助けあいジャパン

July 18, 2009

情報リタラシー教育について

ネットで検索した情報から下に引用(要約)しつつ考察中・・・

人間に意識され、その後の行動や計画に影響を与えることのできる情報量は、10~50bit/secくらいと推定されている。これをもとに、人間が一生の間に受け入れることのできる”意味のある情報”の量は、10の10乗bitくらいになるらしい。つまり、1.3GB程度ということになる。ちなみに、
これはDNAに含まれる遺伝情報と同じ程度とのこと。へえ、意外に小さいものだな(笑)。

ただ、その計算↑↑の根拠がわからん(笑)
かりに真ん中をとって計算しても、25bit/sec x 60 x 24r x 365 x 80 = 1.0512の9乗 ってことになる。
あ、ちゃうな↑↑、だって眠っていたりぼーっとしていたりする時間もあるわけだから、こんなに単純じゃないわな。

「考える」という脳の機能は複雑で「情報そのもの」から派生する膨大な情報(つまり情報の統合された知識とか学問とかさまざまな「文化」とか)については、さらに定量化はむずかしい(まず不可能)。さらにさらに、ある人の人生の時間軸の中でどのように情報が処理されて使われるのかについては、定量化はできないだろう。人間の「感情」の原料になるのは、様々な「情報」なのだ。さすがに、人の感情とか気分とか感覚までは定量化できないだろう。とはいえ(そんな事は自明だけれど)、この論文の「便宜上の定量化」という論理は実に面白い、いずれにしろ。

さて、現在インターネット上でリンクを辿って到達できるページはおよそ100億ページと推定されているとのこと。
1ページあたりに含まれる情報量(テキスト情報)をページ数に掛け合わせると、インターネット上の情報量は1529テラバイトという規模になり、これもまた意外に小さい印象。ただし、前述した「人間が必要とする情報量」が10の10乗bitつまり1.3GBだとすれば、単純計算でインターネット世界にはある人にとって「生きて行くために必要な(ビットで計算しているので、自分の処理可能な、というニュアンスの)情報」の、なんと122万倍もの情報が渦巻いている計算になる。それも、ある瞬間の時点でという話。時間軸を勘案すると・・・途方もない数値になっちゃうだろう。ふむふむ。


人文科学系(つまり文系)の論文というのは、僕らのように自然科学系(つまり理系)の論文を読み慣れていると、どうも「もどかしい」というか、読者の感性に訴えすぎる感じがあるけど、それはそれで楽しい発見多し。さて、今夜はじっくりと考察してみようっと。
こういう勉強は、本当、楽しいわ。
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