助けあいジャパン

August 15, 2010

幻の縁談話, 1984

今考えてみれば、あれは「お見合い」だったのだと思う。1984年。僕は医者になって2年目。福岡の学会に行く事になり、そのことをたまたまオヤジに言ったのだろう。今となっては定かではないが。出発する前の夜に「Aさんという平壌中学の同級生が今福岡で医者をやっているのだが、そのお宅に届け物をして欲しい」と彼から頼まれたのだ。父方の爺さんは九州の柳川の出身で、立花藩の下級武士の末っ子だった彼は明治時代に朝鮮に渡り、そこで事業を興して家庭を持ち、オヤジが生まれた。医者としてもぺーぺー時代の学会出張なので、自分の時間が作れるかどうかはわからなかったものの、「うん、いいよ」と気楽に引き受けて、連絡先を書いたメモを持って福岡へ向かった。

ホテルからAさんに電話をしたらホテルまで人を使ってお迎えに来て頂けるという。恐縮しつつ御厚意に甘えた。福岡郊外のお屋敷(大豪邸)に到着し、玄関に迎えに出てきたAさんにオヤジからの預かり物を渡してご挨拶をしたら、どうぞ飯でも食べていって下さいと。またまた御厚意に甘えてお宅に上がる事になった。立派な日本間に通されてみたら、そこにはご馳走が一杯。そうこうしているうちに、ご家族(ご夫婦、娘さん、息子さん)が食卓へ集まり食事が始まった。娘さんは福岡で有名な私立女子大の2ー3年生。南沙織(笑)に似た美人だった。いわゆるお嬢様的な雰囲気があるものの、明るく気さくな女の子だった。好印象(笑)。ご家族でいろんなお話をしつつ、楽しい時間を過ごしてから、Aさんに病院を案内された後、もう遅い時間なので失礼することになった。玄関先でお暇(いとま)しようとご挨拶したら、奥様が「XXちゃん、福岡まで先生をお送りしなさい」と。あれれ?あれれれ?こっ、これはもしかして「見合い」だったのか?と。これは、たまたま訪ねてきた若い医者を夕食に誘っただけではないな・・・と、さすがに鈍感な僕でもわかった(笑)。車中、いろんな話をしたんだろうけれど内容は全然憶えていない。ただ、ホテルの車寄せで「じゃ、東京に来た時には是非連絡してね」なんてちょっとスケベ心を出したんだ。そのくらい「いい雰囲気」で、僕も彼女もお互いを好印象だったんだと思う。

そして数週間が過ぎ、忙しい研修医生活に戻った僕はすっかり九州で会った彼女のことを忘れていた。ある日の午後、仕事場に呼び出し電話(当時はまだ携帯電話は持ってなくてポケベルの時代)。彼女からの電話だった。「お友達と東京に来ています。今夜か明日の晩に会えませんか?この間、お話して頂いたお店に連れて行ってくれませんか?」と。無邪気と言えば無邪気、素直と言えば素直なお嬢様だ。もちろん東京で再会するのは僕の望む所だったし、なんとかしたかったのだけれど、たまたまその日の午後から週末の当直アルバイトが入っていて断念せざるを得なかった。

今の時代だったら、彼女が上京する前にメールでやりとりしただろうし、お互いが携帯をもっていたら気兼ねせずに連絡をとったんだろうけれど、あの時代にはそんなこともなく、それぞれの個人の時間はゆっくりと流れていたのだ。結局その後も彼女とは会う事もなく・・・自然に連絡も途絶えてしまった。こういうのが「ご縁がなかった」というんだろう。お互いは(たぶん)好印象であったし、周囲も応援してくれていたにも拘らず、それ以上の進展はなかった。ま、ご縁というのはそんなもんだ。後年、その娘さんが九大の外科医と結婚されて、Aさんの病院の跡を継いで幸せに暮らしている、という話を聞いた。

今日は都内某所で親戚(僕の弟分)の縁談会食があって、そんな昔の自分の見合い(もどき)ついて思い出したりして。
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