助けあいジャパン

October 6, 2008

読めなきゃ書けないというのは真理だと思う

携帯とかメールでのコミュニケーションが、安易とは言わないけど、それが普通のコミュニケーション手段である若い人にとって、文字(テキスト)情報をまとめる、つまり文章を書く(あるいはタイピングする)という作業ははかなり苦手なもののようだ。その昔、僕らの世代にも当時の大人たちは「最近の若いもんは言葉を知らない」と苦言を呈されたものだけれど、それでも今の時代の若者達に比べればマシかもしれない。

僕らの世代は基本的にアナログ活字世代ではあるけど、その上の世代がデジタル化の社会的な波に乗り遅れまいと必死になっているのを横目で見ながら、比較的容易にコンピューターを使い出した。別の言い方をすれば、パーソナルコンピューターの黎明期の進化とともに自分達も変化(「進化」なのかどうかはわからないけど)してきた一番先頭の第一世代なわけだ。

僕自身、初めて自分のPCを持ったのは1981年。NECの8シリーズでBASIC(ああ、懐かしい!)。それから9シリーズでシンプルなゲームで遊んだり、ワープロ専用機からPCでの文書作成に移行したのが1985年頃かな。アメリカの大学で使っていたのはL-DOSというOSで、それからMS-DOSが普及して、IBMのPCがどんどん研究所に入ってきて(ボスの話だと彼らはタダで全米の主だった研究機関にマシンを配っていた)。。。1988年に帰国してからはMACへ改宗。日本語と英語を行き来するのにはMACしかなかったし、あのころから一歩も二歩も進んでいてオシャレだった。ニュージーランドから帰国した1995年頃から、急速にインターネットが普及し。。。。って書き出したら、ココから先は本当にキリがないけど、要するに社会の変化とともに自分達の生活がアナログからデジタルに激変した瞬間を体験しているワケだ。

で、何を書きたいのかというと、その後の世代にとって「この変化」を理解するのはかなり難しいのだろうな、ということ。彼らの世代が本を読まなくなったというより、それより面白くて容易に様々なイメージができる、いろんなメディアが発達しすぎている、ということなのかも知れないけど。読まなくなった彼らは、結果として、書けなくなった、というのはごく自然の帰結なんだろう。

でもさ、いくらデジタルの時代になったとはいえ、人間の脳機能というのは変らないわけだし、結局は言語テキストを介してコミュニケーションが基本なのだから、やっぱり人間は「本を読まなくちゃいけない」と思うんだ。アタリマエのことなんだけど。それもディスプレイを通してではなく、本のページを繰りながら、というプロセスが大切なんだよ。

読めなければ書けないというのは真理だと思う。
なんて秋の夜長につらつら
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