助けあいジャパン

March 30, 2011

短期局所的な合理性の誤謬の可能性について(メモ)

内田樹先生のブログより:兵站と局所合理性について(3-24-2011)
引用:
短期的・局所的に考えれば合理的なふるまいが長期的・広域的に考えると不合理であるということはよくあることである。
集団の中で一部の人間だけがやる場合には利益を得るものがいるが、集団のほとんどがやりだすと誰も利益を得ないという営為は局所合理性の典型である。

泥棒という行為は、ほとんどの人が泥棒をしない社会では、しばしば多くの利益を泥棒にもたらす。だから、泥棒は局所的には合理的なふるまいである。しかし、ほとんどの人が泥棒をする社会では、全員が自分の財貨を護るためにある限りの時間とエネルギーを費やさねばならず、どうせ盗まれるものを生産する人もいなくなるので、遠からず全員が餓え死にすることになるから、全体的には不合理なふるまいだということになる。

原発はそれが「事故を起こさない」限りにおいては電力会社にも消費者にも地元民にも多くの利益をもたらすテクノロジーである。だから原発をどんどん建設することは局所的には合理的なふるまいである。けれども、いったん事故が起きた場合には、被曝での死傷者が大量発生し、国土の一部が半永久的に居住不能になり、電力会社は倒産し、政府が巨額の賠償を税金をもってまかなう他なくなる。原発事故によって失われるものは、貨幣に換算しても(人の命は貨幣に換算できないが)、原発の好調な運転が数十年、あるいは数百年続いた場合にもたらされる利益を超える。

火力発電や水力発電や太陽光発電や風力発電と比べたとき、原発は局所的には(費用対効果という点でも、環境負荷という点でも)きわめて合理的な選択だが、全体的には合理性に乏しい選択である。短期的・局所的な「金儲け」に限定すれば、原発は正解である。より長期的・広域的な「国土の保全と民生の安定」を基準に採れば、原発は正解ではない。

日本人は、そのような小学生にもわかる単純な理屈がわからなくなっていた。
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うううむ、そうだよなあ。

ここで先生は、「おおづかみに言うと、「貧しい環境」において、日本人は知性的で、合理的になる。「豊かな環境」において、感情的で、幼児的になる。」とし、後半で今後の日本復興へのグランドデザインをアトランダム(と断りつつ)列記しているのだけれど、どれも説得力のあるものだ。
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