助けあいジャパン

February 28, 2011

おお、P!nk みっけ!

CXの月⑨「大切な事はすべて君が教えてくれた」を、かみさんと娘達が観ていたので、僕も観るとはなしに眺めていた。ドラマ自体は全然興味なく(暗過ぎる設定と展開は好きじゃない)眺めていたんだけれど、その挿入歌にハマってしまった。耳について離れなくなってしまい、早速検索することに。P!nkという女性のロッカー。なんとなく「おなべ」的な雰囲気のある女性ロッカー。Youtubeのインタビューを観ていると、全然美人とは言えないけれど、元気なアメリカのアウトサイダーのねーちゃん(つまり元不良=ロックの正統派)的な雰囲気ばりばり。ははは、いいなあ。おお、グラミーも穫っているんだね。全然、知らなくて(というか興味なくて)意識していなかったアーティスト。マドンナは全然好きじゃないけれど、この人はいいなあ。

圧倒的な声量と退廃的な声がいい。歌詞は正統派のロック。歌はメロディーラインがシンプルでスコーンと乗りやすいし、単純明快なリズムが僕の好きなパターン。特にこの曲Please Don't Leave Meを、がんがん大音量で流しながら、LAのフリーウェイをぶっ飛ばしたら気持ち良さそうだなあ。さっそくi-tuneで音源入手。ひさびさのヒットだわ。

そうそう、単なる不良風非行ネーチャンのロックを歌うだけじゃなくて、このDear Mr. Presidentを聴いて、唸った。この曲は、もちろんマリリン・モンローのイメージのメタファーなんだろう。


さらに、このCM スゴいなー! ブイトニーとビヨンセとピンク ダントツで彼女の声が素晴らしい!と思うな、僕は。

ちがうんだってば・・・(苦笑)

仕事場の立場上、上の世代ほどではないけれど、僕も「接待」を受けることが数年前までは時々あった。いわゆる「酒食を供され親睦を深める」というもの。食事の後に「それでは少し場所を変えて、飲み直しましょうか・・・(ふふふ)」ということになり、銀座や六本木などの、女性のいるクラブとかに連れて行かれるわけだ。

で、前にも書いたけれど、僕はこれが大苦手。プライベートでそういうお店(キャバクラとか)に行くヤツの気が知れない。たんなるケチというわけではない。そういう場が苦手なのだ。美味しいもの食べるのは好きだし、お酒も(大)好き、女性は(もちろん、大大)好き、スタイルのいい美人はとくに好き・・・なんだけれど、それが一緒になると、ダメ。場慣れしていないこともあって、日頃は饒舌なのに急に無口になったりして(笑)楽しめなくなる。たぶん自意識過剰なんだろう。連れて行ってくれた人の手前、楽しんでいるフリをするのも疲れるし。

で、まあ、最近では不況で会社もそういう接待をしなくなって「やれやれ」なのだけれど、何年か前に、銀座の某有名クラブで「先生、お名刺いただけますか?♡」などと言われて、バカ正直に渡したことがあった。後にも先にもそのお店には一回しか行っていないのに、だ。先輩に言ったら、そういう場合には「あ、今日は名刺を切らしちゃって」とか言って逃げるべきなんだけれど、それ以降、季節の挨拶からママのバースデー(えっ?)、何周年記念イベント(はっ?)、なんとか祭り(へっ?)などの案内のはがきやら手紙やらが職場に舞い込むようになった。個人情報といっても、仕事場の属性だけなのでべつに実害もないし(ただみっともないだけ<笑)無視を決め込んでいたら、去年くらいからは、(個人情報が漏洩しているんだろう)別の「会員制超高級キャバクラ」(だと思う、たぶん)の案内が届くようになって、今日も届いた。もう、めちゃくちゃバブリーな感じの店。在籍する美女たちのグラビアブック(おいおい)、さらにお一人様無料ご招待券&ヘネシーXOのクーポン券付き(爆)。

あーーのーーねーー、行く訳ないじゃん。

たぶん企業の接待が減った分、こうやってプライベートで行く輩を開拓しなくては、あの業界も厳しくてやってられないのだろう。僕の個人情報も、①金と暇を持て余しているであろう、②「スケベおやじ」の顧客リストの中にしっかり入っているのだな。前半①は間違っていて後半②は正しいのだけれど(笑)。たしかに時々、今どきアリエナイようなバブリーなマンションや別荘の広告とか、会員制クラブの招待だとかのDMも時々職場に届く事があるもん。ちがうんだってば(爆)

くわばらくわばら

February 27, 2011

FMサルース収録:最終回

FM Salus「ポットラックガーデン」「おしえて♡まーく先生」のコーナーの収録。4月から新編成ということで、本日の収録でまずは終了。2009年の7月からだから、1年8ヶ月(20ヶ月)ということは、80数回分も番組をやった事になるんだな。よくネタが尽きなかったもんだ(笑)。リラックスして楽しみながらおしゃべりできたのは、100%パーソナリティの香月さんとディレクターのまなさんのお陰だと思う。ありがたやありがたや。4月からの新番組でもどうぞよろしゅう!。

本日の収録
①2/27(本日): NZ大地震とクラッシュ症候群
②3/6: 「処方箋」について
③3/13: 「睡眠は量より質」という話題
④3/20: 絵本の話、人魚姫など
⑤3/27: 今月のこだわり:ブラックカレーについて

February 26, 2011

宇宙飛行士選抜試験 The Right Staff


「宇宙飛行士選抜試験」(大鐘良一、小原健右、光文社新書)。帯のタイトルは「究極の“就活”で選ばれる資質とは?」。以前から宇宙飛行士の選抜方法に凄く興味があったのだ。

2008年に10年ぶりに行われたJAXAの宇宙飛行士の選抜試験のドキュメント。963人応募して、書類審査と英語試験で一次選抜で230人、さらに一般教養・専門試験・医学・心理検査二次選抜48人、さらに医学検査と厳しい面接試験で10人までに絞られる。このドキュメントは日本を代表するスーパーエリート達10人の最終選抜までの過程が描かれている。どの人たちも素晴らしい資質をもった人たちなのだが、最終選抜試験は究極のストレスの中で行われる。閉鎖環境適応訓練施設に10人が放り込まれて、プライバシーの極端に制限された空間で過酷な課題が課される。ここまで残った10人は皆すでに卓越したストレス耐性を持っているのだが、それが究極の極限状態で試されるのだ。自分をいかに律するのか?折れない心とは?リーダーシップとは?フォロワーシップとは?閉鎖空間でサバイブするための性格とは?などなど。その後はヒューストンに飛びNASAでの過酷な試験と面接。最終的に誰が選抜されるのか・・・ドキドキしながらストーリーを追った。

向井千秋さんが指摘しているように宇宙飛行士は肉体的にも精神的にもスーパーマンである必要はないらしい。強い精神力とバランス感覚をもった人、つまり「人間力」が試される。最終的に選ばれた3人は全員、素晴らしい人たちだと思う。日本人の代表として立派に仕事をしてくれる人材だ。興味深かったのは、10人全員が皆「すでに、それまでの人生の中で、受験や就職試験で勝ち抜いてきた人たち」ということなのだ。今の若者に蔓延する「根拠のない自分勝手な自信や思い込み」、「将来に対する楽観的な単なる憧れ」だけで、事を成す事は出来ないのだ。自分を信じて努力をした人にしか「明るい未来」はないのだという、明確なメッセージを今小さな子供達に教えたいと思う。さらに、こういう選抜方法を考えて、実際に実施する人たちもスゴいと思った。

今日の午後に開催された、さとなお君たちが企画した慶應のワークショップ・コレクションの「こども選挙」。大成功だったみたいで、よかった。仕事の関係で時間が合わず参加できず残念だった。慶應の学生である末娘もワークショップのスタッフとして参加させていただき、プロ達の仕事を間近でみていい経験をさせてもらったことだろう。よかったね>さとちゃん。

February 25, 2011

春一番 2011

朝なーんにも考えず、冬支度で出勤したけれど、ダウンは暑過ぎるし、ニット帽ははげ頭が蒸す(笑)ので不快だった。春一番。暖かく重い南風&ぽかぽか陽射しで、最高気温は18度だって。オフィスも暖房は完全に切って過ごした。春一番って徐々に盛り上げて満を持して来ることはほとんどなくて、ある日突然にやってくることが多い気がする。今シーズンは全国的には大雪で大変だったみたいだけれど、関東地方の冬は寒い寒いと言いつつ、実際は全然ちょろくて、本番が来ないうちに終わっちゃいそうだ。子供の頃の冬って本当に寒かったんだけどな。

夕方から医師会の役員選挙の臨時総会。お約束のしゃんしゃん総会で5期目決定。入会当初の苦労は遠い昔のことになり、役員として8年経過したなんて時の流れの速さを感じる。このきわめて保守的な社会もじんわりと世代交代しているのを体感する。要領もある程度判ってきたし、今期2年もベストを尽くして、自分なりの仕事ができればいいかな。夜は、仕事帰りのかみさんと試験後に図書館で勉強していたゆっつん、明日の慶應でのイベント(「こども選挙」)の下準備に行っていたさとちゃんと、それぞればらばらに動いていた4人が夜集合して、たまプラの「麓」にてご飯。いつもの銀鱈の西京焼、長芋スフレも美味しかったけれど、今夜は牡蠣の炊き込みご飯がぷりっぷりで絶品だった。

February 24, 2011

朝飯前に

いつも更新する時間(だいたい22時台)ではなく、なぜかこんな時間に更新することになってしまった。

昨日午前の外来終了後、昼ご飯を15分でかっこんで午後から戸田の看護学校で講義。小児がんについて。最近の学生さんは皆真剣で熱心だと思う。一番若い人が平成4年生まれだものなあ、ウチの娘達より下の世代。学生とディスカッションしながら90分間びっちりシャベくりまくる。その後病院に戻って(移動中爆睡)残り番をお願いしていたこーめい先生のヘルプをしてから、今度は自由が丘「とよ田」へ。とはいっても、いつものようにすぐには入れず、「プレ」のお店でビールなど。この時点でけっこういい感じに酔っぱらってしまった。8時ころから「とよ田」。じょうじ、ケイイチロー、トシピロ。幼なじみとのユルユルな会話で、皆わははと笑いつつ絶品唐揚げを頂く。美味しいもの食べ&飲みながら、気の置けない友人達と楽しい会話するってのは、やはり至福だなと、今更ながら感じつつ。ケイイチローの快気祝い、トシピロの奥さんの順調な回復お祝い、メールトラブルで連絡不調だったじょうじとの業務連絡(笑)など。〆の3軒目は、ケイイチローの知り合いのお茶繋がり(僕らの3期下)の女性がオーナーのスナックへ。懐かしの昭和時代の雰囲気のお店だった。また機会があれば、という感じだね。なかなか居心地がよさそうだけれど、カラオケがね・・・。偶然、図ったかのように「チャンチキおけさ」がかかって、デジャ・ヴ感覚に酔ったな(笑)。ということで、結構いい感じでへろへろ&ヘラヘラと帰宅して、前のめりに爆睡していたら、3時すぎに緊急コールがあって、4時前に緊急往診、その後は病院へ、という流れで今に至る。昨日の朝からすっごい長い(中身の濃い<笑)一日を過ごしている感じ。もう眠れないし、このままエンドレスで「今日」に入ることにする。

さあ、朝ご飯食べようっ!

February 22, 2011

クライストチャーチ大地震

今朝一番のニュースで知ったCC(クライストチャーチ)、ニュージーランドでの大地震。僕らがウェリントンで生活していたのは1994年ー1995年。あの大らかで優しくて心温かいキーウィー(ニュージーランド人)たちに、僕も僕の家族も本当に助けられた。僕の住んでいたウェリントンの被害は少なかったようだけれど、南島のあの美しいCCの街並が、地震でずたずたに破壊されてる。現地の多くの人たちが不安と哀しみのどん底で途方に暮れていると思う。そのニュースを聞いて、心が痛んだ。居ても立っても居られない気分。でも、この僕に今何が出来るんだろう?出来る事ならば緊急援助隊に参加したいのだけれど。NZの医師免許を持っている数少ない日本人として、何が出来るのか?を考えている。元ボスのKevinにメールをしたけれど、今のところ返事はない。それどころではない状況なのかもしれない。

チャンチキな人たち

内田樹の研究室ブログの一節より

(彼の研究室恒例のゼミ旅行について)
今回のコンセプトは「社員旅行」なので、それでよいのである。
知らぬ同士が小皿叩いてチャンチキおけさなのである。
そういう一期一会的な集団性によって原子化したポストモダン社会を再びゆるやかに再統合したいと私は願っている。

うううむ、この自由な感性と洞察力と、肩の力の抜けたしなやかな表現。
やっぱりスゴすぎますぜ、内田先輩。

それにしても、「チャンチキおけさ」(by 三波春夫)というタームに、僕はぴくんと反応してしまった
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チャンチキおけさ(作詞:門井八郎 作曲:長津義司)

月がわびしい 露地裏の 屋台の酒の ほろにがさ
知らぬ同士が 小皿叩いて チャンチキおけさ
おけさ せつなや やるせなや

ひとり残した あの娘 達者で居てか おふくろは
すまぬすまぬと 詫びて今夜も チャンチキおけさ
おけさ おけさで 身を責める
 
故郷を出る時 もって来た 大きな夢を 盃に
そっと浮かべて もらす溜息 チャンチキおけさ
おけさ 涙で 曇る月
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なんとももの哀しい歌だったんだね。新潟から集団就職とかで上京してきた人が、出世できずにくすぶっていて故郷に残した母親と恋人(?)のことを思って、路地裏の屋台で「見知らぬ同士」で「肩を寄せ合って」、小皿を箸かなんかでチャンチャラたたきながら「(佐渡)おけさ」を歌って憂さを晴らしている状況。まさに昭和の歌だね。この暑苦しいばかりの親密感と切なさ感、さらには他人との距離感と、故郷へのベタで真摯な思い入れ・・・などなど/ 個人的には思い入れできないし好きじゃないけれど、タマラナく懐かしい昭和の感性だなあ。同じ路地裏の屋台でも「猫目地蔵」の世界とは全然「温度」と「湿度」が違うもんね(笑)。

三波春夫といえば、やたらとニコヤかな押しの強いオッサンのイメージで、子供心にちょっとノーサンキュー(No, thank youではなく、日本語で)なイメージの国民的歌手だったけれど、こんな歌を歌っていたんだね。

February 21, 2011

リスクを賭けないとヤレないのは昔から(笑)


僕のネタもとの「社会実情データ図表」より

本当に草食系男子が増えているのか?という統計資料。この図表のポイントは、セックスに対して「無関心ないしは嫌悪感をもっている」人の割合を調べるという、ネガティブな問いだということ。ふつう聞かないよな、こういう質問は。全く逆の質問「凄く興味ある人たちの割合」の調査が正反対のレシプロカルな結果であれば説得力があるけれど、それでも腑に落ちないのだ。過去に余程のトラウマがない限り、セックスを嫌悪する人がこんなにたくさんいるとは思えないのだ。みんな嫌いじゃないでしょ?(笑)。

女性の答えは想像が出来る。「セックスに興味がありますか?」という不躾な質問に対して、さすがに今の日本であっても女性の場合「はい、凄くあります!」って、普通の感性であれば答えないだろう。「凄く興味がある!」の人なら「少しは・・・♡」くらいにぼかして答えるのが普通だろう(笑)。ということで、このデータからは女性の本音の解析はできない、と断言してしまう。

しかし、男は違う。一番「お盛んであるべき世代」の無気力&無関心ぶりは何なのか?生活のすべてのプライオリティに異性があるはすの世代が、異性に対してそんなに白けているとすれば、かなりヤバい状況と言わざるをえない。僕らの時代以上に女性はその美しさを究めて、自らの性を堂々と主張しているのに(別の言い方からすれば、セックスに対する敷居は、昔とは比べ物にならないくらい低くなっているのに)。もったいないじゃないか(笑)。

むむむ。今の時代、もしかしたら、勝ち組はトコトン勝ちまくり(ヤリまくり)、大多数の負け組は全然チャンスが回ってこないってことなのか??そうだとすれば辛い状況なのかも。今も昔も男女間はしょせん真剣勝負なわけで、リスクを賭けなければヤレない(思いを遂げられない)のは真実。女性にフラレてボロボロになって傷つくリスクが怖くて、男は引き蘢ってバーチャルでシコシコとしていた方が自己満足的にいいのかも・・・。息子がいないのでよくわからないけれど。反面、ウチの3人娘達はたしかに逞しいと思う(笑)。

先日読んだ内田先輩の本の後半で鹿島茂さんとの対談で彼ら(団塊の世代)が話していたけれど、彼らと僕らの世代がココラで一肌脱いで本当に若い男女の縁結びの努力をしないと、日本は滅ぶのではないか?と真剣に思った。

格安ならいいというもんじゃないでしょ

今日のニュース:

片道3000円!?春秋航空が高松ー上海間に新料金発表

格安航空会社(LCC)の新サービスが次々に登場する中、いち早く茨城ー上海間、片道4000円を実現させたこの航空がまた動いた。
20日、中国・上海に本社を置く格安航空会社(LCC)の春秋航空の王正華会長が香川県庁にて記者会見に参加。同会見で発表した新サービスの内容は、3月末に就航する上海-高松線について、最初の1か月程度は片道3000円とする料金設定とするもの。言うまでも無く、日本ー中国間の国際線としては最安値となる。尚、具体的な座席設定に関しては、180席ある座席のうち1割に当たる18席を価格3000円で売り出す予定とし、他タイプの席として茨城線と同様に5000円、6000円、8000円などの運賃を段階的に設定する予定だという。
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これで航空便の採算が取れるというのが、僕はどうしても理解できない。ボランティアではあるまいし、ビジネスとして成り立つのが不思議。A地点からB地点に移動するのに、快適性と利便性をある程度我慢してでも安い方がいいというニーズがあるのは、学生時代に毎年貧乏旅行をしていたからよーくわかる。でも、ここまで安いと運行の「安全」とか「安心」という大切な部分をコストカットしているであろうことは、想像がつく。今どき飛行機に正規運賃で乗る人は殆どいないだろうけれど、それでもその50分の1っていうのはねえ・・・。この会社は人命も50分の1にカウントしているじゃないかって思ったりして。コスト計算のなかで「何か大事な項目」が抜けているんじゃないか?って思ってしまう。じゃあ適正な価格はどのくらいか?というと、全然答えられないのだけれど。

とにかく僕はLCCはパスだな。少なくともアライアンスに入っているキャリアを選ぶ。8時間以上の移動距離でスケジュールがタイトなら僕は断然ビジネス(ビジネスの格安運賃とか、マイレージのアップグレードだけど<笑)を選ぶだろう。お金とかマイレージさえ出せば容易に得られるような、そのくらいのサービスと快適性の差はあっていいと思うし。でも2ー3時間のフライトで着いてしまう場所(ソウルとか台北とか)だったら、エコノミーで十分。CAのサービスとか中途半端な食事とか飲み物なんかは全然要らないので、もっと安くしていいと思う。その意味からは国内線のサービスだってもっとシンプルにして安くしていいよね。でもLCCほどコストカットしなくていい。コワ過ぎる。

February 20, 2011

革命の足音ってか?

エジプトから始まった(ように見える)民衆革命が世界中に拡散し席巻し始めている。FacebookやTwitterの力が大きいというのは、一般的には「わかりやすい文脈」で、tipsとしては「真実」なんだろうけれど、革命が始まる「コア」にあるかというと、僕は懐疑的だ。

世の中のシステムを根本から変えるような「革命」は、市井の人たちの生活のちょっとした不満や憤りや不公平感が時間をかけて徐々に堆積して、そのエネルギーがある閾値に達したら、自然に堤防が決壊するように溢れ出てくるものなんじゃないかと思う。つまり、今回の流れの場合には、facebookやTwitterはあくまでも「きっかけ」でしかないのだろう。この先、共産党一党独裁の中国とか、北朝鮮が動く・・・かもしれない。そんな予感はするけれど、それはいつのことなんだろう??

同じ文脈で日本が変わるとこはあるんだろうか?ぬくぬくした飽食の時代に生きる我々にとって「そこそこ心地よい世の中をを変える必然性」は見いだせない。でも、それでいいのかなあ??孫や曾孫の世代にとっていい社会にすることはできるんだろうか?
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おおおっ、実はここにネットで見つけた上海のデモ画像をアップしたら、画像のHTML属性のしっぽが妙に長過ぎる。後々、リンクをトレースできるようにしてあるんだな。中国の今の状況を考えると、へんに当局に目をつけられたりしたら気持ち悪いし削除した。李下に冠を正さず。それにしても不気味すぎる。すごいな、中国。

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「情熱大陸」今井美樹。47歳になった今でも美しく、魅力的なアーティスト。求道的でストイック。プロデューサーとしての夫の布袋さんも素晴らしい。この番組観るまで、単なる不良っぽい不気味なキャラのロックギタリストオジさん(だって顔がコワいんだもの<笑)だという先入観念を持っていた。お互いを高め合うよい夫婦なのだな。ふむふむ

February 19, 2011

娘の社会勉強について

なんだか一日中眠たかった。べつに体調が悪い訳ではなく、坐るだけで睡魔が襲ってくる。朝の通勤の電車、オフィス、昼ご飯のあと、ジムのロッカーの休憩コーナー、床屋さん、帰宅後のマッサージチェアと、どこでもコロッと眠っていた感じ。たぶん季節的なバイオリズムなんだろう。年に何回かあるナルコレプシー。

夜はゆっつんと二人で久しぶりに「とり平」へ。大学時代のバイトの話になって、彼女のバイトしていたお鮨屋さんの話に。その神田にある老舗のお鮨屋さんは、オーナーが彼女の大学の先輩で、後輩達を比較的いい条件でバイトさせてくれているらしい。周辺の企業の接待に使われることも多く、いわゆるビジネスマンの接待の現場を見聞きすることができる。彼女の話を聞いていたら、けっこうコイツ大人の付き合いの機微についてわかってるじゃん・・・って感心してしまった。

「でね、その会社の社長さんが・・・。何かキミも食べなさいって言うのよ」
「えっ?バイトのキミに何か奢ってくれるわけ?」
「うん。もちろん断ったよ。」
「まあ、そうだよね、大人の下心が見え隠れするもんな。」
「そうそう、でもね・・・」
「えっ?でも???」
「その社長さんが、キミは何が好きなの?って聞いたので、雲丹が好きですって答えたの」
「ああ、まあ無下にはできないものね。」
「そうしたらね、その社長さん、大将に「この子に雲丹!」って勝手にいっちゃって」
「で?」
「仕方ないから、ごちそうさまーって、食べた(爆)」
「あーーのーーなーーーー(爆)」

ある意味、いい社会勉強になったね、ゆっつん。

February 18, 2011

春の足音・医局.ノーパンツ(えっ?)

いつのまにか2月の後半。朝日が明るくなる時刻が日々確実に早くなっていた。外に出ると朝の雨にも「質量」があるじゃないか!。うまく表現できないけれど、ちょっとだけ「重く温かい」感じがした。低く流れる空気にも南風の匂いがする。3月に向かうこの季節、春が動き始めた。そういえば、去年の11月に植えたクロッカスの黄色い蕾が膨らんだし、芽生えたチューリップの茎はぐんぐん伸びている。すごいなあ、自然の力。

夜は、勉強会@戸塚。医局の1年先輩の教授の講演。日本の大学医局というシステムのアカデミック・キャリアからスピンアウトした僕としては、これからの日本の医療システムの中で、医局の意義とその存在感を主張して行くのは大変なんだろうなあ、と、ちょっと老婆心ながら心配したりして。その昔は医学部の主任教授っていうのはアカデミックキャリアの頂点であり、皆競ってなりたがるものだったけれど、今が逆であまりなり手がない。それだけ過酷でリスクも大きいし、報われない立場なのだ。志のある人を、僕の今の立場で出来る限りのサポートがしてあげたいと思った。

台湾でノーパンツデー(えっ?)。あ、パンツってパンツのことなのね(笑)。もっと下のほうかと思った。さらに、この記事曰く、2月15日は「世界ノーパンツ・デー」とのこと。誕生日じゃん。どーでもいいけど。別のサイトによると5月の第一金曜日っていう説もあるようだ。日本にはないのか?

February 17, 2011

正論を言った時の典型的な反応について

研究日の午後。夜に都の救急関連の会議があるので2時間ほど中途半端な時間があり、たまプラに戻ってジムで泳ぐ事にした。

ジムは午後6時までは「平日会員」というメンバーが多い。このメンバーは平日の昼間に来られる人たち。ふつうの勤め人は無理な時間帯。以前は「専業主婦」が多かったみたいだけれど、不況の昨今主婦も働くことが普通になって、今は(元気な)高齢者、とくに元気な団塊の世代が目立つ。たしかに、僕の住んでいるたまプラ周辺には、定年退職して元気を持て余しているジジイ&ババアが最近とくに多い気がする。彼ら団塊の世代の特徴は「群れる」こと。生まれた時から同世代の人数が多いこともあるだろうけれど、連帯感とか団結感が特有。今日のジムでもやたらに群れていて、僕はちょっと違和感を感じて浮いていたかも(笑)。以前からジムでは僕は無口。顔見知りには会釈くらいはするけれど、まず会話をかわす事はなく修行僧みたいに黙々と身体を動かすことにしている。無愛想なヘンな奴だと思われたんだろう(爆)。でも、プールのレーンでカタマッておしゃべりするのは止めて欲しい(笑)。とまれ今日も粛々と20本1000m気持ちよく。

日赤の救急関連の会議では、エラそうな事を主張するくせに、自分は高みの見物を決め込んでいる、勘違いしているアホが多過ぎる現状に対して、ちょっと辛口の意見を述べさせて頂いた。やる事やってモノを言いなさい。うんうんと頷いてくれる聴衆が6割、亀みたいに目を伏せる連中が2割、どちらとも判断できないのが2割かな。日本の社会における正論を述べた時の典型的な反応。これは小学校の学級会から国会に至るまで同じかも。

February 16, 2011

Professional Courtesy

Professional courtesyという慣習が我々の業界にはある。初めて知ったのは1985年のアメリカ生活の時。ランチを病院のカフェテリアで食べていたら歯冠がとれてしまい、困っていたら上司がすぐに歯科医を紹介してくれて、Pasadenaの豪華なオフィスでその日の午後に治療してもらうことになった。一体いくらかかるのかな?と不安だったら...彼は笑って、"It's professional courtesy!"ですべてタダだった。ほほう、と驚いたもんだ。それ以後、アメリカでもニュージーランドでも、僕も家族もちょっと診察してもらったり治療してもらったりする場合にはだいたいこの「業界のお約束」だった。ただし、このWikiの記述にあるように、このタームにはアメリカでは「業界内の特別のお目こぼし」的なニュアンスがあって、社会的な問題になっているのだけれど、基本的には「業界内の大らかな慣習」ではあった。

じゃ日本はどうかというと、そういう同業者を経済的に優遇する慣習は、原則「ない」。というのは、日本の場合には国民皆保健で、医療というものが「公的なシステム」だから、欧米と比べて日本の医療費はそもそも極端に安いし、自己負担分も3割。さらに限度額を越えたら超過分が戻ってくるわけで、そんな患者に優しいシステムは世界中どこをさがしても希有なのだ。ということで、多少の「配慮をする」くらいのことが日本の場合のprofessional courtesyということになる。

実際、医師や医師の親族が医療施設に入院した場合、現場は結構やり難いものなのだ。医療のプロであればあるほどそれを知っているので、現場の様々なことに口を出す事は憚れる。通常の感性と常識を弁えてる人なら「すべてお任せします。どうぞよろしく」とするのが、もっとも「両者にとって望ましい関係」なのだ。日本特有の阿吽の呼吸というか・・・その辺はある意味難しいのだけれど。でも、たまにその暗黙のルールが判かっていない無粋な輩がいて、Professional Power Harassment(PPH)で現場が混乱することがある。喩えていえば、客船に別の船の船長がプライベートで乗客として乗っていたとして、その人があれやコレや船の操船に関して口を出したとすれば、現場は混乱する訳だよな。「船頭多くして船山に上る」ってこと。人の振り見て...って話なんだけれどね。

一方で、今日内科の外来に来ておられたA先生は立派だった。満80歳を期に一昨年自由が丘の開業クリニックを閉院して、悠々自適の生活をなさっている。そのA先生が、通常の区民健診を受けに今日外来に来られた。彼の50年年以上の医師としての経験からすれば、応対した20歳代の女医さんなんか孫みたいなもんだ。僕は、隣の診察ブースから彼らの診察の会話を聞いていて、思わず唸ってしまった。大先輩の医師なのに実に謙虚で素直な患者なのだ。それが若い医師に対するやさしさであることが、僕にはよくわかる。診察終了後に、A先生にご挨拶をしたら、彼は引退後世界中を飛び回っていて来週からフランスに撮影旅行に行くとの事だった。ああいうカッコいいジジイ(失礼!でも本音です)になりたいもんだって、思った。

February 15, 2011

2月15日

今日は「涅槃会(ねはんえ)」だそうな。涅槃会とは、陰暦2月15日(諸説あるらしい)、釈迦の入滅(にゅうめつ)の日に日本や中国などで勤修される、釈迦の遺徳追慕と報恩のための法要。涅槃とは、ニルヴァーナの訳語であり、迷妄のなくなった心の境地を指す言葉であったが、この場合には、釈迦が亡くなったという意味で用いられている。釈迦が娑羅双樹の下で涅槃に入った際の、頭を北にして西を向き右脇を下にした姿で臥し、周囲に十大弟子を始め諸菩薩、天部や獣畜、虫類などまでが嘆き悲しむさまを描いた仏涅槃図(涅槃図)を掲げ、『仏遺教経』を読誦することとなっている。ほー、仏教徒としては大事な日だ。

さらにWikiで調べてみると、2月15日という日はなかなか興味深い日ではある。ま、一般的には「それがどーしたの?」っていう日だけれど(笑)。

今日は54歳の誕生日。四捨五入して50歳になる最後の歳なのだなと。しみじみ(笑)。自分としては精神年齢も身体年齢もは35歳くらいで止まっている感覚なんだけれど、人生折り返し地点はとうに過ぎてることを考えれば、これから先のいかに人生を楽しむか?について真剣に考える時期が来ているんだろうな、と思う次第です。メールやメッセージやお心遣いをいただいた方々、有り難く頂きました。
ありがとうございました!いい歳にしたいっす。

February 14, 2011

「雪の降る街を」は名曲だ

連休明けの月曜日。ハチャメチャに忙しく野戦病院あるいはシカゴのER状態だった。緊急入院も多かったけれど優秀なスタッフたちの頑張りで今日もなんとか乗り切れた。ありがたやありがたや。午後も諸事多忙でばたばたと走り回る。

午後からは雪が落ちてきてだんだんボダ雪状態となった。
こんな日に泳ぎたくなる人は少ないだろうとジムに寄ったら、案の定ガラガラで、気持ちよく10本500m。今夜は肩の負担を考えて、軽めに上がることにした。帰り道の雪を踏みしめながら歩いていたら、唐突に「雪の降る街を」の歌が・・・。何十年ぶりに頭のどこかから響いてきた。ダークダックス(だろうな、たぶん)の歌声みたいだ・・・。憶い出して頭の中にこの曲が流れ始めたら、なんともいえない「懐かしく」「もの哀しく」「たまらなく切ない」気持ちになった。

♪♪ゆっきのふるまちをー、ゆっきのふーるまーちをー♪♪

【作詞】内村直也【作曲】中田喜直。この歌詞、調べてみたら1951年のヒット曲だそうな。「高英男」とという歌手の歌ったラジオドラマの挿入歌らしい。戦後7年しか経っていない時代。僕はリアルタイムではなく、NHK「みんなのうた」でやっていたのを聴いたのだと思う。子供心に胸がきゅんと哀しくなったのを憶えている。

詩を書いた中原直也さんという方のことは全然知らないけれど、戦前の外地、たぶん満州の奉天あたりの街並の事を憶い出して、戦後に書いたのではあるまいか?と想像する。ネットによると、この歌の場面には諸説があって、山形県鶴岡市や新潟市の古町や北海道旭川が候補らしいけれど、真相は闇のなか。

感情を抑えた静かな流れの言葉が、あの時代の美意識なんだろう。曲も転調が効いていて後半に「救い」がある。そうすることで「救われた」人たちがいるはずなんだ。この歌そのものがドラマを想起させる。歌詞を読むと、どう考えてみても過去を顧みて「平和」を祈っている。

雪の降る街を
(歌詞、以下引用)
1) 雪の降る街を 雪の降る街を
  想い出だけが 通りすぎてゆく
  雪の降る街を
  遠い国から おちてくる
  この想い出を この想い出を
  いつの日か包まん
  あたたかき幸福(シアワセ)の ほほえみ

(2) 雪の降る街を 雪の降る街を
  足音だけが 追いかけてゆく
  雪の降る街を
  一人心に 満ちてくる
  この哀しみを この哀しみを
  いつの日か解(ホグ)さん
  緑なす春の日の そよかぜ

(3) 雪の降る街を 雪の降る街を
  息吹とともに こみあげてくる
  雪の降る街を
  だれも分らぬ わが心
  この空(ムナ)しさを この空しさを
  いつの日か祈らん
  新しき光ふる 鐘の音

February 13, 2011

あるファミリーの至福の時間


ついでといっちゃなんだけれど、下のログのカナダ人の弟子Peter君のFacebookで紹介されていた「いいね!」画像。彼の友達のSerenaさんのファミリー写真だ。人生の中の至福の時間、その瞬間を切り取った写真。月並みな表現だけれど、なんとも微笑ましい、温かい愛情に溢れた情景だと思う。ここには小さい画像しか出せないのが残念。

ルーニー君やるじゃん

かつて悪ガキだったルーニー君の昨日(2-12-2011)のスーパーゴールのYoutube画像を、カナダの弟子ピーター君が教えてくれた。くー、たまりません。オヴァーヘッドのゴール/いいなあ、ああいう猪突猛進系の肉食系フォワード。(動画は削除されちまいました)

February 12, 2011

連休谷間のPNFにも型がある(はず)

世の中は3連休だけれど、僕らは通常通り。でも今週は研究日から連続した金曜日が休日だったので、ゆっくりと休めた感じ。今日も休んだら週末も連続して4連休にすることも可能だったんだ。へー、全然気付かなかった。4日間あれば何か出来たな・・・。でも何をしたかな?何をするか迷っているうちに休みが終わっちゃったりして(笑)。あり得る。そんなこんなで、休日谷間の今日は予想通りの忙しさだった。

今日のジムでは、先日の獅子内PNFインストラクターに教えてもらった肩関節と頚の動きを意識して20本1000m。いつものストレッチにPNFストレッチを少し加えただけで、泳ぎが全然違うのが判った。肩が痛くならないし、疲れも全然感じない。この歳になってもフィジカルな向上はあるんだな。いい経験&勉強になった。

今日のさとなお君のブログ型があるから型破りがある。これは最近の若い世代と接するようになって僕も痛切に感じる。まったく同感、激しく同意!「道」というものには、必ず「型」が存在するのは、その存在意義からいえば自明のことなのだ。我々の業界(医者業界)でも全く同じことだと思う。特に手術とか特殊な検査とか、習熟するまでには師弟関係での修行が必須であるし。つまり、若い頃は謙虚に「自分は何も知らないので教えて下さい」と我を捨てて一所懸命に頑張ることが、将来のための絶対に必須のことなのだ。だから、相撲部屋とか自衛隊とか「絶対服従」の世界を僕は決して否定はしない。問題はその当事者になる子供達とその親なのだな。蛇足ながら、それらの旧態依然としたシステム(相撲とか、歌舞伎とか、自衛隊とか、宝塚とか、昔の医局とか・・・)には、つねに制度疲労のリスクを内包しているのだけどね。

そして大人になって、その世界である程度まで行けたならば、さらに謙虚になるべきなのだ。自分の上にはいくらでも上がいるということを知らなければ、ただのアホ。実るほど頭を垂れる稲穂かな。以上、自戒する。

February 11, 2011

雪の記憶とスキーLOVE

東京に生まれ育った子供の頃の僕らにとって、「雪が降る」ということは、無条件でわくわくする出来事だった。小学校は授業は休みになって校庭で先生も一緒になって雪合戦や雪だるま作りをした。下校後は家の近くの坂道で雪車(そり)遊びをした。大雪が降った時などはスキーを持ち出して坂道を滑ることもあったから、今以上に冬は関東地方に雪が降っていたのだと思う。当時の公共交通機関は殆ど止まったハズだし「ああ、今日は雪だから学校も職場も休みにして、(大人も子供も)皆でそれを楽しもう!」という共通認識の「雪だからしかたないよね・・・」的なエクスキューズがあった気がする。

僕らの通っていた日比谷高校では「遅刻坂が危ない」ということで(うそばっか<笑)、前夜にハラリとでも雪が降ろうものなら「全日休講!」というルールがあった。サボるのが大好きな僕らは、朝から渋谷の映画館で一日中エンドレスでビートルズの映画(Let It Be, Yellow Submarine, Hard Days Nightなど)を観たり、原宿や渋谷の僕らのたまり場の喫茶店で、だらだらと一日中ダベッて時間を過ごしていたものだ。「あれっ?今日はなんで学校が休みなんだっけ?」「朝雪が降って休講になったんだよ」「ああ、そうなんだ(←なぜオフィシャルに休みなのか判っていない)」なんて会話が普通にあった。

僕の記憶が正しければ、我が校は夏休み、秋休み(二学期制のため)、冬休み、春休み以外の休みも合算すると、全都立高校の中でダントツで休みの多い学校だったということで有名だった。さらに、自主的に(僕ら的には「主体的に」)自主休講とか宅調べとか理由をつけてサボる僕らにとっては、まさに天国みたいな学校だった。厳しかった学園紛争の余韻もあって、そもそも教師がまともに出席もとらなかったし。

大学時代から独身時代の雪の記憶は、あの時代の若者の行動パターンをモロにトレースしていて苦笑を禁じ得ない。ご多分に漏れず「雪=スキー=車=ナンパ=女性」がワンセットになった記憶ばかり。夜中に車で移動してスキー場に行くっていうことが冬の大イベントだった。毎冬4−5回は行っていたかな。お金がないので車中泊が多かったけれど、翻訳のバイトで懐が温かい時にはロッジに泊まれた。奥志賀高原の杉山進さんのスクールで毎冬合宿したのも懐かしい思い出。ここで僕はスキーがゴールドまで巧くなった。忙しい研修医時代にも強行日程で苗場やニセコに行ったし、郡山の研修医時代には猪苗代に毎週スキーに行ったり、放射線技師さんと看護師さんと一緒に南会津に遠征した。ああ、懐かしい。かみさんとの出会いと付き合うきっかけもスキーが大きかった気がする。

結婚してからは、LAからマンモスマウンテン(カリフォルニア)やヘブンリーヴァレー(ネヴァダ)にスキーに行ったし、子供達が小さい頃から毎冬は車でスキーに行った。ニュージーランドでは一週間の冬の有給休暇をもらって、クライストチャーチからクイーンズタウンのコンドを借りて、コロネットピークで過ごした。日本に帰ってからの冬は、奥志賀、志賀、岩手の夏油など。でもそれもかなP(長女)が中学生までだったかな。それ以後は、それぞれの学校のスキー合宿もあるし、どうせ行くなら友達とのスキー旅行になるので家族でのスキーはなくなってしまい・・・・ここ10年僕もかみさんもスキーをしていない。

昔とった杵柄で、たぶん緩斜面か良く馴らした急斜面だったら、かなりキレイに滑れる自信がある。奥志賀のグランフェニックスに泊まって、ゆっくりと美味しい朝食を摂って、温度が上がって適度に熟れた雪質になったことを見計らってから、おもむろにスキーに出て、4−5本ゆっくり滑って、昼前に上がる。昼ご飯を食べて午後はシャンパンを飲みながら温泉&ジャクージでまったりとする・・・そんなスキーをしたいもんだ。

もうそろそろ、そんなジジイ・スキーを解禁にしてもいいかな(笑)。

February 10, 2011

「根拠のない楽観」

朝イチで、本庁指令センター内の救急相談センター。担当した4時間ひっきりなしに相談電話がかかってくる。オペレーター(救急救命士のOB)の人たちと相談員(専任のナース)の人たちの対応をモニターしていて、その対応の相談にのることと判断をapproveすることが僕の役目。かなりの数の相談があるのだけれど、(精神的に)病んでいる人たちの多いことよ。先日来読んでいる「ひとりで生きられないのも芸のうち」(文春文庫)の中にもあった内田樹さんの警句:「公的なもの」は盤石であるので、いくら批判しても構わないし、むしろ無慈悲な批判に曝されることで、その公的なものはますます強固で効率的なものに改善されるであろう・・・という、日本社会の「根拠のない楽観」ということを、ふと思い出したりして。なぜ相談センターでそう思ったかについて、ここに書き始めると大論文になってしまいそうだから止める(笑)けれど、今の日本社会が「システムとして抱える脆弱性」の一つであることは確か。その後、共栄スマトラカレー@神保町>施設往診@瀬田のルーティンを終えて・・・

夜は、映画「ウォールストリート」へ。オリヴァー・ストーン監督、マイケル・ダグラス主演。1987年の「ウォール街」の20年後の話。サブプライム問題を経験してみれば、1987年の状況がいかに牧歌的で穏やかなものだったのか・・・がよくわかる。前作のエピソードの後、インサイダーの重犯罪で8年間塀の中にぶち込まれていたゴードンが娑婆に帰ってくるところからストーリーがはじまる。続編としてのイヤらしさはなく、ストーリーとしては安心して面白い話。前作の敵役だったチャーリー・シーンがちょい役で出てきたりするのは監督のお遊びだろう。この20年で映像テクノロジーは格段に進んだというのがよくわかる映像。普通っぽいのに、これはどうやって撮影しているんだろう、という映像がいくつかあった。冒頭でウォールストリートのストリートからビルに揺れて回りながら上昇して行く場面と、ウィーニーとジェイコブが喧嘩して別れる場面のカメラの視点の動き方は斬新。

1987年の「ウォール街」のマイケル・ダグラスはギラギラしていて、もろ肉食系だった。アル中とかセックス依存症の告白で、あの当時随分話題になったもんだ。20年経っていい感じで老けて「悪いジジイ」になっていて、たぶん僕も含めて観客に自分たちの経験したこの20年間を憶い出させる仕掛け。その監督の演出はさすが。ゴードンの娘役のキャリー・マリガンはキュート。個性的で巧い女優。なんとなく「イギリス人の大竹しのぶ(若い頃)」って感じだな。ストーリは、ゴードンが言う"Greed is good."というのがキーワード。このゴードンが善玉なのか悪役なのか・・・結局、最後まで観てもよくわからなかった。そういえば、ジェイコブだって、いい奴なんだけれど欲深い奴にも見えて「わからない」キャラだ。この「わからないところ」がオリヴァー・ストーン大監督の意図するところなんだろうね。現在のウォールストリートのセレブ生活はわりと抑えて描かれているのは、本物っぽくいい感じで観客は感情移入できる。ストーリー展開はそれなりに面白かったけれど、エンディングの場面は蛇足だと思う。☆☆☆1/2 

February 9, 2011

PNFを体験した

中学時代のクラスメートのNさんとの不思議なご縁で、今日は午後からPTのK君、連携室のNさんとともに「PNF研究会」@田園調布へ。僕らの病院とのコラボを進めるにあたり、ます僕らがPNFそのものを体験するべく、シニアインストラクターのSさんの施術と指導を受けることになったのだ。

PNF(Proprioceptive Neuromuscular Facilitation、固有受容性神経筋促通法)って、マッサージのようなものなのかと勝手に思っていたけれど、全然違う。以前「股割り」ストレッチのやり方をスポーツトレーナーから教わった事があるが、まさにあれがPNFストレッチだったんだ、ふむふむ。

このところの右肩の違和感と頚の鈍痛の原因について、Sさんの施術とストレッチを通して、すごく判りやすい説明と解決方法を教えてもらう。なるほど、僕の泳ぎのフォームがいけなかったんだ。左右で全然肩の廻し方が違っていて、肩甲骨の可動域の制限と負担、必要上に頚に負担のかかる(力が入っている)肩の動きなど。これでは、一所懸命やればやる程、肩を痛めてしまう。体幹インナーマッスルの弱さと、それをどうやって意識して鍛えたり伸ばしたりするか?などなど、新しい発見とtips多し。

ネットで見てみると、PNFストレッチについてはスポーツトレーナーの領域では随分やっているものらしい。なかなか奥が深い世界・・・コレとかコレとか、コレも面白そうだ。勉強してみよう。

February 8, 2011

知的好奇心を満たすべくインプットする午後

午後の手術が諸般の理由でキャンセルになったので、午後はじっくりと溜め込んでいた文献読みと知識の整理をした。さらに歳を重ねると無意識のうちにどうしても守りに入ってしまうだろうなあ。だからこんなインプットの時間は大切にしたい。ホンモノの秀才はこれをコンスタントにやるんだろうけれど、僕みたいな凡人は気が向いた時に、要領よくやるしかない(笑)。

さて、まずは今日のテーマは溜め込んだ最近の感染症関連の文献のアップデート、以前から興味のあった脳機能マッピングの最新の知見についてネット検索、「脳の中の幽霊」のチャプターをピックアップして再読。夕方は先日の大学院レクチャーの復習と先日I君に出してもらった統計データの検討など。あっという間に5時間経ってしまった。こうやって定期的に集中して勉強し知識をアップデートすることで、知的好奇心をエンハンスすることは大切だ。勉強すれば勉強するほど、もっと勉強したい事がある。しみじみ。

夜は医師会理事会と政治連盟の会合。4月の統一地方選挙のための推薦候補者についてのディスカッション。この期に及んでもJ民党一辺倒はナイでしょ、と発言する。それにしても候補者もナサケナイ奴らばかりで、自分たちの主張や政策も全然見えないのはオカシイし、こちらが推薦する条件としてそれぞれポリシーをみせてもらうべきだと、意見した。ちなみに、僕はばりばりの「J民党員」なのだけどね(爆)。

February 7, 2011

「相撲」はスポーツじゃないのだ

そもそも相撲をスポーツと捉える事が間違っていると思う。神事のセレモニーとしてはじまったパフォーマンス。いつの頃からか「国技」になってしまっているけれど、基本は見せ物なのだ。試合ではなく場所という名の興行(興業?)だし、練習じゃなくて稽古。相撲部屋の上下関係はきわめて封建的だし、お金をとって相撲をみせるプロである幕内になれるのはごく一部で、経済的にも立場も幕下とは天と地の差がある。ごっちゃん文化もタニマチ文化も「常識」の特殊な閉鎖社会では、八百長が今までなかったハズはないし、彼らの文化そのものなんだろう。もちろんガチンコ勝負がドミナントではあると思うけれど、その必要悪というか影の部分を日本特有の曖昧さの中に包含していたわけだ。相撲部屋の不祥事にはもう驚かないけれど、今回の八百長事件は決定的かもしれない。もうスポーツとしての地位は捨てて、日本の伝統芸能としての相撲に割り切ってしまえばすっきりすると思う。それにしても、田舎から出てきて相撲部屋に入って、幕内を夢見て真面目に稽古を積んできた若者達が、可哀想だ。

February 6, 2011

2月のゆるゆる日曜日

完全オフの日曜日。ぬくぬくと二度寝。この季節の二度寝は至福。ちなみに英語圏でも同じで、stay in bed (ベッドから出ないで引き籠る)あるいは、もうちょっとカジュアルにlounge around in bed (ベッドでうだうだする)とか言う。午前中は読書、ネット、テラスの手入れとデスク周りの掃除など。早咲きクロッカスの蕾が膨らんでいた。チューリップもすくすくと伸びている。いつのまにか・・・そして、もうすぐ春。来週もイベント多数でスケジュールがタイトなので、今日は緩めた。

「四国饂飩」でこの季節限定の「牡蠣天ぷらぶっかけ」の讃岐うどんの昼ご飯の後、ジムへ。今日はプールが空いていたので20本は泳ごうと思って泳ぎ始めたものの、途中ゴーグルの調子が悪くて止まってしまったらペースが乱れて、10本500mで中止。サウナでまったりしたあとは、スタバで読書三昧。夜は「オニオングラタン・スープ」と「アサリのパスタ(ビアンコ)」と、バルサミコ・ヴィネガーの「あっさりサラダ」。

さとなお君のサイトで知ったインテル長友の話。いい話だなあ。明大サッカー部で太鼓隊長になっても腐らず、努力し続けた彼の素晴らしさ。こういうハングリーなひたむきさを若者が持てて、それを大人が応援できる世の中なら、日本の未来はまだ明るい。

February 5, 2011

新しい日本人の活躍

長友のインテル入団の初記者会見。最初から、あっぱれ!頼もしい若者だ。そして新しい日本人だなあと思う。自分の言いたい事を、自分のためにしっかり主張できる。自分の属する(属していた)世界との距離感をしっかりと持っていて、自分を客観視できる。ある意味、ふてぶてしく、したたか。必要以上に自分を卑下したり、おどおどした態度は皆無。セリエAは世界一のサッカーリーグで、インテルはチャンピオンだ。そこでベストを尽くすという、彼の意志はしっかり伝わっただろう。モスクワの本田圭祐といい、ドイツの長谷部、香川、今度の岡崎といい、フランスの松井といい、ヨーロッパのリーグをしっかりとレスペクトしつつ、それがどーしたの?的な開き直りというか、自分を主張できるのが素晴らしい。かつて、中田ヒデはイタリアで一目置かれたけれど、今回長友は可愛がられると思う。

夜は家族で久しぶりに浅草「龍圓」へ。ピータン豆腐のふわぷにゅ食感、ふわふわのトリュフかに玉、ぷりぷり海老のサラダ、たこのさっぱり野菜、肉汁たっぷりのほっこり焼売、香ばしい春巻、黒酢酢豚など、いつもの定番を美味しくいただく。〆はもちろん上湯炒飯。デザートも女性陣には好評で、皆大満足で帰宅。首都高速もがらがらだと横浜まで30分かからない。飲めないのがちょっと残念だけれど。

February 4, 2011

週末旅行的眼鏡購入計画妄想

金曜日。今日も救急が大忙しの一日だった。今後の週末のモロモロの予定を立てるべく、icalを動かしているのだが、硬軟取り混ぜて存外タイトに予定が入っている。そんなこんなで今年もどんどん日々が過ぎて行ってしまうんだろうな。早目にスケジュール調整をして予約など取りたくても、不確定な要素が多すぎる(笑)。でも、実際には去年3月の家族での週末ソウル行きみたいに「エイヤッ」って決めちゃえば、それなりに動けちゃうものなんだろうけれど。さしあたり、このところ度が合わなくなった眼鏡(遠近両用)を作るため(だけに)ソウルに行き、そのついでに韓流ご飯を食べたいんだけれど。今度はケジャンが食べられる季節がいいなあ・・・などと、こんな忙しい時ほど、現実逃避を妄想夢想したりして(笑)。

夜はNさんと彼の代々木の行きつけのお店で呑んだ。彼とは同世代ということで、同じ時代の空気の中で生きて来た親近感と安心感があって、楽しいひと時だった。初めて出会った時から、旧知の間みたいな気がするのだが、実はじっくりとサシで飲む機会は初めて。彼の生き抜いて来た音楽業界の話を、非常に興味深く聞いた。先日読んだ文芸作品の編集という作業との類似性を、音楽作品のプロデュース/ディレクションにも感じる。やっぱりどの世界でも、胆(キモ)は、それまで培ってきた感性と人間力だよなあ。ほっとするような「懐かしさ」のある温かいお店。Nさんと彼の奥さんが出会ったのもこのお店だそうな。おつまみ系料理はどれも美味しかったけれど、〆の鶏釜飯はとくに絶品だった。気持ちよく酔っぱらい帰宅。

エンドレスな日

昨夜の当直は、予想通り「濃い」内容で緊急入院3件、断続睡眠で3時間くらい。ま、でもこれは予想通りで、いつものように妙にハイな気分で午前の仕事をこなす。お昼のエネジーチャージは八沢川にて摂って(うまし)、午後の施設在宅往診。何となくぼわーっと腫れぼったい感じの脳にはキツい、ちょっと混み要った相談とか書類作成があったりしたけれど、ウルトラスーパー医療秘書のあいちゃんの仕切り(というか彼女の言うがままに僕が動けば間違いない<笑)で、難なくこなせた。16時前に終了。と、ここまでは、いつもの当直明けのルーティン。

ところが今夜は19時から世田谷区役所で災害医療関連の会議がある。非常に中途半端な時間。仕方ないのでジムに行きジャクージ&サウナ&水風呂でまったりと時間潰し。目を開けながら眠っている(不気味だったかも)状況というか瞑想(妄想)している(さらに怪しい)状況というか。移動の電車では爆睡。こういうときは10分の睡眠で生き返る。世田谷区役所で19時から2時間の会議ののち、三軒茶屋の「東京餃子楼」にて、やっと長かった一日(昨日の朝から36時間連続して仕事していた感覚)をビールで緩めて〆る・・・ハズだったのだけれど。ほろ酔いで帰宅したら、22時すぎ病院から緊急連絡。ほろ酔いは一瞬にして醒め、ふたたび職場へ戻る事に。で、今やっと落ち着いたところ。二つの日付を越えて、感覚的にはエンドレスの永い一日だった。

February 2, 2011

当直中に読む雑誌の話つらつら

月1回の当直中。今日も今のところ通常通りの流れで無事今に至る。ふむ、このまま朝まで静かであるという保証はないけど(ぜんぜん)、休める時に休んでおこう。文藝春秋2月号をつらつら。抗がん剤についての立花隆と近藤誠の対談は、この手の一般雑誌でやる事じゃない。お二人ともそれなりの説得力のある議論が出来るだけに、悪い影響が現場に出ないか心配だ。彼らの一方的な議論を公開する場として適切だとは到底思えない。サイエンスは公明正大な舞台で堂々と透明性をもって論じされるべきだ。特集「中国とこれからの正義の話をしよう」。これはいろいろと知る事が出来ておもしろかった。。中国における「反日」運動に関する報道に接すると、日本人は複雑な感情(侵略戦争に加担したという引け目、逆な意味での被害者意識、こちらのいい分を理解してもらえない焦燥感、アンフェアな感情、などなど)になる。今回の尖閣列島の問題とか反日暴動デモとかがあると、不気味な国とその国民という「仮想敵国」論が台頭してしまう。でも、今回の特集を読んで、わりと多面的な見方でかの国を見てみると「なるほどね、やっぱりね、そーだろうな」と合点がいく部分も多かった。三笠宮が終戦直前に書いた「支那事変における日本人としての内省(幕僚用)」という文章は、画期的なものだけに、軍部に捻り潰された(あるいは黙殺された)んだろう。李登輝さんの「美人をみたら自分の妻だと主張する国」という文章はさすがの指摘、実にわかりやすい。中国文学者の高橋俊男先生の中国の権力構造についての解説を読んで初めて腑に落ちた。日中関係の未来のためには、無知蒙昧はよくない。喰わず嫌いも思い込みも偏見も偏向も有害だろう。一度日本のマスコミ各社を読んで講義した方がいいかも(笑)。その逆も当然必要だろうけれど、かの国にカウンターパートはだれかいるのかな。共産党独裁でありながら開放政策という市場経済を突き進んでいくという自己矛盾を抱える国。大部分の特権的な階級(共産党指導層)がどんどん利権を持って富んでゆき、13億人の残りの大部分はどんどん貧困に喘ぎ不満のマグマを蓄積してゆくとすれば・・・ま、行方は言わずと「そういうこと」にならざるを得ない。かなり確実に。その文脈の延長として、麻生幾の近未来小説「海民襲来」を読むと、痺れる。こういうハードシェルでソリッドな感じの小説って好きなんだ。ウェットでジュルジュルのも嫌いじゃないけれど(笑)。あ、話が逸脱した。日本が国家としてこの異形の大国とこれからどう付き合うのかは、我々の生活に直結する危機管理の最重要課題だろう。骨のある政治家と志の高い官僚に期待したい(どこかに居るとすれば、の話だけれど)。文藝春秋は持ち歩くには重過ぎるけれど、このてんこもりの内容で790円、1ヶ月間の気の向いた時に読めるなら、僕は安いと思う。コンテンツ(特集や小説、随筆ごとに)を電子データで小売りしたら、僕は買うな。

February 1, 2011

悪魔のように繊細に、天使のようにしたたかに


今日から2月。年度末に向けて外部の会合や会議に忙しい時期だ。今日は午後からお茶の水の東京都医師会館で救急医療の会議。この会議には今年で8年連続で出ている。救急医療という「社会の縁の下の力持ち」的なシステムを支えるために、行政も医師会も現場の僕らもいかに「泥臭い」努力をしているかをもっとアピールしてもいいと思う。会議の後は神保町にて本を物色。今日買ったのは、見城徹「編集者という病」(集英社文庫)、内田樹「ひとりで生きられないのも芸のうち」(文春文庫)、大鐘良一・小原健右「宇宙飛行士選抜試験」(光文社新書)。

見城徹「編集者という病い」は一気に読んでしまった。バブル崩壊の直後に、僕ら普通の読者の前に忽然と現れた「幻冬舎」という出版社の出す本はどれも刺激的だった。そのユニークな会社を作ったのが「見城徹」という人だという事を知ったのは、数年前の「情熱大陸」だったと思う。彼の編集者としての朱の入れ方は凄まじいもので、眠る時間を削り身を粉にして作家に向き合う姿には驚いたものだ。以後、僕の「気になる人のリスト」の上位にあった人なのだけれど、この本が文庫化されていることに今日気がついて、一気に読み切ってしまった。

まさに怪物。繊細にして豪放、ナルシストにしてエゴイスト。自分の感性と勘を信じているだけでなく、着実に実績を残している。自身は自分が小心だというが、やっている事は大胆で奔放。野心家。表現者への惚れ込み、自分を削り込むように向き合う。まさに「持っている」人なんだろうな。人間力のレベルが違う。天才。死ぬまで守りに入る人ではないだろうけれど、こんな本を出すことになるということは歳をとったということなのかも。こういう人には「生き急いで」欲しくないのだけれど。
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