助けあいジャパン

August 29, 2006

内視鏡検査を受けた

胃腸の調子は極めて快調なんだけど、もうすぐ50歳。そろそろしっかりとチェックアップをしなくちゃな、って以前から思っていたこともあり、今回内視鏡検査をすることにしました。やってもらうのは大学時代の同期のK君。彼の内視鏡の技術は僕は日本一だと思っている。自分の病院でやると皆に気を使わせちゃうし、その辺もあって小岩にある彼の内視鏡専門のクリニックに頼むことにした。

さて、28日は朝から水分のみ、昼は素うどん、夜はウィダーインゼリーのみ、というほとんどFASTING状態で、午後は早めに早退して錦糸町の東武ホテルレバントに宿泊することにした。6時過ぎにチェックインして、当初の予定では持っていった小説でもゆっくり読んだりしてのんびり過ごすつもりだったんだけど、実際には空腹感とソレに伴う妙な高揚感で、小説を読む気にもネットにつなぐ気にもなれず・・・午後9時。そろそろ薬を飲む時間。

ラキソベロンとマグコロールを一気に飲む。5分もしないうちに効果発現!くー、かなり来ます!!以後は朝までトイレとベッドとの往復。10回は行ったかな・・・(^_^) ほとんど熟睡できないくらいで、うとうとしているうちに朝になった。ああ、ホテルに泊まって正解。

7時。さて、本番、「ムーベン」2Lを飲み始める。昔のPGE溶液に比べればずいぶん味がよくなって(レモン風味)飲みやすいのだけれど、さすがに2Lを約2時間ちかくかけて飲み干す。これも即効果で、約2時間トイレとの往復。もう完全に胃腸は空っぽ状態になる。

その胃腸が完全空っぽ状態っていうのは、不思議な感覚。多少の低血糖もあるので「ふわー」「ぼわー」っとした感覚なんだけど、妙に気持ちいい・・・胃腸を完全に休養させるということもいいな、って思った。

11時にチェックアウトして、錦糸町から小岩のクリニックへ。着替えをして心地よい休憩室のイスで座っているうちにもウトウトする。その後点滴してからは、静脈麻酔がかかってしまい・・・胃カメラと大腸ファイバーを、K君の華麗なテクニック(だったんだろう、僕は眠っていてわからない)で、全然苦痛なく終了。気がついたら休憩室のイスに座っていた。胃と結腸にふたつポリープがありそれを切除したとのこと。あとは病理検査待ちだね、なんてK君が言うのを夢のなかの話みたいに聞いていた。ピロリの除菌もしなくちゃいけないし、本当にやってよかった。ありがとうございました>K君。

年に2回は健康診断をやっているけど、今後は年に1度はこんな風に検査をしなくちゃな、って思った。いいリフレッシュになったし。

August 25, 2006

夏休み2006(プロローグ;小説)

5時起床。かみさんを起さないように、ベッドを出る時、彼女の肩口がちょっとだけ動いた気がした。何も言わないけど、きっと気付いているんだろうな、って思った。

2年ぶりに夏休みをとることにした。

夏休み、いいじゃない、あなたには休みを取る権利はあるわ。このところ忙しかったみたいだもの。
思いっきりどこかに行ってくれば・・・どこかにいきたいんでしょ。ふふふっ、と笑って、昨夜彼女は言った。子供達も成長し、予約をしていく旅は、僕達はかなり前に卒業した。

少しずつ明るさを増しつつある朝のテラス。先々週2回目の花の散ったアネモネの葉の先に、小さな水滴が残っている。昨夜は淡い雨の落ちる静かな夜だったが、未明にはいつのまにか雨も上がったのだろう。暑いシャワーを浴びて、昨夜の酔いを醒ます。微かに残っていた吐息に残った昨夜のアルコールも、汗とともにできったようだ。西の空に高い雲。北西に向かう今の季節としては珍しい風にのり、動いている。

テラスのちょっとだけ湿っぽい風を頬に受ける。まだ夏の香りが残っているんだな、って思った。グレープフルーツジュースをグラスにたっぷり。心地よい酸っぱさが、まだ眠っている胃をやさしく起してくれる。そろそろ出発しようか、今日はパソコンの電源は入れない。いつもは起きて反射的に電源をつけるテレビも今日は静かだ。

まだ人のまばらないつもの駅。心なしか早足で向かう。手ぶら。携帯電話は書斎のデスクに置いていくことにした。ちょっとだけ迷ったが。だって夏休みをとるのだ。いつものしがらみから飛び出すとすれば、携帯電話を持っていくこと自体矛盾してるだろう。

北の方向に向かうことだけは決めていたが、電車に乗ってからどこに行こうかを改めて考える。三陸海岸から下北半島に行きたい。そう思った。荒い磯と切り立った崖の東北の海を見たかった。半蔵線を渋谷で下車。山手線で上野へ・・・。

August 23, 2006

ヤバイっすね、それ!

って、若い人が言う意味がわからんかったのですね、最近まで。僕からすれば、げげっ、そんなにマズい状況なの!ってびっくりするじゃない。形容詞としてのヤバイっていうのは、けっしていい意味では使わないでしょ、普通。でもどうも違うみたいなんだよね。「素晴しい!」とか「最高に良い!」というお褒めの言葉なんだそうな。はへ。

別の日の娘が携帯で友達と電話してた。「その問題ムズいね・・・」受験生の娘が友達と数学の課題のことを言っているらしい。「何?ムズい問題??なんだそりゃ?」難しい問題、という意味なんだそうな。ま、今書いて文字にしてみればわからんわけじゃない、けどさ。

August 20, 2006

さすがっ!プロの仕事

僕の家はメゾネットのマンションで、娘たちのピアノは半地下にあります。娘達も大きくなり、ピアノが不要になり、手狭になった部屋のスペースを作るためにピアノを下取りに出すことにしました。ピアノ買取ネットを使用すると、2-3日のうちに6社からオファーが届きました。13万5000円から18万円まで。現物を見ないでも値段が出るんですね。そのシステムの便利さに驚き、また買取の値段にもある意味驚いた。20年近く使用したピアノでも結構な値段を付けてくれるって事にも驚きました。

さて、本日はそのピアノの引き取りの日でした。予定の時間ピッタりに現れたのは、二人ともは60代の男性。てっきり若いオニイチャンが来るものと思っていたので、大丈夫かね・・・?とちょい不安になるような小柄(だけどそれなりにガッチリとした)な体つきのお二人。

で、一人は早速家に入ってピアノの位置を確認、無線で車を移動しクレーンを準備、部屋の本棚からベッドなどを、あっという間に移動して、地下のテラスへの移動ルートをシミュレーション。すっごいテキパキと仕事を進めます。ピアノって250kgもするんですよ。それを二人で動かしちゃう。

するするとクレーンを動かし、障害物の植木や鉄柵、植え込みを軽々と越えて、唖然とする僕を尻目に、約10分くらいで移動完了!きっちりとトラックの荷台にピアノを収納しちゃいました。すべての作業時間20分くらいでしょうか。これぞプロの仕事。完璧です。

仕事を終わってしばしおじさんたちと談笑。だってあまりにも仕事が鮮やかで、本当に感動したから。彼らによると、最近のマンションはエレベーターがあるから楽だけど、昔は大変だった、とのこと。この道ウン十年の彼らの言葉には、プロとしての自信と誇りが感じられました。

本当のプロの仕事を見せてもらったっていう気がした。すっげーよ、おじさんたち。

August 13, 2006

浅草NIGHT


最近知ったディープタウン浅草。この歳になるまであまり行ったことがなかった街なんだけど、イチローさんとの出会いは、僕らの世界を広げてくれました。

午後2時集合。その頃から雲行きが怪しくなってきたので、夕立土砂降りを見越して僕らが「居酒屋通り」と呼んでいる六区近くの、いつもの居酒屋さんへ直行。煮込みの有名なこのお店は、和みます。まずがビールで乾杯。おつまみは煮込み、おしんこ、肉じゃがなど。お酒はビールから始まり、ホッピーへ移行。ううむ、不思議なお酒だなホッピーてのは。うまいっ!っていうよりは、へーっ・・・ってオドロキ反応でした。

さて雨も上がり、イチローさんのオフィスへ向かいます。途中でコンビニでビールやお酒、お土産です。ついでにその後のことも考えて「ウコン」も飲んでおきましょう(笑)ってことになり路上でウコンをぐびり。イチローさんのオフィスはユニークです。いろんな人たちがイチローさんと奥さんのヒロコさんの人柄に引かれて集まってくる感じ。強烈な磁石があるんだね、この人たちには。

その後僕らは、イチローさんに連れられて、隅田川沿いを歩き、吾妻橋を渡って、アサヒビールのビル(通称「ウン×」ビルです)のオープンテラスでやっているビアガーデンのライブ会場へ。若い人たちのライブを聴きつつ、そこで秋のライブの打ち合わせ。渋谷での開催はいいとして、もう少しライブ自体のコンセプトを詰める必要がありそう。150人くらいのライブであれば、それなりの準備が必要でしょうね。ま、これから楽しみながら詰めていきましょう。。。という話。そのテラスで、またビール2-3杯。。。の後、7時半すぎに再びイチローさんのところに戻りましょう・・・、ということになりました。歩き始めて、さくちゃんが僕らの今日の「本来の目的」を思い出しました。そう、今日は浅草にさくちゃんのボンゴスタンドと周辺機器を買いに来たのでした!

時間を見るとあと15分で閉店じゃないですか!僕とさくちゃんは早足ウォーキングで楽器屋さん(JPC)へ。閉店5分前くらに滑り込みセーフ。かなりしっかりしたスタンドをさくちゃんは入手したのでした。いい買い物だったね、やっぱりパーカッション関連は浅草だね>さくちゃん

さてふたたびイチローさんのところで、打ち合わせ&音楽談義。じつはこの辺りから記憶があやふや。。。ものすごく気分よく酔っていて、心地よい空間を浮遊している感覚。

その後は、となりの小料理屋さん(さくちゃんは若くてかわいい女将のファンです)にてちょっと飲んだね。おおお、そういえばイチローさんがすごくいいこと言ってたな。勝手に要約すれば、「愛が世界を変える。音楽は愛だ!」みたいなこと。すごいな、イチローさん。肩の力を抜いてサラりと言うところがスゴイね、魅力的なオジサンだ。

その後合流したヒロコさん、ダイちゃんと皆で、餃子屋さんへ。ディープなお店。なかなかおいしかったです。僕は小腹が空いたのでラーメン。東京風支那そば大好きな僕としては大満足のラーメンでした。そこでじょーじ君の「若気の至り」系の話で独演会があったんだけど、長い付き合いの僕でも、へー初めて聞いたよっていう部分もあった(爆)。酔っ払いオヤジに完全になってました>じょーじ君

あまりにも心地よかったので時間の経つのも忘れてましたが、もう11時半。自宅への最終電車にあわや乗り遅れる時間だったんだけど、ダイちゃんが僕らを車で送ってくれて、都内の道をすっ飛んで・・・表参道で最終電車に間に合いました。ありがとうございました>ダイちゃん。田園都市線ではラッキーなことに席に座れて爆睡。千鳥足でふらふらと・・・自宅到着はもうちょっとで午前1時、って時間でした。ほぼ10時間、酒を飲みっぱなしなんだけど、浅草っていうシティエーションと素晴らしい人たちとの会話で、いい感じの酔いでした。Thank you, one & ALL!!!

August 12, 2006

すっげー楽しい夜だった!

手術が長引いて、予定では5時すぎに終了するはずだった手術の終了午後7時。今晩は小学校(小学校ですぜ!)の友達と会う約束のある自由が丘のアイリッシュパブへ。30分遅刻。

タケウチ君、ケイイチロー君と何年かぶりの再会。僕達は小学校の時にいつもちびっこ3人組でツルンでいたんだよね。5-6年前に本当に久しぶりに再会。でもお互い忙しい・・・「また会おうね!」なんて言っていながら、なかなか会えない日々が続いたのでした。今回は、僕らのグループを中学生時代に聴いていたという「さとなお」君つながりで、ケイイチロー君・タケウチ君と会うことになったのでした。

会うと瞬間的に当時に戻れる僕ら。本当に楽しい時間でした。

で、タケウチ君が妙齢の美しい女性を同伴。「ん?んん?どうこかでお会いしたような。。。」

なんと、小学校時代の同級生のイシイさんだったのでした。当時はおとなしくて図書館で静かに本を読んでいるみたいなイメージの女の子だったのですが、オトナになってお会いしたのは初めて。いやーひさしぶり!!小学校時代のエピソードがフラッシュバックしたりして、凄く楽しかったな。

で、9時半ころ自由が丘解散・・・

ちょっと小腹が空いたので、いつもの時代屋へ。

そこで、先日あるステージでお会いしたミヤケさんご夫妻。音楽仲間です。彼らの家が近いことは知っていたのですが、お気に入りのお店で偶然再会!音楽談義が爆発状態。楽しかったです。

素敵な夜でした。みんな、また会おうね!Thank you one and all!
神様に感謝!の夜。

August 6, 2006

砌橋(みぎりばし)

という音が、詩的なイメージ。石切橋っていう曲の演歌版として書いて見ました。

っていうか、書いているうちに艶歌になっちまいました(爆)。

この歳になると書ける歌は艶歌になっちゃうんかね・・・
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砌橋(みぎりばし):改題「石切橋」

揺らぐ心に 一滴(ひとしずく)
泪(なみだ)落としたら
砌(みぎり)橋

あなたは
未来(あした)の 物語(はなし)に
一緒に 来れますか?

ためらいの 言葉では
あなたには 伝えきれない
そんな もどかしさに 
今更 立ちすくんでも

この橋の袂(たもと)で
中秋の 満月
ただ 静かに
抱きしめてくれた

泪(なみだ)橋こえて
頃間(ころま)時(とき)にも
江戸柄(えどがら=えどがわ)橋の
流麗(るれい)の 隙間

砌(みぎり)橋まで
   流れ切れる まで
待っているの その時を
   待っているの その想いを

音もなく 流れる
 この時代(とき)の 
砌橋(みぎりばし)を
 越えて 涙枯れるまで
切ない思いが 
  途切れ 果てるまで
切ない思いが
  途切れ 果てるまで

August 4, 2006

石切橋

っていうのは、僕とじょーじ君が子供の頃住んでいた文京区水道・小日向の近くのバス停ので、神田川にかかる橋の名前です。ここから中学校に通った。つい先日、HuckleberryのBlogで石切橋の話が出て(昔じょーじが書いた曲のこと)すごく懐かしかった。

なんてことのない鉄製の橋。でも、なぜ石切橋っていうのかな? 
おおっ、石切じゃなくて砌(みぎり)が語源なんじゃないか!!!
なんて考え始めたら、結構おもしろい。
「砌橋(みぎりばし)」のほうが、江戸的(・・・って、なんだよ>笑)だし、詩的じゃあないですか!

ちなみにGoo辞書によると、「砌(みぎり)」とは、
〔「水限(みぎり)」の意。(2)が原義〕
(1)とき。ころ。おり。
「暑さの―いかがお過ごしですか」「幼少の―」
(2)軒下の、雨滴を受ける敷石や石畳のある所。
「九月のしぐれの秋は大殿の―しみみに/万葉 3324」
(3)庭。
「されば―を遶(めぐ)る山川も/太平記 39」
(4)ことが行われる場所。場面。
「彼所は転妙法輪の跡、仏法長久の―なり/盛衰記 39」
(5)水ぎわ。
「―の中の円月を見て/性霊集」

でもね、文京区の歴史のサイトにいって調べてみたら・・・
http://academic1.plala.or.jp/edogawae/koutyou/rekisi6.htm

江戸湾の満潮時には海水が文京区江戸川橋付近まで入ってくるため、江戸川橋の上流辺りに堰をつくり、そこで海水の入水をせき止めることにした。その堰の名大洗堰を・・・(中略)。大洗堰は切石を積み重ねてつくられ、この堰をつくるために大量の切石を必要とした。そこで、近くまで船で石を運び、適当な大きさに加工するための石切場が設けられた。現在、江戸川橋のすぐ下流に石切橋という名の橋が残る。(後略)

なんだそうな。ふむふむ

August 2, 2006

携帯電話のなかった時代(ころ)、小説プロット

を書き始めたのは、今年の冬。1月ころです。僕達ハックルベリーフィン(元祖)の「携帯電話のなかった時代(ころ)」という曲ができたのが昨年の9月ごろ。1970年代の少年少女(笑)の恋を書いてみたくなった僕が詩を書いて1週間くらいでじょーじ君が曲を書いてくれました。

携帯電話のなかったころには、今よりずっとゆっくりと時間が流れていたし、いろんなすれ違いやら誤解(もともと生じるものなんだよね若い男と女の間には)を、すぐにその人に連絡がとれないが故に生じたんだよね。その切ないドラマの数々を小説にできないか・・・ってずっと思っていて、曲が完成して歌っているうちにさらに、アノ頃の自分達の姿が見えてきたりして、書き出したってワケです。

50歳近いおじさんが、今更ティーンエイジャーの恋の話なって、ちょっと気持ち悪い気もするけど(自分でも<笑)、イメージの中で動いているシュン、タケル、カオリ、サトミとその友達たちを描いていると、僕はすごく懐かしくて切ないキモチになってくる。

大体の話の筋は仕上がったので、あとは局面を詰めていく作業と、小説としての体裁を整える作業が残っている(コレが大変なんだけどね)んですけど、ま、楽しみながらやっていくつもり、です。

くりえーしょん

なんだかココに書き込むのは久しぶりになってしまった。うん、ブログってのは、日記的に雑文でも何でも書き続けないといけないね・・・とちょっとだけ反省。

半年ぶりに「携帯電話のなかった時代(ころ)」の小説プロットを書き出した。きっかけはとくにないけど、このフトした弾みっていうのか、自分の中から自然に湧き上がって来るイメージの中で「遊べる」時ってのは、突然やってくる。

ま、これを生業としている人から見れば、笑っちゃうような話なんだろうけど、その瞬間は考えるヒマもないほど即攻で書き出しちゃったりする。いまあるイメージを切り取って記録するべく、記憶のつなぎ止めるような、そんな感覚

詩もそうだ。出てくるときは、ふとフレーズが出てきたり、ある時は曲になって迸るように出てくる。考えて作るんじゃなくて、出てくる。プロはそうじゃないんだろうな。そこがアマチュアなんだけどさ。

音楽をやっている時には、α波が出ている。創作活動(って程でもないけど<爆)のときも出ているんだろうな。無意識のうちにあっちの世界に入ってる自分がいる。終わってからものすごく「精神的に開放されている」自分を感じる。

この歳になって、ずっと忘れかけていたようなソンナコトをやってられることに、感謝。本当にありがたいことです。

ま、それが売れりゃもっと嬉しいんですけどね(爆)。
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