りたくなったのだ。一眼レフのデジカメを物色して機種を絞ってから、店員さんに「超広角のフィッシュアイの交換レンズってどれがいいの?」と聞いてみた。これとかあれとか、へえ・・・いくら位するのかな?と値段を見てびっくり。カメラ本体と同じか、いいレンズだとその倍はするのですね!レンズの付属品つーには「重過ぎる」(笑)。結局、今日は退散する事にした。まあ衝動買いはスン止めできた(笑)

帰路ジムで1時間、間接照明の薄暗いジムも慣れれば悪くない。今日も黙々とランとマシン。かみさんは今日からバリ旅行。夜はゆっつん&さとちゃんとSimpaticaでご飯。タパス、アヒージョ、ソパ・デ・アポ(にんにくスープ)、たっぷりサラザ、アンチョビポテト、あさりのアロスなど、今日も美味しく頂いた。食事の終わる直前に急変コールがあり、急いで家に帰りタクシーで往復。

帰宅してからネットを見ていたら、面白いおもちゃを発見。なーんだ1/20で買えるんじゃん(爆)

いや驚いた、コレ

エンターテインメント系のCM。Magnum Pleasure Hunt across the Internet これにはぶっ飛んだ。インタラクティブな関係というか、いつかこんなCMが出来るんだろうなとは想像していたけれど、実際に体験すると感激する

April 15, 2011

若き自衛隊の勇者たち「復興の狼煙」

今日の午後、ある病院を訪問し用事を済ませて環八を走っていたら「震災支援」の自衛隊のトラックの一団と出会った。荷台に坐って移動する若い隊員さんたち。たぶん被災地支援から原隊復帰の休暇に帰るトラックなんだろう。疲労困憊なのに、ゆっくりと足をのばすことなく、軍事トラックの荷台にクッションもなく最悪の座り心地で移動する彼らに、『本当にご苦労様』と、運転していたY君と助手席の僕は自然に頭を下げた。任務とはいえ弱音も吐けず、口にするもの憚られるような体験を毎日している彼ら。国のために捧げる立派な仕事に従事する若者達だ。

「美化することなく、英雄扱いすることなく、感謝も、慰労も求めておりません。」という現役自衛隊員の記事(JB Pressから)は、深く考えさせられるものだった。

FBで知った「復興の狼煙」ポスタープロジェクトのポスター。かみさんの生まれ育った釜石の人たちの姿。コピーも秀逸だ。この写真とコピーの持つ力に、ノックアウトされた。本当に素晴らしい。見ているうちに涙が溢れてきた。決して同情ではない「日本人としての共感」を、瞬間的にこれほど感じた画像は・・・ないかも。

April 14, 2011

震災義捐金ビアパーティ in アウグスビアクラブ

ひさしぶりの六本木。August Beer Clubにて医療系異業種交流の会for震災支援。おいしいビールを楽しみながら、いろんな人と話した。このビール、なかなか高レベルだった。福島の地ビールらしい。水の美味しい福島。この美しいままでいて欲しいなあ。若い頃1年間住んだ福島には思い入れがある。美しい土地、初めはぶっきらぼうなんだけれど心を許し合ったあとはスゴく温かい人たち。原発問題から早く復興して欲しいと心から思う。今夜の会を仕切ったぶんぶんさんこと池上さん、ご苦労さまでした。4月下旬に復興支援のツアーに行く染谷君、サポーター代表の桜井君、藤沢の在宅を支える中村さん、I書院の鈴木さん(今夜は着物姿)美しかったです。異業種応流の会なのに、今夜は名刺を忘れるという失態をやっちまって、お会いした多くの人たちには失礼してしまった。ごめんごめん、すまんすまん。今後ともどうぞよろしく。今日一緒に行ったウルトラスーパー医療秘書のあいちゃんとプラタナスのわたなべさん。今日の話の後半は、僕のいとこの独身男のMくんと付き合ってくれないかなあ・・・という話になった。この美女二人に一所懸命に彼を「売り込んだ」んだけど、反応はイマイチか(笑)。

April 13, 2011

バックステージの恍惚

22時過ぎ。ジムからの帰り道。フィジカル的には心地よい疲労を感じつつ歩いていた。震災後、照度を落としている薄暗いたまプラーザテラスのモールの中で、ふと感じた不思議な感覚。なんというんだろう、本番が終了した直後のバックステージの空気というか。デジャ・ヴ。遠い記憶を想起した。実際には2秒間くらい(2分間ではない)のタイムフレームだと思うけれど。今日の薄暗いモールの光景=本番前、本番終了後の姿、というか連想なんだろうか?これらのプリミティブな「バックステージ」体験を想起させる、「何か」があった。この不思議な既視感をメモしておこう。

①「開店前のデパート」:幼稚園か小学校低学年。姉のスケートの早朝練習に付き合って、冬のまだ暗い時間に開店前の池袋の東武デパートの屋上にあったスケートリンクに通った時の情景。デパートの裏玄関から入ってまだ世の中が眠っている時間にも「準備をしている」人たちがいる、その「本番前」の緊張感を初めて知った時のこと。

②小学校の学芸会。準備をして衆目監視の「舞台」上で「演じる」ということ。舞台に出ている役者だけではなく、それを支える裏方がいて「シナリオ」とか「段取り」とか「約束事」とかがあることを学んだ。とくに舞台袖の本番前の「わくわく感覚」が、ものすごく印象に残っている。今正直に告白すれば、おしっこをチビリそうなほどわくわくしたのだ。学校教育における「学芸会」の教育的効果について、今この歳になって初めて体感的に理解できる。

③初めて本物のステージで歌を歌った経験。学園祭でPPMを演奏した。14歳か?九段の千代田区公会堂のステージだった。その情景がフラッシュバックした。

④1974年「たむたむたいむ」公開録音の渋谷公会堂の楽屋。バックステージに立って客席から聴こえた歓声。

この不思議な既視感をメモしておこう。もう少し、要考察。

レベル7 逆オオカミ少年になりたいのか?

レベル7。なんで今、この中途半端なタイミングで発表するんだろう?この人たちは、自分たちの発言がどれだけの意味と影響力があるのか、十分検討した上で動いているんだろうか?戦略的思考をしているとは思えない、この無自覚で無節操な人たちを見ていると、心底不安になってしまうではないか!
 包み隠さず情報公開disclosureすることとの根本には、出される情報の信頼性credibilityがあり、それを公開する人たちに対する信用性reliabilityが必須の条件だ。このケースでは、そのすべてが「なってない」。それをコントロールするべき政府の責任は重大。震災後、お上の批判は極力さけるようにしていたけれど、これじゃダメだわ。現場で頑張る人たちのご苦労を思うと忸怩たる思い/

April 12, 2011

首都圏で自転車に乗るなら


震災後、エコ指向ということもあり、自転車移動が流行している。でも、僕は日本の首都圏、とくに東京や横浜の路上で自転車に乗ろうとは思わない。道路は狭いし、自転車専用道路は少ない。見通しの悪いところも多いし、自動車を運転するドライバーの自転車への意識が低い気がする。救急医療の現場でも、何回も悲惨な例を治療してきたし、僕自身何回も自分で自動車を運転しながらひやっとしたことがある。まず、自転車で走る人たちの意識がすごく低い。ヘルメットを被らないで平気で走行しているし、前と後ろに子供を括り付けて平気で走っている親(信じられない!明らかに虐待だ)も異様に多い。虐待している(自転車が倒れたら、括り付けられた子供は自分ではよけたり逃げたり出来ないのだ!)ことを自覚していないのはもっと罪。マナーも最悪。ヘッドフォンをかけながらとか携帯をいじりながら走行していたり・・・その結果がコレだ。「この道何年」みたいな、ちゃんとしている人はちゃんとしていて、道交法をしっかり遵守して安全に自転車を楽しんでいるけれど、まあアヴェレージのライダーはひどいもんだ。その意味から「自転車免許」は絶対に必要だと思う。ニュージーランドみたいな場所なら「自己責任」で全然問題ないんだろうけれどねえ。僕自身は、数年前に路上を走っていて路肩で脱輪してコケて以来、それがトラウマになって自転車には乗っていないんでエラそうなことは言えないんだけれど。

ちなみに、2011年1月6日の毎日新聞によると、日本では車道ではなく歩道から交差点を渡る自転車と交差点を左折する自動車の間での交通事故死者が多い点が研究により明らかになったと報じている。「自転車事故の7割超が交差点に集中し、その主要因は自転車の歩道走行にある」と。やはり、国内の自転車乗用中の死者は年間1000人近くで先進国の中で突出している。この数字は「死者」の話で、傷病者であればその数倍か数十倍になっていることは想像に難くない。欧州各国では道路幅が狭くても交差点付近の車道に自転車用通路を確保する(自動車に停止線の前にスペースを作っている)など対策が進んでおり、国内でも同様の対策が急務となっている。そこまで判っていれば早急に対策は立てられるだろうに。

それと、ここには指摘してないけれど、自転車が加害者になった「歩行者」への死亡事故や傷害事故も、決して少ない数じゃない。死亡事故も実際に起こっている。これも非常に問題で、多くの場合には補償さえされずに泣き寝入りになっているらしい。自転車が凶器になりうる、という啓発教育も大切だろう。

みんな「三輪車」にしなさい。あ、ちょっといいかも。

メモランダム(04-09-2011)

うううむ。
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人間が一定数以上住む場所には、必ず霊的なセンターを置き、「存在しないもの」に対する配慮を覚醒させ続けることは、人類学的には抗命を許されない絶対的命令なのである。

「存在しないものをして、『存在しないもの』としてそこにあらしめよ」

というのが私たちがそこから逃れることのできない人類学的命令である。
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内田樹研究室ブログより

April 11, 2011

ネッチケット教育について

Facebookなどのソーシャルネットワークの人間関係について、基本的な作法とか礼儀とか距離感とかを初等教育の時点から、かなりしっかりと教育する必要があると痛感する。リアルの世界では、生まれて大人になるまでの過程で、親、兄弟、家族、学校、地域、職場などの人間関係を通して、通常はその大切な人との「距離感」とか「プライバシー」の大切さとか「マナー」を少しずつ体得していく。褒められたり恥をかいたりしながら。ところがIT技術はあまりにも急速に進歩してきたので、ネット空間での「マナー」とか「慣習」や「しきたり」は既存のものとは異なる(というか同じではない)事も多く、いわゆる「文化的なレベル」にまで熟成する前に、次の新しい技術が台頭してきてしまうのだ。だから使用者/当事者である僕らは、それこそ必死に試行錯誤しながら、なんとなくルールらしきものが出来あがってくることになる。つまり従前の礼儀や儀式的な「プロトコール」とか「ルールブック」とかは皆無で「不文律」の多い世界。これがなかなか難しい。最近じゃFacebookの人間関係の距離感とか使い勝手について、僕もやっと判ってきた気がしている。みんな悩んでいるみたいで、よく人にも聞かれるし。

考えてみれば、1980年代後半のCompuserveとかNiftyserveのパソコン通信の時代から、インターネットの時代になり、さらにMixiなどのSNS, 最近のTwitterやFacebookなどのネット上のコミュニケーションまで、25年以上この世界を体験してきた訳だけれど、まあどの時代も「同じようなこと」が問題になり、「同じような厄介な事」が起こり、「同じようなソリューション」が解決策になっている。速度感が昔とはずいぶん変化したけれど、一言で言えば基本は一緒だと思う。ネット上の繋がりは本人の属性を正直にexposeしている限りに置いては、基本的には「性善説」でいいと思うけれど、どこまでそれを公開するか?については、見ている人の姿が見えない分、できるだけ神経質になったほうがいいということだ。どのように自分が人に見えているのか?について意識していた方が賢い振る舞い方だと思う。上手く言えないけれど。反面、②チャンネルに代表されるような匿名性のある情報のやり取りは、「トイレの落書き」みたいなもので、ドス黒い人間の汚い部分を表している。基本「性悪説」。そういう「いいことも悪い事」も教え、そのネット上の振る舞い方や礼儀の基本を教えてあげる教育が絶対に必要だと思う。え?誰が何を教えるのか?それが問題なのだけれど。でも、まあ、そーゆーことだ。

あ、でも今気付いたけれど、新しいコミュニケーションメディアとしてとアナログ的な手書きの手紙の素晴らしさ、というか優位性は再認識されるべきものだと思う。これからの時代にはそれを書けるというのも「特別な素養」なのだ。「手紙」が注目されるかも。

今日もまた大きな余震、震度6。驚かなくなってしまっている自分に驚く。

April 10, 2011

桜・春爛漫・震災復興 Walk 0n!

6時過ぎに目が覚めてからぬくぬくしているうちに二度寝した。10時間睡眠。リビングのストレッチポールでのびのびしていたら、また眠りそうになった。そのくらいこのところの疲れが凝り固まっていたんだろう。「統一地方選挙」ということで、神奈川県知事、県議会、市議会の選挙投票に向かう。家のささやかなテラスのチューリップも咲き乱れ、家の前の桜並木も満開。公園では家族連れのお花見が真っ盛りだ。子供連れの家族たちがお弁当を拡げて楽しそうにしている。その光景を見ていたら、あの美しい東北の春を、同じように幸せに迎えられる筈だった「家族」のイメージが重なってしまい、立ち尽くしてしまった。日本人と日本の社会が共有するこの哀しみを乗り越えるエネルギーは並大抵のものではないだろう。「助けあいジャパン」の石川さんが書いていたけれど、「世界最大級の災害なら、世界最大級のやさしさが必要だ」と思う。先頭を走るべき僕らおっさん達が今凹んでいては仕方ない。とにかく前方斜め上45度に顔を向けて歩き始めるのだ。期待を込めて一票投票した。政治は果たすべき役割がこれほど求められるタイミングはないだろう。

「中央公論」5月号 「がんばろう日本」特集
When you walk through a storm,
Hold your head up high,
And don’t be afraid of the dark,
At the end of a storm, there's a golden sky,
And the sweet silver songs of a lark.

Walk on through the wind,
Walk on through the rain,
Through your dreams be tossed and blown...

Walk on, walk on, with hope in your heart,
And you7ll never walk alone...

Walk on, walk on, with hope in your heart,
And you'll never walk alone,
You'll never walk alone...
(引用:本文からは出典不詳)
この号もなかなか読み応えのある記事多数。総合誌の面目躍如。
Walk on(歩き続ける) というメッセージ/じっくりと読みたい。

丸亀製麺で讃岐うどん「温玉ぶっかけ、海老天ぷら」どっちゃりネギをのせて頂いてエナジーチャージをしてから、ジムで10本500m。今日のプールはガラガラでノンストップで泳げた。ジムから出て浅草へ向かう。浅草のイチローさんが区議会議員に立候補していることを知り、僕はてっきり統一地方選の今日に区議会のほうも選挙があると思い込んでいて、ハックルの仲間で選対本部に陣中見舞いに行こう!ということになったのだ。田原町でじょうじ君と落ち合って、いつもの居酒屋横丁「たぬき」で一杯。日曜日午後の浅草は人出が一杯だった。呑ん平の魂を揺さぶる(笑)いつもの絶品スジ煮込みとお新香でビールと焼酎。その後、今日は選挙ではないという事実を知り愕然としたが(笑)、「ま、陣中見舞いということでいいでしょ」ということになり、千葉にゴルフに行っていたともPも合流して、イチロー事務所へ。持参したのは岩手の「あさ開」の大吟醸。東北支援の品。ところが事務所は彼らの愛犬ちこちゃんしかいない(笑)。んーーーん、とことんご縁がなかった日。おりこうなちこちゃんを「よしよし」してお酒を置いて退散する事にした。イチローさん頑張ってね。

夕食は、「あずま」へ。僕らは初訪問。ここんちはとんねるずの「きたミシュラン」でも星をもらった店で、「純レバ炒め」が有名で、さっそく「純レバ炒め」と餃子でビール。たっぷりのネギがのった純レバ炒めは、ご飯に絶対に合う感じ。自慢のタレも絶品。レバの臭みはまったくなく、これぞB級グルメで☆☆☆☆//
酢豚もチェック。これも街の中華屋さんの基本メニュー的に美味しかった。〆は「ラーメン」「ラーメンDX(デラックス)」「炒飯」。ラーメンは細麺鶏ガラ系醤油のいわゆる「支那そば」でバッチリ僕の好み☆☆☆1/2。Dxはチャーシュウ乱切りが入っててちょっとコッテリしているけれど、呑んだ後の〆としてはいい感じ。炒飯は焦がしラードの炒め系でこれも美味しかった。B級の王道をいく中華屋さんで大満足で解散。

April 9, 2011

プロは言い訳をしない

キッチンのシンクの浄水器がポタ落ちするようになり、色々調べた結果近くの水道工事の人に頼む事にした。このオッサンが、見積もりの段階から結構一所懸命なので今日来てもらうことにした。家のマンションの入居時のデフォルトがグローエという水栓。これがなかなかの曲者で、オッサン大苦戦。彼曰く、「普通はこんな非常識な取り付け(デフォルト工事)はしない。メインテナンスや将来の部品の交換を考えているとは思えない!」と、マンション施工の下請けの仕事に憤懣やるかたないみたいでぷりぷりしている。部品や工具を得るために、結局彼の事務所と家を2往復するという大工事になってしまった。まあねえ、僕ら素人は信じるしかない、特に水回りとかガス関係とかは手を出すべきじゃないと思うし。結局午後2時から結局7時くらいまで(5時間!)かかってしまった。どんなに難しくても、プロは言い訳しちゃいけないっすよ。工事総額10万円。

ということで、工事の仕上がりまで外出できずジムに行く予定は中止。家にいたゆっつんと二人でブルーレイのHDにとってあったちょっと前の韓国ドラマ「IRIS(アイリス)」を一気に観た。主役のイ・ヒョンボンはどーでもいいけど(笑)、キム・テヒってかわいくて魅力的な女優。ネット上は政治的発言でいろいろ言われているみたいだけれど、彼女は美しいので許す(<単純)。韓国の女優って「ひたむきさ」とか「芯の強さ」とか「耐える美しさ」みたいなものを演じさせるとダントツだな。というか、韓国の社会(のモラル)が女性にそういうものを「求めている」のがよくわかる。日本のドラマとは違う。考察の余地あり。このドラマは雰囲気そのものはアメリカの「24」のパクリであることは明らかなんだけれど、展開は実に極東アジア的。それなりに面白くストーリーを追えたけれど、全体の空気がうす暗いのと、筋書きの「距離感の設定」がぜんぜん不自然で非現実的なのが残念。これが日本のゴールデンでヒットするレベルか?といえば・・・ちょっとツライかなー☆☆。

April 8, 2011

メモランダム、4-8-2011 (その2) 内田樹先生

4−4−2011「リスクヘッジについて」より引用(部分)内田樹研究室ブログ

「考える前に考えるんだ」
よいことばである。
最適な戦略的選択をためらわない冷血さと同胞に対する制御できないほどの愛情という矛盾を同時に引き受け、それに引き裂かれてあることを常態とすること、それが「戦争ができる人間」の条件である。その「引き裂かれてあること」を徹底的に身体化するというのが、「考える前に考える」ということである。
==
私は別のところで、「考える前に考える」能力を「先駆的直感」と言い換えたことがある。どちらも同じことである。
エビデンスについて「存在する・しない」を論じるのは本質的にはナンセンスなことである。エビデンスというのは、「その時点での手持ちの計測機器の精度の関数」に過ぎないのだから、エビデンスは本来「感知できる・できない」という言葉で語るべきなのである。
感知できる人間に感知できることが、感知できない人間には感知できない。それは単純にメカニズムの精度の差に過ぎない。「数値的に考量できるものだけが存在するものであり、数値化できないものは存在しないものだ」と思いなすのは、「エビデンスが検知できないのは自分の手持ちの計測機器の性能が低いからではないか」という自省の習慣をもたない怠惰な知性である。そのような人間は「想定外」の事態の出来に対応することができない。
==
危機に対する緊急避難的な手立ては、それが「正しい選択だった」というエビデンスが示されたときは、もう選択肢には残されていない。

4-7-2011 「荒ぶる神の鎮め方」

神仏習合以来、日本人は外来の「恐るべきもの」を手近にある「具体的な存在者」と同一視したり、混同したり、アマルガムを作ったりして、「現実になじませる」という手法を採ってきた。一神教圏で人々が「恐るべきもの」を隔離し、不可蝕のものとして敬するというかたちで身を守るのに対し、日本人は「恐るべきもの」を「あまり畏れなくていいもの」と化学的に結合させ、こてこてと装飾し、なじみのデザインで彩色し、「恐るべきものだか、あまり恐れなくもいいものだか、よくわかんない」状態のものに仕上げてしまうというかたちで自分を守る。日本人は原子力に対してまず「金」をまぶしてみせた。これでいきなり「荒ぶる神」は滑稽なほどに通俗化した。
ーーー
原発は人間の欲望に奉仕する道具だ。
そういう話型にすべてを落とし込むことによって、私たち日本人は原子力を「頽落し果てて、人間に頤使されるほどに力を失った神」にみせかけようとしてきたのである。もちろん、そうではなかった。

メモランダム4-8-2011(小学生へのメッセージ)

文部科学大臣、総理大臣からの小学生向けメッセージの英語訳
(小学校段階の児童用)
to Children in the elementary schools (1st..6th grade – 6 years old .. 12 years old)

新学期を迎えるみなさんへ
Dear children!


みなさん、入学、進級おめでとうございます。
To those of you who enter the elementary school, and to those of you who proceed to the next grade, we extend our warm congratulations.


この4月から、また新しいお友達をたくさん作ってください。
We are sure that you are making many new friends in this April month, when a new school year begins.


みなさんは、この4月、希望に満ちた春を迎えるはずでした。
This April should have been a month of spring with full of hope.


しかし、この春は、私たちにとって、とてもつらい春になってしまいました。
However, this spring has unfortunately turned out to be an extremely sad one to us all.


ご存じのように、3月11日、あの大地震と津波が日本をおそったのです。
On 11th March 2011, the devastating earthquake and tsunami-waves struck Japan.

みなさんの中にも、ご家族を亡くされたり、あるいはいまも避難所から学校に通ったりしている人たちがいることでしょう。
To children in the area struck by the disaster:
Some of you lost your family members. Some of you are staying in shelters.


避難所の中では、みなさんがお手伝いをしたり、お年寄りや身体の不自由な人を助けて、掃除をしたり、食事の準備をしたりしてくれているという話をたくさん聞きました。
We have received many reports that many of you are assisting the adults at shelters, helping the elders and the handicapped, cleaning, or serving meals.


本当にありがとう。
We are truly grateful to you for your contributions.


いま、みなさんは、すべての悲しみや不安から逃れることはできないかもしれません。
We fear that many of you are new deeply sad and worried.


でも、みなさんは、けっして一人ではありません。
But please bear in mind that you will be not left alone.
どうか、先生やお友達と助け合って、一日も早く、みんなが楽しく安心して学び、遊べる学校を取り戻しましょう。
We urge you to work together with your teachers and your friends to make a happy school life.


私たちも全力で、みなさんと一緒にがんばります。
We shall do all what we can to be with you and to make your life happy.


災害にあわなかった地域の児童のみなさんにも、お願いがあります。
To children in the area free from the disaster:


どうか、みなさんの学校にやってくる、避難してきた仲間たちを温かく迎えてあげてください。
Some schools may receive new children seeking safety from the disaster area. We urge you to give your new friends your warmest welcome.


すぐ近くに、そういったお友達がいなくても、遠く離れて不自由な生活をしている子どもたち、あるいは、この震災で亡くなり、進学、進級を果たせなかった子どもたちのことも、同じ仲間だと思って、祈りとはげましの声をあげてください。
Some of you may not meet directly any children suffering from the disaster. We urge you to think of them as your own friends. Show your sympathy and support to those children who are now having a great difficulty. And do remember and pray for those children who lost their lives and could be with us in the new school year.


小さなみなさんも、節電をしたり、おこづかいを貯めて募金をしたりしてくれているという話もたくさん聞きました。
We have also received many reports that many of you are donating from your allowances and paying efforts to save the electricity to overcome the shortage.


そして、私たちはとても誇らしい気持ちになりました。
These reports make us extremely proud of you.


みなさんのその思いやりがあれば、日本はきっと、もっともっと素晴らしい国になって、もう一度立ち上がります。
We are convinced that compassion and dedication of each one of you will lead Japan to rise once gain as a nation much more wonderful than ever.


もっとも被害の大きかった東北地方にも、もうすぐ春が訪れます。
The spring will soon come to Tohoku area that suffered the heaviest damages.


みなさんは、「桜前線」という言葉を、先生からもう習いましたか?
Have you already learned from your teacher the expression “cherry blossom front”?


桜の花が開く日を線で結んだものです。
This is a line connecting the places where the first bloom of cherry blossom is observed.



日本の国土は縦に細長いために、沖縄では例年1月上旬に開花宣言が行われ、その桜前線は、約半年をかけて、5月の下旬に北海道の北端に到達します。
Japan is a long country from the south to the north. Starting from Okinawa in the beginning of January, the cherry blossom front travels throughout the country for almost for a half year until it reaches the north tip of Hokkaido in the end of May.

自然がおりなす、素晴らしい命のリレーです。
Cherry blossom front demonstrates the wonderful gift of the nature, a relay of life.


自然は、今回の地震や津波のように、時に、私たちに厳しい試練を与えます。
The nature some time gives us harsh challenges, like the earthquake and the tsunami, Japan just experienced.


しかし桜前線のように、私たちをやさしく包んでくれるのも、また自然の力です。
But we should remember that the nature also gives us a warm hug, as we can see in the cherry blossom front.


みなさんも、どうか、思いやりのリレーのバトンを、被害を受けた地域の仲間に届けてください。
We urge you to join a team relaying batons of compassion traveling through Japan to your friends in the disaster area.


電車の中でお年寄りに席を譲ること、身体の不自由な方たちの手助けをすること。
そうした身近な人への思もいやりが、きっと少しずつ広がって、桜前線と一緒に、被災地に届くことでしょう。

You can join the team by supporting the people around you, for example, by giving your seat on a train to an elderly, or by helping a handicapped. The baton of your kind deeds will be relayed by others. Such kind deeds of you all will form a front traveling throughout the country. This front will reach the disaster area together with the cherry blossom front.


この思いやりのバトンは、世界中からも届けられました。
Other countries from all over the world have sent batons of compassion to Japan.
バトン

世界中から、救助の人が来てくれたり、支援の品が届けられたりしました。
Many countries have sent rescue crews and materials to Japan.

みなさんも、たくさん勉強をして、今度は、このバトンを世界中の困っている人たちに返してあげられるような大人になってください。
What you can do now is to work hard at school, so that you can return these batons of compassion back to the world when you have become grownups.


原子力発電所の事故に対して、危険をかえりみずに立ち向かう消防士さんや自衛官、電力会社の人たちの姿。
各地の被災地で救命救急活動に当たった警察官やお医者さん、看護師さん、そして何より、本当に命がけでみなさんを守ってくれた学校の先生たちの姿を忘れないでください。
Please remember all the adults who now strive to help other people. Firefighters, soldiers and officers of the self-defense force, and members of the power company have been risking their lives to settle the problems at the nuclear power station struck by a serious accident. Policemen, doctors and nurses have been working hard to rescue and help people. School teachers protected the children with their all might when the earthquake and the tsunami struck.

みなさんも、もっともっと身体を鍛え、判断力を養い、やさしい心を育んで、他人のために働ける人になってください。
What you can do now is to develop your body, judgment, and compassion, so that you can help other people when you have become grownups.


私たちも、全国の学校の先生方も、みなさんが笑顔で登校できるように、全力でみなさんを支えます。
The Japanese government will do all what we can do with the teachers all over Japan so that you can have happy school lives.


日本の未来は、みなさんにかかっています。
The future of Japan rests on your shoulders.


みなさんの明るい笑顔で、日本を元気にしてください。
Give courage to all the people in Japan with your smiling faces.


6th April 2011

内閣総理大臣 菅 直人
Prime Minister Naoto Kan

文部科学大臣 髙木 義明
Minister of Education, Culture, Sports, Science and Technology Yoshiaki Takagi

April 7, 2011

当直明けは嗅覚鋭敏で辛口批評

当直の昨夜の前半は静かで、ごく普通の当直の夜のペースだったけれど、午前2時前から荒れ始め、5時過ぎまでがバタバタ。あまりにもエキセントリックな一人の酔っぱらいに対して、いい加減キレそうになったけれど、ぐぐっと押さえた。こういうのがストレスなんだよなあ。救急隊、警察、そして僕らを含めて、合計10人くらいのプロが振り回されたことになる。そいつの理不尽な態度に対して、公的なマンパワーを無駄にする事にペナルティを課することは、できないんだろうか?なんて真剣に思った。あ、でもこいういう正論を述べると似非人権主義者たちが批判するんだろうな。やれやれ、くわばらくわばら。睡眠時間は合計3時間弱。フィジカルよりメンタル面の疲れ。

午前、午後のルーティンを終了して、南町田のグランベリーモールへ。平日のアウトレットは人気(ひとけ)も少なく、なんだかヤケクソみたいな(40%オフ!)シューズのセールをやっていて、クラークスとリーガルを1足ずつ衝動買いしてしまった。本来はkeenかmont-bellのスニーカーを買おうと思っていたのだけれど、サイズがなく断念。18時から映画「ツーリスト」。さすがに木曜日の夕方の回はお客10人くらいで、がらがらだった。わりと楽しみにしていたけれど、地震騒ぎもあってなかなか観に行く機会がなかった。当直明けで疲れてはいたけれど、こういう時こそ非日常の時間は必要だ。ジョニー・ディップとアンジェリーナ・ジョリーの豪華な共演。ストーリーは、う--ん、そうだなあ、、、「騙したつもりが騙されてました」的どんでん返しのパターンだろうなってことは、前半で予想できてしまう作りかな。シークエンスが単純過ぎて残念。でも、画像の美しさ(パリとかベニスとか、美しいヨーロッパの街並)と展開のテンポの心地よさで、なんとか満足させてしまう。ジョニー・ディップは相変わらず上手い俳優で、安心して観ていられるコミカルな演技。アンジェリーナ・ジョリーってやはり美しい。美しいんだけれど彼女がセクシーかどうかは、たぶん意見がまっぷたつに分かれるんだろうな。時折見せるちょっと憂いのある目線と表情。やはりこの人は「正体不明」のキャラが染み付いている女優さん。それと、この映画は不思議なくらい登場人物が白人ばかりの映画で、みんながちょっと濃いめの体臭(フェロモン)を発散しているみたいで、僕的にはちょっと鼻についた。いつもはあんまり気にならないこの感じは、きょうは当直明けの特殊な感性なのか気になってしまった。映画そのものの期待が大きかっただけに☆☆1/2くらいでしょう。DVDかブルーレイのレンタルで十分と判断。

君の涙を前にして


震災後の気仙沼階上中学校の卒業式の卒業生代表の男の子の答辞。泣いた。君は立派だ。
彼の体験したことや気持ちを考えると、僕の立場で「頑張って!」なんて軽々しく言えない。

日本人として皆でこの痛みを共感し、ともに前を向いて進んでいくしかないと思う。子供たちに幸多かれ!

April 6, 2011

工事現場がなぜか好き

 東京ルールで当直中。以前からしばしばココにも書いているように、僕は工事現場とかで動いている重機とかキャタピラのついた「はたらく自動車」が大好き。巨大構造物を作る人たちに対する無条件の憧れと尊敬がある。これが僕の人生のどの部分から、どんな経緯で、どうしてそうなったのかは自分でもわからない。工事現場のどこがそんなに面白いのか、いくら説明しても(できないのだけれど)絶対に女性は理解できないだろうと思う。つーか男でも理解できない人は少なくないかも。このハードでディープな感性(笑)。3月初旬の震災前のある日、この雑誌「東京人」の4月号「潜入!土木工事の現場」を書店で目にして「迷わず」買ってしまった。たぶん、こんな特集が組まれるくらいだから「同好の士」というのはマスとしてはある程度はいるんだろうね。しかし、震災のごたごたに呆然としてしまう日々で、全然開く気にもならず放っておいたのだ。その他にも買い込んだ雑誌、小説や新書など多数積んだまま、もう4週間。そんなこんなで、今日は当直。オフィスに積んであった「東京人」を手に取った。現在進行形で進む「首都高中央環状品川線」のトンネルとか、東京スカイツリーとか、渋谷ヒカリエとか、そうそう原発事故で有名になってしまった「金町浄水場の巨大な「穴」(高度浄水施設)とか。。。もうワクワクものの写真を眺めていたら不思議と力が湧いて来た感じ。でも、この雑誌の取材をしたり原稿を書いている時点では震災がくるとは全然考えもしなかったわけで、そのある意味ではその「あっけらかんとした楽天性」(もちろん僕ら読者も含めて、だけれど)についてはちょっと考察の余地はあると思うだけれど。でも、とにかく、こんなすごいものを人間は作れるのだ。復興に向けて僕らが凹んでいてはいけないよね。喪に服して自粛するのはもういいだろう。前を向いて動き始めることが大切だ。

April 5, 2011

「ん?」と当惑した今日の出来事2つ

その①:
昼過ぎに、携帯がブルブルとなったので出ようとしたら、知人のSさんからの電話の不在着信のお知らせのSMSメール。あれれ、着信に気がつかなかったのかな?と、Sさんに返信をすると...全然知らない男性が出た。ごく常識的な返答。確かにSさんの番号に返信しているのに別人の電話にかかってしまったらしい。これはイタズラ電話ではなく、「あなたからの不在着信」に対する返信なのだということを説明して謝り、双方頚を傾げつつ、一旦電話を切った。そこで履歴を改めて見てみると、何回かSさんからかかっていることがわかった。SBは僕のオフィスの電波状態が悪いときもあるので、建物の外に出てもう一度返信してみたら・・・また別人。今回は自分も名乗り、先方も「オカシイですねえ・・・」と。昨今の震災後のゴタゴタで混線するようになったのか?・・・とか考えたり、i-phoneの誤作動の可能性を考えて達人のこーめい先生に聞いてみたけれど、彼とのラインはふつうに機能している。さらに、着信するとすぐに「ただいま電話に出られません」のメッセージが流れて、回線が切れてしまう(ことがある)ということが起こっていたことも判明。これも原因不明。それも毎回じゃないのが不思議。ただ、その後調べてわかったことは、i-phoneは時々誤作動を起こすことがあるらしく、様々な怪現象(笑)が報告されているみたい。誤作動対策としては、再起動をたまにやるといいらしい。ひとつの可能性としては、混戦した(したと思った)Sさんの電話番号が090と080の両方で登録されていたことで、確かめていはいないけれど、どちらかが間違っているのだろう。でもなーーー(と釈然としない>笑)。

その②:
ジムで10kmバイク、ストレッチ、マシンで軽めに1時間。帰路スーパーマーケットに寄った。調味料のコーナーで、30代くらいの女性が棚の方を向いて携帯で話している。はじめはぼそぼそ言っていて内容は聞き取れず、ああ、きっと家の人と調味料の残りが有るとかナイとか聞いているんだろうな・・・と思って、そこを通り過ぎようとしたら、急にその女性の声が大きくなり、ドスの利いた太い声で「てめー、わかってるんだろーなあ!ええっつ、許さないからねっ!」と電話に向かって怒鳴り始めた。この豹変ぶりには驚いて、そそくさとその場を離れた。格好もフツーの主婦風だったけれど、ごく普通のスーパーマーケットにはソグワナイ状況。たぶんBLの人でキレちゃうキャラなんだろうな。かなり病んでいる感じ。こういう人が普通に隣にいるということ。こわっ。

April 4, 2011

自販機税導入賛成!

愛読している成毛眞さんのブログにて、彼が主張している「自販機税」の導入について。なるほど!と唸った。実行するかどうかは別として、こういう発想が出来るということが素晴らしい。

以下メモとして(部分)引用:=====

日本における自動販売機の設置台数は500万台。うち270万台ほどが飲料販売機である。平均的な電力消費量は1KWであるから、ほぼ福島原発の1号機から4号機までの合計発電量に一致する。「ガイアの夜明け」によると都心部での設置密度は30人に1台にもおよぶという。(パラグラフ後半略)

乗車券販売なども含めた自販機による年間売上総額は6兆円であり、コンビニのそれに相当する。ちなみに、コンビニ店舗数は45000、1店舗あたりのアルバイト雇用数は平均20人程度だから、90万人が雇用されている。
(中略)1台あたりの年間売上は67万円あまりである。家庭で1KWの家電を使った場合の電気代は1時間20円程度であるから、自販機は1年に17万円ほどの電気代を支払っていることになる。(後略)
=======
ホンマかいな?と思ったので、バックアップの資料を当たってみると、「電気設備の知識と技術」自動販売機の普及と消費電力の概要にも、同様の数字が書いてある。ふむふむ。

以上を根拠に、彼の主張は、「自動販売機を減らして、電力消費はセーブし、サービス業の雇用は増やし、コミュニケーションも増やそう」というシンプルなもの。すなわち自動販売機税の新設。

なーるほど。確かに日本は異様に自動販売機が多い。これは世界的に見てごく稀なことだし、それほどアクセスの不便じゃないところ(たとえば人通りの多いお店のたくさんある都内の街の至る所)に乱立していたり、逆に夜間はほとんど人通りのない住宅街にあったりするというのも不思議だ。実際に開いているお店の前に自販機があるもんな。それもヘンと言えば変だ。冷蔵庫代わりなのか?外に出しておけるし(笑)。少なくとも昼間は、町中(まちなか)にある自販機(飲料とかタバコとか)などは、すべて止めちゃえばいいと思う。

僕らは慣れてしまっており無感覚になっているのかもしれないけれど、自販機が急激に増え始めた時代から、日本の社会の中の個人のコミュニケーション能力が下がってしまった気がする。それも由々しき問題だよな。と、いうことで、自販機削減のための税導入賛成!

April 3, 2011

4月最初の日曜日

2011年の3月はあっという間に吹っ飛んだ感じで、夢(悪夢)の中の出来事のような曖昧な記憶しかない。その掴みどころがなくて、やるせない気持ちを表すリアルな行動をそうそう取れる訳でもなく、その感情のはけ口が見つからず、悶々としている。そう、そのなんというか「後ろめたい」のだ。そんな気持ちを、この3月の日々の体験を共有した多くの日本人が感じているのかもしれない。現在進行形でね。だから、社会が鬱々して元気になりきれない。

4月になって桜が咲き始めても、僕のわさわさした気分はささくれ立っていて、いつもの日曜日の午前中のルーティンの読書の時間にも、買い込んである本とか雑誌を読む気になれない。ギターを弾く気ににもなれない。何かすごく書き留めておきたい(たとえば詩とか歌とか)気がするんだけれど、それも空しい。買い物にも行きたかったし、家の掃除とかセルフリフォームとかテラスの掃除とかもしたかったんだけれど、イマイチ行動する気になれない。先の予定(旅行とかライブとか)についても考えられない感じ。それも困るんだけどな。

こんなときは単純に身体を動かす(しかない)。薄暗いジムで今週末もじっくり2時間。5kmラン>15分ストレッチ>マシン2セットx2>6本300m。ジムは日曜としてはガラガラだった。昼ご飯は「つけめん竜」。ここんちは札幌ラーメンの老舗だった「一龍」のリフォーム店。「一龍」は味噌系では結構善戦していたんだけれど、麺激戦地区のたまプラーザということでリフォームしたんだろう。麺は極太ちりちりで歯ごたえあり。スープは濃厚豚骨&魚介こってり系。スポーツ後だからがっつり食べたけれど、ちょっと濃厚過ぎで65点かな。つけ麺は最近の濃厚系じゃなくて、「大王」系が好みなのだ。

午後はまったりと過ごして、晩ご飯はかみさんと「鮨・佐藤」へ。八戸出身の御主人いわく、震災後は高級店が軒並み景気が悪くて大変らしい。その影響で築地でも高級品が売れず、結構いい素材が安く入ってくるらしい。みんな自分の家の近くで外食するので、彼の店のように地元密着型の店舗は震災後も変化がないらしい。停電が問題だけれど、それが本当に深刻な問題になるのはこの夏なんだろうな。いづれにしろ大変。「外食産業を勝手に救済しよう」に投稿した。

夜はUstreamで孫さんと原発の設計者の対談。途中まで出ていた田原某が素人なのに知ったかぶって話しの腰を折るのが不快だったけれど、退出してからの3人の会話は考えさせられるものだった。それにしても孫さん個人で100億円震災義援金を寄付するとのこと。たぶん視線とか視野とかのスケールが全然ちがうんだろうな。素晴らしい。僕と同じ歳で昔から親近感を感じていたけれど、今回の話を聴いていてさらに感じ入るものがある。リラックス日曜日。

April 2, 2011

「てっしょう」LOVE

横浜馬車道「てっしょう」の焼き鳥が急に食べたくなり、かみさん&さとちゃんと3人で車を飛ばした。ここんちの焼き鳥はイケメンオーナーのてっちゃんの丁寧な仕事でいつも感激する。焼き鳥って、マズく作るのが難しいくらい「どこでも美味しい」料理ではあるけれど「おおっ、これは美味しい!」と感激させるためには、素材の良さと丁寧な仕込み、そして焼きの技術。シンプルなだけにごまかしがきかない真剣勝負なんだな。〆のそぼろご飯&出汁茶漬けが絶妙。今日もおいしかった。これからも行くから、頑張ってね。

April 1, 2011

4月1日、2011年、という区切り(メモ)

なぜ4月1日が日本の新年度なのか?について。
教えてgooより引用:
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東洋では立春前後の月齢の1日を年の始め(旧正月)とした。日本では、中国漢時代に由来する「立春年初」だったが、明治6年に太陽暦が採用され、旧暦(立春基準)と新暦(元旦基準)が併存することとなった。北半球の春分・秋分の頃は非常に過ごしやすく、4月・9月が入学時期に最適と考えられたが、結果的には日本では4月に落ち着いた。芽吹きの春が始まりというのも、当時の日本人の感覚に合うものだった。4月は桜の季節であり、人生の門出として相応しい時期と受け止められ、定着した。日本の場合、学校教育法施行令44条で明確に4月1日から3月31日までと規定されている。
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1886(明治19)年ころから、、学校・公官庁等は米作りの準備を始める時期に当たることから、国の会計年度が4~3月となり、地方自治法が施行され、ここでも会計年度を国に合わせた、ということらしい。学校運営には校舎建設など国の補助金予算が絡むことから、初等・中等教育では学年を会計年度に合わせ、徐々に4月一斉入学に変わっていった。会計年度に合わせたのは事務的に都合に加えて、優秀な若者を軍隊にとられまい(10月が新年度)との、人材確保競争の事情もあったらしい。ふむふむ、なるへそ。1887(明治20)年、教員を養成する高等師範学校が学生の入学を四月に統一(4月入学の採用第1号)。1892(明治25)年文部省の指導で全国的に小学校の4月入学が行われるようになった。1901(明治34)年、中学校にも学年を4月~3月とすることを適用。1919(大正8)年、高校の入学時期を4月に変更した。1921(大正10)年頃、大学も4月入学に移行。1947(昭和22)年、3月に一斉に卒業する学生に合わせ、企業も4月採用で揃った。
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なーるほどね。

4月>桜>ぴかぴかの一年生>入学式や入職式>心機一転>新生活>わくわく この日本のリセット環境を作っているわけだ。日本に生まれ育ち、この未曾有の大震災を体験を共有した僕らは、決して2011年の春を忘れないだろう。
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